私のブログでは、城址や寺社仏閣などの紹介記事が多いのですが

     今回は少し趣向を変えてみました。

     ここは 石川県羽咋郡志賀町赤住にある県道36号線沿いの巨大な施設です。





     日本海に面した海岸線で藤の花も美しく咲いていました。





     北陸電力が唯一所有する原子力発電所が存在しています。

     その敷地面積は約160万㎡ という規模で運用されていました。





     発電所の敷地は、周辺の丘陵地を生かした段整地で建設されることになり…

     着工は20世紀…1988年の12月になります。

     1993年7月30日に運転開始されました。









     受付はこちらです。






     静かなるパンドラの箱

     一見して目立たないアイボリーと淡色のブルー系統の建屋が並びます。

     主要な施設内の建物が半地下施設にされて安全にも配慮されています。





     原子炉の設置された建屋が海抜11メートルを確保しており安全域ですが

     想定される5メートル級の津波を超えた場合に対して追加防壁を設置しました。







     注目のスペック

     志賀原子力発電所は、原子炉1号機沸騰水型軽水炉(BWR)で日立製作所製。

     くし形4流排気復水式タービンにより横軸円筒回転界磁3相交流同期発電機を回し

     54万KWを発電します。

     原子炉2号機も最新の沸騰水型軽水炉(ABWR)を使用しています。

     くし形6流排気復水式(再熱式)タービン発電で120万KW相当の発電量を確保。

     その燃料になりますのは低濃縮二酸化ウラン(禁断のエネルギー資源)

     長年に研究し培ってきた国内外の原子力発電所の建設・運転・保守の経験から

     実証により開発された技術の集大成により安全性・信頼性を保障します。







     安全神話

     低いものはタービン建屋、高いものが原子炉の建屋になるようです。

     特徴には、改良型中央制御盤改良型制御棒駆動機構原子炉内蔵型再循環ポンプ

     もちろん鉄筋コンクリート製原子炉格納容器などが採用されています。

     いま見えている奥の建屋に原子炉が眠っている…。







     原子炉と言えば必ず温排水。  取水路そして放水路のルートも自然保護に留意

     発電所に面した海岸を保護すべく海底トンネル方式が採用されました。

     温排水の拡散範囲が最小に保たれるように当時の技術を駆使しています。

     水深14~16m、沖合の500~600メートル地点に水中放流する仕組みです。







     セキュリティー

     核ジャックなどのテロ対策を意識した米国ほどではないですが

     パトロール車両の巡回からカメラ群による監視網は過不足ないようですね。

     核物質輸送などの分野を受け持つ警備会社が守備にあたっていることでしょう。






     原子力発電だからこそ厳重な設備管理が行われます。

     道路の向こう側にある運搬道路の防波堤に繋がるゲートも厳重に管理されています。

     ここから核物質(プルトニウム)などが船舶へ搬送されるのでしょう。





    

     防波堤によって潮流が変化し過ぎないように配慮されています。

     一文字型にすることで海岸線と平行にされています。

     物揚場に関しても海岸の自然を守るべく出島方式。

     さらに潮流を乱さないように下部が穴空き構造にされているそうです。





     周囲の海は驚くほど綺麗ですね。


     日本人は国土と生命を粗末にし過ぎと反省すべきです。

     原発は安価安定な電力供給だけでなく、将来訪れる廃炉プロセスのため

     収益の相当部分が資金として積み立てられることが電力会社の計画。

     東北震災以降、社会ではナーバスに廃炉だけが叫ばれ正常な均衡が乱れたまま。


     これはニュークリアー問題全般に無知か無関心で享楽に溺れ放置した民衆の事実。

     危険な原子炉施設と平気で添い寝?してきた日本人全体のエネルギー意識に疑問。

     過大な欲望を満たすためエネルギーを尊大に浪費してきたツケに苦しんでいる。



     また地震災害に翻弄され、深慮もなくヒステリックに津波防壁だ断層だと騒乱。

     日本列島は古代…人間が棲む以前から成立に無数の断層が関わる土地であります。

     活断層が危険と言うなら避けられる場所は殆どなく、尚且つ住民は居住地域を失う。

     それが日本というあなた方が暮らす土地の特徴なのです。



     理想はあるべきです。 そのネガティブな事実も考えて現実を捉えましょう。

     危険だからと放り出せない、さらに処理する研究が重要。

     責任からの逃避や論理性を欠いた反発よりも各地域の本質を生かさなければ
    
     冷静に己の足元を知るべきは国民の責務なのですがね。





     県道を走行して原発から離れながら俯瞰して眺めます。





     先ほどの大型クレーンタワーと防波堤をズームアップ。






     確かに側面に日立製作所の文字が記されていますね。





     いまだに原子力発電所施設は都市部から遠い僻地に作られるもの。

     当然ながら自然が美しい環境に近代的な建造物が建てられる図式は変わらない。






     危険と叫ばれながらも僻地の過疎化などには救いの手を差し伸べられるような投資。

     地方社会の抱える問題と原子力開発のバランス、その双璧に時代の波が…






     そして周辺には、住民に心遣いした慰労や娯楽などの施設も造られました。





     ここは 『花のミュージアム  フローリィ





     西欧風の素敵な建物で憩いの場です。





     四季を通して栽培できる植物のための温室棟。





     また…近年、続々と自然エネルギー風力発電の塔が殖えてきました。
    
     志賀太陽光発電所の取り組みでは、年間1000KW相当の発電を行います。

     (そんなクリーンなはずのエネルギーにも厳密に言えば障害はあるのです。)






     福浦風力発電所

     美しい景色ですね、山間部には白い花のように風車が回ります。






     
     5基もあれば一般家庭なら約1800戸分に相当する電力が期待できます。

     高さは50メートルほど、公表される発電量は年間21,600KWです。

     NEDO(エネルギー産業技術総合開発機構)の補助を受けた能登地方にも増殖中。

     (飛来する鳥たちのバードストライクも心配になるのは私だけではないはずです。)






     能登半島の観光地には風光明媚な海岸線には大小の集落や漁村も点在しています。

     有名な福浦港の全景なのですが、丸の印が雑ですみません。

     日本燈台濫觴之地”と記された石碑のある『旧福浦灯台』がある場所です。






     旧福浦灯台”のルーツは、慶長13年(1608年)に遡ります。

     日野長兵衛という人物が夜に沖を航行する舟人の航海安全に篝火を焚いたのが起源。

     江戸時代の元禄年間に灯明堂を建て、日野家一族が代々灯明役として守りました。



     いまある灯台は明治9年(1876年)、日野吉三郎により建造されました。

     どうやら日本で最古の西洋式木造灯台になるそうです。

     5メートル程ある高さ、内部が3層の構造をしています。

     明治43年(1910年)には福浦村営の灯台にされました。

     こうして現在の福浦灯台が設置される昭和27年(1952年)まで現役で使用。

     昭和40年(1965年)3月17日に日本最古の西洋式木造灯台として認定。

     石川県の指定史跡となりました。

     (クルマでは直接に行けません。 少し歩きます。)





     
      心ある人物の航海者への善意で生まれた灯台…ロマンですね。

      そして険しい岩壁のような奇岩が見られる外裏の海岸線には巌門”などの景勝地。





      ドライブインで休憩もできますね。

      古代の海蝕洞窟があり内部を見学できます。





      特筆すべきは海の透明度と綺麗さ…奇岩の景観を楽しむ遊覧船があるんです。





      たくさんの人々が訪れたのでしょうね。





    電力で得られた幸せ  インフラを管理する側と同様に
      
    誠実な人間性で守りながら暮らしたから日本は繁栄できたのです。

    近年、暴君の如く無恥に振る舞い公共インフラを損壊させて安全に危機感が絶えない

    道路も線路も公共の設備はお互いに守り大切にしなければ安全は達成されません。

    自動運転のクルマが出来ても乗る人間が俗悪なら無人車テロが続発するだけです。

    いくら安全な機械制御を増やしても使う人間次第なのですから。

    ダメな人間は、スプーンひとつ道具として使いこなせません。

    心が喪失した人間だから何をさせてもダメなのです。



    いま一度…信頼とは何か考えてみましょう。

    国民が思考を停止して全てを失った70年前の愚挙は偶然ではありません。

      


 
    この世界に安穏と生かしてくれる環境も安全な楽園などないのです。
    
    自らが人”として自律しない限りは不毛な否定論者で終えるだけでしょう。

    状況から逃げ出さず、私なら生かす側で原発すら使いこなさせます。

    生きることは過酷だからこそ得られた幸せは尊い…

    日本人だけが特別なのではないのです。







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