金沢で銭屋五兵衛記念館を訪れたら…

    見学後に、すぐそばの林までお散歩しましょう。






    記念館を示している立て札の → 反対方向へ行きましょう。





    よくお手入れされた雑木林を歩いて行きますと神社の鎮守の森でした。





    珍しい北前船の大きな錨が奉納されていますね(人間の背丈より大きい)。





    海の潮で錆び付いていますね。  航海の安全祈願に奉納されているのは船の錨。

    なんだか…海の男の息吹が感じられる。






    この敷地は、由緒正しい 大野湊神社 なのです。  












     奉納されているのは白馬 馬 です。












     木製とはいえ金属補強された車輪の台座、これこそ~からくりなのですよね。











     明神鳥居がありました。







    伝統ある城下町の金沢、海を臨む大野湊神社は1300年もの歴史に触れられます。

    延喜式内の古社で、大切な文化財と伝統芸能を継承してきていました。






    近所のおじさん達もワンパクな子供のころ、この境内で遊んだ童子なのでしょう。

    いつまでも懐かしい場所として守られてほしいですよね。

    社殿にお参りして…祈願 地球の愛と平和 (テーマが重いような^。^)







    神社マメ知識 にこにこ

    氏神神社といえば、私たちが暮らしている町や地域の神様を祀る神社で…

    つまり神社周辺に住んでいる人々が氏子(うじこ)なんですが。

    What’s 『』って? その血縁に繋がりのある御一族なら、祖先神と崇敬する神。

    それだけ縁の深い神様のことを氏神(うじがみ)と呼ぶのです。

    だからDNA”の螺旋みたいな血縁的なグループを氏子というんですね。






    それから暮らす地域などが同じ地縁的な関係から結ばれる人間が崇敬する神様なら…

    産土神(うぶすながみ)になり、グループが産子(うぶこ)なのです。



    いつしか厳密な区分は薄まり混同、氏神産土神氏子産子の意味も重なりました。

    現代は地縁的な関係があれば縁の繋がりがなくても氏子のカテゴリーになり

    無論、祀る神様は『氏神』と呼称して神社なら『氏神神社』と呼んでいます。





    ちょって休憩、お手を清めさせてくださいね。





    この神社の狛犬さん。   






    かわいい阿形の狛犬さん。   ところで吽形の狛犬さんは散歩中でした?。

    もちろん貴女の参拝をお待ちしています(ほんとうに逢えるかは謎 フフフ…)。





    深い表情のある樹木が…たくさんの人々を見守ってきたのでしょうね。






    その緑は数百年の気象現象を年輪に刻み込んだ…天然のアーカイブ。

     大野神社社叢






    小さな恋の秘め事もあったのかも…






    永き歴史を紐解けば…






    西暦への換算で727年(神亀4年)、陸奥の国から佐那(さな)様が航海中のこと

     (古事記に記載される佐那県からアメノタヂカラオのことでしょうか?。)

    海中から猿田彦大神をサルベージしたのだそうです。

    それは大野庄真砂山竿林(おおのしょうまさごやまさおのはやし)の地に既にある

    天照大神を祭神とする神明社の傍らに小さな祠を建立した勧請がルーツ。






    民俗学的解釈だと、佐那”は…さなぎ(鐸、類聚名義抄のこと)で製鉄との関連を示唆

    奥州からの金売による製鉄技術の伝承ではないかと考えられています。

    また『佐良嶽』とは、現在ですと金沢市金石町周辺、犀川河口南岸にあった砂丘地。

    佐良嶽の麓に大野湊神社は大野湊に昔から鎮座していた社であろうといいます。

    気象の厳しさで度重なる嵐や大波は旧い地形の砂丘地を侵食していき…消滅。

    神社も海に没したのではないかと想定されるのでした。

    こうして近世には…忘れ去られた名が『佐良嶽』なのかもしれません。 







    古き合祀により大野郷(現金石町)で湊の守護神となる大野湊神社となりました。

    729年(天平元年)、佐那武大明神(さなたけだいみょうじん)の称号を授かります。



    927年(延長5年)に成立した延喜式神名帳に記載してある加賀郡の式内社では

    2133箇所の国幣小社のひとつに数えられるそうです。

    佐那武大宮大明神または佐良嶽(さらだけ)明神という社号。

    平安末期の頃には大野湊神社の社号は消え、『佐那武社』と称されたとも?。


    この樹に教えてもらいたいです…。



    そんな時代の大野湊神社は、『白山之記』によりますと加賀馬場白山宮でも有力末社。

    いまも名残として境内末社となる佐那武白山神社を祀っています。

    1252年(建長4年)大火に遭い古大野から離れた寺中町の離宮八幡宮に奉遷します。

    その場所こそ現在の神社が建つ場所なんですね。







    群雄割拠の戦国時代になると荒廃していましたが、前田利家の手で再興を果たします。

    恒例行事の神事能の奉納が始められたのは、1604年(慶長9年)前田利長により。

    1639年(寛永16年)前田利常の時代に造営された社殿は現有しています。

    維新後の1885年(明治18年)廃藩置県されてから県社に指定されます。

    1966年(昭和41年)別表神社にも指定を受けています。

    1982年(昭和57年)石川県指定文化財となりました。



    海辺の夏祭りは勇壮なもの。 それが8月1日から3日間に渡り行う金石の夏祭り。

    525年間も大野郷に鎮座されていた時代を偲び、海岸の仮殿に神輿を奉遷します。

    もしも憶えておられたら、金沢の夏にいらしてくださいね。







    海の百万石 銭屋五兵衛記念館 で貴女らしい発見があるといいですね。




      『銭屋五兵衛記念館』    石川県金沢市金石本町ロ55番地


       JR金沢駅西口よりタクシーで約15~20分

       北陸鉄道バスなら香林坊・武蔵が辻方面より『金石行』もしくは『大野行』乗車

       『西警察署前』(銭屋五兵衛記念館前)下車して徒歩5分。

       (北陸自動車道経由で 金沢西インターより約10分程の距離です。






  



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