小矢部(富山県)の 桜町遺跡 をご存知でしょうか。

   
     そして遺跡の埋蔵文化財を学べる桜町JOMONパークを訪ねてみましょう。




    館時間は午前9時00分~午後5時00分(入館は午後4時30分迄)

    月曜日が館日(祝日、振替休日なら翌平日)12月28日~1月4日は休館です。
 
    (もちろん料金は、縄文時代から無料のまま^^)駐車場完備


    縄文時代に繁栄した遺跡であり、概要は東に向かう小さな谷間の地形にあります。

    まだまだ遺跡の範囲をすべて調査できていません。

    これからの発掘が進めば遺跡の全容や新たな遺物の大発見も期待されています。

    昭和61年(1986年)の試掘調査により、約12000年前の縄文時代草創期

    そして約2300年前の縄文時代晩期にまで栄えていたといいます。







  どうも世間は?縄文時代というと弥生時代よりも野蛮であるような印象を抱いてませんか。


  しかし…そうではありません、縄文時代は日本列島独自の文化を育んでいました。

  推定1万年を超える時代は謎に包まれた底知れぬ深遠さで、自由な精神世界は宇宙。

  子供たちに自由な発想で学び研究してもらいたい






  肥沃な扇状地と古代の集落跡

  この桜町遺跡がある場所は、東向きの小さな谷間に広がっています。

  小矢部市教育委員会による調査も平成8年から12年計画で再開されました。

  当時の調査面積では遺跡全体の20分の1程度という領域でしたから不十分なまま

  再開された平成9年度には、谷の出口付近を発掘していました。

  (写真は、古代の高床式建築物などを再現したものです。)
 





  荒ぶる神々を崇め人々が愛した土地

  桜町遺跡となる土壌の地層は、今から約8000年前の縄文時代から江戸時代に渡るほど

  極めて長期間の人間が暮らしてきた生活遺跡であることが素晴らしい。

  途中、何度もの河川の氾濫などで住み処を追われながらも…定住の地に選んだ。

  縄文時代の遺構が集中する舟岡地区で調査すると、谷の中を流れた旧い川跡を発見。

  当時の生活具である多くの木の道具、動物や植物の遺骸が出土します。

  その結果として新発見された多量の高床式建築物の部材等は一般に公開されました。

  実に高度な加工技術ですから、周辺部には民話や伝説の残す聖地もあるでしょう。

  さらに小型のかご?らしき遺物の出土など新たな発見ラッシュがありました。

  今後も考古学上の大きな成果があると期待されている遺跡なのです






  教科書を変えた発見の地

  この遺跡では、日本国内の遺跡で発見されるようになった高床式建物の柱材が出土。

  おそらく…ここが日本海側で最初の発掘場所ではないでしょうか(とても凄いことです)。

  現在までの縄文時代に関した建築様式や…木柱列”の初期の出土場所なのでしょう。

  
  私の写真が鮮明でなくてごめんなさい。

  貫穴(ヌキアナ)、そして桟穴(エツリアナ)と呼ばれている加工が施されています。

  泥の中に埋もれて眠っていたため、奇蹟的に姿をとどめたまま発見されました。






  木柱の発見は、弥生時代に米作の技術ともども大陸から日本へ伝えられた定説を覆し?

  さらに遠く2000年以上前の縄文時代でも高床式建物が存在していた証明なのでした。

  各地では巨木で造られた高楼など、縄文時代のイメージが激変していますね。

  こうした土器からも縄文人の生活、暮らしを体験することは大切です。

  定住の跡と重層遺跡、ひとつの遺跡に各時代に堆積した土の層が重なっています。

  一箇所から縄文時代の全般に渡る遺構が発掘されている遺跡は実に珍しいのです。





  大陸からの侵攻と駆逐された古代神

  神武の東征”などで、永き縄文時代は終焉を迎え、弥生時代へとの変遷を辿ります。

  しかし、旧来の部族は伝統と共に駆逐され懐柔され神話は強引に書き換えられていきました。

  打ち砕かれた古代の神々を畏れ、大陸人は支配域を拡大していきました。

  失われた無数の欠片(ピース)のように…太古の意志が語りかけてきます。

  三内丸山や吉野ヶ里遺跡にも匹敵する文化の源流が眠っているかもしれません。 







  桜町の記憶…眠る太古の遺跡群

  発掘時の様子ですね。

  パネル写真で盛り土や木組遺構の特徴から状態が詳しく解ります。

  柱の転用材や何本もの板材やを並べてから木杭を使い固定していったようです。

  天然の資源の有効利用は、現代の私たちも見習うところが多いですね。

  木組遺構と岸との間には沢山のトチノミが入っていたらしいです。


  これが現れた瞬間の皆さんの興奮が感じられます。

  国道が開通したり宅地化が進んでいる為に十分な発掘が行えない事情も時代の流れ。

  消えた歴史は…幾層にも河川の土壌に埋められて全てを覆い尽くされたのでしょう。






  朱塗りの土器

  桜町遺跡から出土した植物には…こごみクルミなどが多く見つかっています。

  特に凄いのは、山菜のこごみ”が緑色のままで見つかり日本中を驚かせました。

  左上のイラストは、桜町遺跡から完全な形で出土したコゴミを擬人化した妖精さん。
  
  こごみちゃんです。

  (キャラデザインは吉田優子さん

  海岸部から離れた森林地帯の生活圏なのですね。

  そして貴重な縄文中期の鍔付き土器の見事さ、原始手法ですが朱漆塗りが施されています。

  古代から朱色は魔除けの色彩なのでした。





  縄文時代の食文化

  これは、川沿いに設けられた洗い場の跡らしいのですが。

  木材で加工された合理的なもの、野菜や木の実を調理したのでしょうか。

  天然素材を上手く利用した豊かな文化があったのですね。

  鹿、猪、鱒、鮭などの骨格も出土していました。

  狩猟も盛んな縄文時代ですが、定住して草食を中心の穏やかな暮らしぶりが感じられます。






  現代の人々の夢のカタチが再現された縄文パーク


  お子さんを連れて、または学校から生徒達と見学に訪れて下さい。ラブラブ!

  富山県小矢部市の身近にある最高の教科書として日本史のルーツを体験しましょう。

  いままで知らない方?歴史的な次の大発見を見逃していいのですか。

  予言します。  この地は三度、考古学を激震させるでしょう。






   ちなみに最近オープンした『 三井アウトレットパーク 』は目と鼻の先。  グッド! クリック

   古代史ファンならずとも歴史の潮流を訪ねてみれば最高です。

   イメージを膨らませて推理してみましょう。

   次の発見者は貴女かもしれませんよ!!




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