安宅の関に参られよ!
時折…上空を戦闘機の爆音が日本海を目指して飛んでいく砂丘地帯。
石川県小松市安宅町の海岸にある松林が…きょうの舞台です。
あの有名な歌舞伎の『勧進帳』、安宅の関跡だった場所なのでした。
与謝野晶子さんの歌碑も立っています。
遥かに日本海を見渡す海辺に訪れた歌人は与謝野晶子さんだったのですね。
『松たてる 安宅の砂丘その中に 清きは文治 三年の関』
案内絵図
能の舞台では演目の『安宅』…それより創作されたという歌舞伎の演目ですね。
歌舞伎十八番の一つが『勧進帳(かんじんちょう)』。
江戸時代では松羽目物として演じられたのは、如意の渡しでの出来事。
その『安宅』を元に創られた歌舞伎の演目の通りに関所は存在したのか?
…多少の疑問も。
砂丘の…ように歴史の風に姿を変えながら語り継がれた物語り。
今生の瞬きのように私には解りませんが…
元禄15年ですから1702年頃、初代の市川團十郎が春二月に初演したと。
最初の始まりは『星合十二段』に取り入れたことから演目が生まれたようです。
そして五代目となる七代目團十郎(市川海老蔵)の代に能から様式を学び入れます。
江戸にある河原崎座で初演されたのは天保11年(1840年)になってから。
当時の市川海老蔵が演じた巨漢…武蔵坊弁慶 は見事だったでしょうね。
平家討伐に奮戦し、数々の軍功を上げるものの…兄である源頼朝から追われた義経。
その義経主従の落ち延びる道を阻むのは安宅の関。
関守として待ち受けるのは源氏一門の賢人である富樫泰家。
都から遠く加賀の地で守護に任ぜられた富樫からは厳しい尋問を受けるのでした。
果たして?史実はともかく…
北陸道を東に向け山伏に扮装し、藤原氏の奥州平泉(岩手県)を目指す源義経一行。
最初から義経主従と見抜きながら、その人物を知恵比べでもしたいのか…
九郎判官義経に対して富樫泰家も追求の手を緩めません。
主君を受難から守り続け、この危機を乗り切ろうとする弁慶の名場面です。
笈(おい)の中より無地の巻物を広げると、即興ながら『勧進帳』を読み上げます。
(笈”とは?、修験者や行脚僧などのバックパック。仏像や仏具、経巻、衣類の背負う二段の箱)
収められているのは、母の常盤御前から拝領した懐剣などで正体が判明しかねない。
無論、南都東大寺を再建するための勧進の旅…勧進帳などとは偽物でした。
やはり才知にも長けた弁慶の機転ですが、まさに胆力が凄まじいですね。
しかも~さらなる嫌疑をかける富樫に対し、主君である義経を豪杖で打ち据える!。
(剛の者とばかり印象がある武蔵坊こそが真の知恵者。いかに胸が痛かったことか)
人間として…武士として、その主従の姿に感動し、遂には富樫も通行を許可します。
(勿論、富樫も義経を通過させたことによる己への咎めを覚悟してです。)
卑劣漢が蔓延る現代に、胸が熱くなる勧進帳の有名な場面なのでした。
左より… 義経、弁慶、富樫の像が配置されています。
静けさが漂う白砂青松を背景にした『勇 仁 智』のブロンズ像が立ちます。
いまなお讃えられる弁慶の智略と勇気、富樫の仁義の心。
二人の銅像は昭和15年に建てられました。 義経像は平成7年に製作されたもの。
美しくも儚い若者の物語り。 あまりに悲運の英雄である源義経。
卑しく立ち回り金や欲に執着しながら貧しい心根で生きる現代の人間達には夢のよう。
源氏の没落以来、御曹司である彼が歴史上の表舞台で活躍したのは…
成人後に兄である源頼朝に対面を果たし、藤原氏の本拠地である奥州平泉で
自害に追い込まれ非業の最期を遂げる31歳までの10年ほどの時間でした。
この平泉に帰還して庇護され滞在するまでの2年余りの歴史に空白があり…
不明のタイムラグが日本各地に残された義経伝説のルーツと考えられています。
加賀の國から能登まで…石川県内にも数多くの義経主従に関した伝説が残ります。
江戸時代に歌舞伎の出し物として一世を風靡した、ここ安宅の関の物語りが有名。
15世紀頃に書き記された『義経(ぎけい)記』という記録文書。
それは義経が平泉の地で自害してから200年も経過した15世紀初頭の書物です。
編纂された内容は国内での出来事。
15世紀後半の能舞台『安宅』の誕生に遡るのでしょう。
まさしく庶民文化が花開いた天宝11年(1840年)江戸時代…
七代目の市川團十郎により初演された歌舞伎の『勧進帳』は伝説となりました。
現代に受け継がれる歌舞伎十八番の一つ『安宅の関』の名は全国に広められたのです。
海岸の防風林、砂丘の杉林を抜ければ安宅住吉神社があるのです。
その反対側にある道路の傍らには?こんなユーモラスな力持ちの像が。
この周囲は、安宅公園です。
破戒僧と呼ばれながら男の心意気を貫いた英傑、武蔵坊弁慶の怪力と優しい人柄。
静かな散歩道を海岸に向けて歩いていけます。
JR小松駅からは、小松バスの安宅線に乗り約15分ほど。
関趾前で下車して徒歩なら3分。
北陸自動車道の小松インターチェンジからクルマで5分くらいですね。
歌舞伎の町”と呼ばれる小松市の安宅の関でした。
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