日本海沿いの快適な景色を少し離れ、国道8号線から寄り道すると
新潟県内の糸魚川市を横切る北陸新幹線の高架橋が見えてきます。
その新幹線に添う路線からゆっくり離れていくきますと…寺地遺跡公園。
周囲の道路も近年の整備で拡張されています。
(北陸自動車道なら糸魚川ICと親知ICの中間付近にあります。)
日本海ひすいラインと呼ばれる在来線にも沿った地域ですから分かります。
(市内バス路線ならば、寺地バス停で下りれた場所です。)
新潟県糸魚川市寺地にある縄文時代中期から晩期という集落跡は、
県の西端に位置する姫川(ひめかわ)河口から青海(おうみ)川河口の中間にかけ
日本海側に面した低い丘陵地の先端部(現在は住宅地の中)にあるのでした。
青海町教育委員会などが1967年(昭和42)からも5度の発掘調査を実施。
いまから約5000年前となる中期前半から約3000年前の縄文晩期にかけ
人々が暮らしたムラ(村落)の遺構が出土しました。
しかも出土している7基の竪穴住居跡は、翡翠の玉造り工房もありました。
(この硬玉製の玉類、大珠・丸玉などの工房跡は国内初かもしれません。)
栗の木による巨大な木柱4本を配置した石遺構も発見されています。
出土品には、貴重な硬玉製の玉(大珠・丸玉)、蛇紋岩の打製や磨製石斧。
釣針状、板状石器、敲石、石鏃、石槍、石錘、蝋石の大珠などが含まれます。
保存状態が良い土地で幸運でしたね。
復元された竪穴式住居が最高です(暮らしたくなりますよ)。
現状のスペックでも十分な生活環境を提供できるでしょう。
立派な梁ですね、これなら下手な耐震構造なんか敵いません。
縄文時代、人口も僅かな地で十分な海山の収穫も確保できたでしょう。
いまは内陸寄りに見えますが、温暖な縄文海進には海は間近だったはずですから。
パソコンや電気がなかろうと人間は幸せに暮らせるんですよ。
解析が進みますと縄文中期~前半から晩期に渡る永い時代にかけて
玉類を作り出し、特に硬玉(こうぎょく)や蛇紋岩による石斧(せきふ)まで加工
していた集落の遺跡だと思われています。
見知らぬ族長?や姫巫女を飾る玉の飾り…縄文ロマンですね。
硬玉は、ヒスイ輝石(輝石の一種)はジェイドとも呼ばれる硬い鉱物です。
糸魚川の河口付近から青海地域で採取された緑色の硬玉を
翡翠(ヒスイ)輝石の自然界で生成は、1万気圧に近い圧力に300℃程の低温
希な高圧で低温な状態での変成作用を要します(硬度も6,5~7,0)。
翡翠輝石など本来は白色の色彩をした石なのです。
淡い緑色の発色はアルミニウムなどの物質がクロムに入れ替わる変化の末。
その結晶構造が混乱して起こる変化と思われます。
硬玉(ヒスイ輝石)だからといっても必ずクロム由来で緑色を獲得したとはいえず、
糸魚川の青海地域にて産出する翡翠からクロムは…ごく微量しか含まれません。
ここでの生成物にはマグネシウムや鉄分、カルシウム等が含まれます。
やはり特別で不思議な編成で生まれる特殊な翡翠”なのでしょう。
伝説すらも時の彼方に消え去った地、縄文時代の人々の暮らしや祭祀の実態。
縄文人の意識や崇める神聖な自然界の神々、他の地域との交流など夢が膨らみます。
そんな寺地遺跡が国の史跡に指定されたのは1980年(昭和55)です。
JR北陸本線の青海駅をスタートすれば徒歩で約15分くらい。
まだまだ数多くの遺跡が静かに眠る新潟県。
古代の人も美しい海や自然に囲まれて生き抜いていたでしょう。
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