『釜蓋遺跡』
新潟県の上越市には、最近JR西日本 北陸新幹線が開通しています。
そんな北陸新幹線の工事が始まり偶然に発掘されたのが『釜蓋遺跡』なのでした。
そんな理由で、この遺跡の前には新たに構築された駅の西口にあります。
JR北陸新幹線・えちごトキめき鉄道『上越妙高駅』
釜蓋遺跡公園・釜蓋遺跡ガイダンスがオープンしていました。
胎児のような形をした勾玉…ヒスイの謎?
新潟エリアから産出し加工されたヒスイ”は、古代の交易で東北の三内丸山遺跡にも
運ばれていたらしく発掘されたヒスイの成分検査で判明しています。
まずは先に発見されていた『吹上遺跡』に注目しますと…糸魚川から産出したヒスイを
加工する技術者集団も暮らす珍しい集落だということです。
弥生時代中期(約2200年前)~古墳時代中期(約1700年前)の集落跡。
山麓線…主要地方道上越新井線の建設に伴い発掘調査が実施されました。
そこには全国有数の規模でヒスイによる勾玉作りが行なわれた痕跡が出土しました。
勾玉や管玉の工房から竪穴建物跡、葬られた方形周溝墓という人々の生活跡には
北陸から信州地方の影響もある多量の道具と土器、鐸形土製品までも発見されました。
これらの遺跡群は、上越妙高駅の周囲に近接しています。
山の麓にある斐太(ひだ)遺跡
平野部の吹上(ふきあげ)遺跡、釜蓋(かまぶた)遺跡、などを総称して
『斐太遺跡群』と呼んでいるのでした。
ある意味、新幹線が絆となって現代に蘇ったとも思えます。
『釜蓋遺跡』の特徴は、河川を利用する大きな環濠で囲まれた弥生時代の集落跡。
1800年を遡る古代遺跡は、なんと5ヘクタールの広さに分布しています。
(その環濠を水路として小さな船で運搬もしていたらしいのです。)
古代社会では上越地方の中心的集落であろうと推定され、調査を継続しています。
断片的な調査の進行度合いのせいで、いまだ謎を秘めた遺跡です。
『釜蓋遺跡ガイダンス』の役目は、遺跡発掘の見学や出土品展示をメインに
体験学習などを通じ遺跡に関する歴史のロマンを発信しています。
高貴な人の装飾品ヒスイの勾玉
ヒスイから勾玉に加工していく生産拠点らしく、出土した勾玉が粗削りのままにされ
完成していない状態の勾玉も多数発見されています。
また、緑色凝灰岩や鉄石英で細工する管玉の大量に作られていた痕跡もあります。
当時でも貴重なヒスイ細工、この地の重要性や繁栄が窺い知れますね。
弥生時代以降でも日本の人口は推定69万人とも考えられる説がある中で
斐太の地では500人以上が居住し、現代日本の人口へ換算すれば約8万人という規模。
いかに大集落であったか想像できます。
(※静岡県の登呂遺跡が推定20戸に50人程の集落)
上越市新幹線新駅地区土地区画整理事業に伴い実施された発掘調査で発見され
釜蓋遺跡は、駅から僅か200メートルの距離にある国指定の史跡なのでした。
思わず『いい~仕事してますね~』と、言いたくなる土器、壷など弥生後期の逸品。
弥生時代から米どころ
釜蓋遺跡の人々が暮らしていた1800年前の地層から出土した米。
人が生きるには食糧自給がカギ、原始的な農法から進んだ耕作法による食料生産。
その生活を支えたのは、青田川扇状地での稲作を重要視しています。
当時から豊かな周辺環境に恵まれた米どころ。
もしかしたら『越後の米作り発祥の地』かもしれませんね。
そう考えると身近な感じがしてくるではないですか。
出土した遺物の意匠などを比較すると、糸魚川や北陸、長野や東北までも広大な交流…
精神文化などに影響をもたらしあった文化のクロスロードかもしれません。
竪穴住居の柱根
様々な土器のサンプルが展示されています。
かなりのバリエーション。
この日も小学生の団体さんが体験学習にきていました。
すごく詳しい子供たちでビックリしました。
古代人になりきりファッション体験。
あくまでも仮説ですが『奴奈川姫(ぬながわひめ)』の治めた国の本拠地ではないか?
そうした説もあるようです。
『古事記』そして『出雲風土記』といった古代の文献をたどりますと…
奴奈川姫は勾玉を身につけて霊力により統治したという伝説。
(姫巫女…シャーマンのようですね)
解明されれば、越の国から一帯のクニ”に関する概念が大きく変わります。
ちなみに斐太遺跡群・釜蓋遺跡キャラクターの
フキ子ちゃん (吹上遺跡の…フキ)
カマ太郎くん (釜蓋遺跡の…カマ)
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