八幡原(はちまんばら)史跡公園 は、長野市にあります。

       激突! 第四次 川中島の戦い

       永禄4年(1561)に会戦した両軍の死闘が繰り広げられた場所です。

       まさに 武田信玄 が本陣を敷いて 上杉謙信 を待ち構えたという士魂の座標。

       それは…あたかも 正義 対 真実 の武力衝突のようでした。






    これこそ永禄4年9月10日朝 上杉謙信武田信玄の本陣に切り込んだ場面です。

    上杉軍を挟撃すべく配置した啄木鳥戦法の動向を見破った上杉謙信は…

    夜陰に乗じて妻女山から下りていました。

    この朝、信玄は援軍の到着を待たずに戦闘開始。 そこに謙信が電撃の突入!。

    単独で本陣を叩くという謙信の豪胆さ、信玄も床机(しょうぎ)に座った状態で一騎打ち。

    馬上の謙信は三太刀の斬撃を浴びせ、それを信玄が軍配で受け止めたというのです。





         ようこそ… 川中島古戦場 へ…











       八幡社 …これは 明神鳥居ですね。










       静かな境内…






         周囲には、激しかった戦場由来の石碑や遺構も見られます。

         三太刀 七太刀の跡






         執念の石

      戦略を見抜かれる失敗で窮地に陥った武田の軍勢。

      しかも本陣へ斬り込まれるという上杉謙信の進撃で信玄も絶体絶命の危機。

      その緊迫した本陣で、武将の中間頭である原大隅が死守したのです。





      原大隅は信玄の持槍である青貝”を掴むと馬上の謙信に鋭いひと突き!

      ことごとく切っ先を躱され、打ち下ろした槍が馬の三頭に掠めると大いに驚き乱れ

      結果…武田信玄は窮地に一生を得、上杉謙信は撤退していきます。


      無念の原大隅は憤り、傍らにあった大石を豪槍で貫いたという逸話が伝わります。






            最強の両雄激突





        風林火山の旗印   苛烈な戦で震撼させた歴史の事実





        道路の向かい側にはリンゴ園もある穏やかな公園ですよ。






        川中島の大合戦図
         






      この史跡近くには 幕末の鬼才佐久間象山 の銅像があります。グッド! クリック






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