最終章として濃度も120%、歴史ミュージアムは楽しいところです!。



   国立歴史民俗博物館  グッド! くりっく 



    昨年末のブログを完成させてワープしました。 UFO


 
  ここに皆さんの懐かしい故郷の伝統芸能に纏わるものがあるかもしれません。

  印象が強かった『』、藁で編んで作られていること自体が素敵な造形。

  見事に立体的な姿で再現されています。  

  さて、どの地方の行事でしょう?。

  (そう考え始めるところから~愉しむ学びはあるのです。)

  お米を収穫したあとの稲藁(わら)を利用して祭られる豊穣の祈り

  ほんとうに瑞穂の国”…日本の水稲作に纏わる文化や芸能は実り豊かです。









  せっかくですから、私の個人的な意見を優先してしまいましょう(笑)。

  さらなる真実が知りたい場合は、博物館にいらしてください。


  ここ博物館は、各時代ごとにギャラリーが設けられているんですが

  たとえば第3展示室は『近世』、第5展示室は『近代』というように紹介しています。

  すべてが本物という訳でもなく、精巧な複製やシーンの再現が素晴らしい。

  やはり本で読むばかりよりインパクトが違いますよね。

  印象が強いので、試験になると映像で思い出せます。(^-^)/








    『すべての妖怪は俺の後ろで百鬼夜行”の群れとなれ!』(ぬら組かぁ~@)


  ありました!あの向こう側の…やはり怪奇幻想の世界…に心躍ります。


     妖怪が…貴女を手招きしていますからね(笑)。








  水辺の妖怪変化とくれば河童でしょう。


  やはり河太郎さんかな?

  謎のかっぱ達に出会えそうな故郷の方はいませんか、全国各地に伝説が残されています。

  不思議ですねえ。 これほどポピュラーなイメージを持ち愛されている妖怪はいません。

  妖怪、妖精なのか?地方によって様々な姿で語り継がれているんですね。

  ヨーロッパのニンフのような水の精と違い、どこか~おっちょこちょいでカワイイ

  または怪力であったり知恵がある河童の存在を…信じる人はたくさんいるんです。

  太古に滅んだ異種生命体の末裔?、水難事故で死んだ子供の幽霊に至る諸説あり。

  水郷地帯など…水資源が豊かな日本には欠かせない妖かしの代表選手

  そうした地域や民俗性に根ざした昔話をしてくれるお年寄りから聞きたいですよね。
 






     学術的な見解からの『河童』さん


  嘉永5年(1852年)に亡くなった学者の高木春山が『本草図説』に描いた河童。

  『本草図説』とは、それまでの20年余りに彼が編纂した博物百科のことです。

  当時の植物、鳥類、魚類、昆虫などが精緻に描かれた貴重な図譜でした。

  河童の図も…そんな江戸時代の知識人が話題とする謎の生命体?

  高木春山が模写した想像図から造り出した3Dの河童像です。

  人のようでもあり、両生類~爬虫類の特徴も備えた架空の妖怪である筈ですが…

  お馴染み頭頂部の皿(さら)”なんですが、まさか水は入らないでしょうが

  多分…湿り気を欠かしてはいけない部位なんでしょうね。

  (どんな働きの器官?なのか想像しましょう。 それとも単なる禿はげ^^)
  
  このまま動き出しそうでしょ(^-^)。










  18~19世紀まで、河童についてただならぬ関心を抱いていた学者さん達。

  平戸藩主の松浦静山(まつらせいざん)は、随筆『甲子夜話』に本所須奈村で捕らえた

  水虎(河童のこと)の図を描いているのです。

  また幕府奥医師の栗本丹洲は『千蟲譜』(せんちゅうふ)水虎図”として載せています。

  儒学者の古賀侗庵は『水虎考略』そして『水虎考略後編』を編纂していました。

  大学頭の儒学者である林述斎も古賀侗庵の『水虎考略』増補改訂を行ないました。

  羽倉簡堂も儒学者として怪談集『今斎諧』に河童の話題を提供したそうです。

  






  飯室庄左衛門が安政3年(1856年)に著した『虫譜図説』も虫図譜の大著でした。

  幕臣のひとりだった飯室庄左衛門は本草家(一種の植物学者?)なのです。

  詳細な写本も多くあるようですけれど、国内で昆虫などの採集と観察に関してのバイブル

  (そんな中にも書かれているんですね~河童^^の怪異)

  川獺(かわうそ)の見間違いでもなかったようですよ?。

  江戸時代に有名な図譜には『栗氏千虫譜』と並ぶ名著でした。










  佐賀県   松原神社所蔵の河童像(複製)

  すごく筋肉質な腕、木像としても珍しいでしょう。なんか親父っぽいんですけれど?

  ハチマキ姿が粋ですよね。 どんな昔話が残っているんでしょう。







  

  畏れられ忌み嫌われた妖怪には、人間社会の犠牲者たちの影も感じられませんか。

  ムラ…村から町へ、国家として形成されていく日本列島では駆逐され排除された人々

  差別され消された一族の怨念も介在しているはずです。

  土蜘蛛など、もしかしたら古代に存在した特有の民族が土地を奪われ追われた姿なのかも

  北海道~東北を蝦夷(えみし)と呼称するのも差別のようなものでした。

  不都合な民族や人間は怪しげな扱いに貶めていた名残りでしょう。

  伝説を紐解いていきますと、大和朝廷の支配体制から陰惨な部族衝突や事実の隠匿も…

  日本固有の因習と言い伝え…無知と無明の意識が生み出した哀れむべき犠牲者の真実。


  

  戦国時代の頃までは、異国の宣教師や鼻の高い外国人までも妖怪の類に扱われたのかも。

  …宇宙船内で暴走したコンピューターHAL、妖怪人間ベム。アニメやSF小説など濫立

  そこは自律稼動した人工知能も含めて現代は妖怪の意味も広がった気がしませんか?。

  人面犬なんかは、SF映画ボディスナッチャーにまで出ていましたね(笑)。

  口裂け女~花子さん~○○ウォッチ?とか都市伝説の背景には時代を映す世相の幻。








  上の図は、京の都で最大の怪異『百鬼夜行』、京の大路を毎夜練り歩く妖怪たち。

  下は鬼女ですね。 もしかしたら福島県の安達が原『黒塚』に伝わる話でしょうか。
  
  あまりに哀しい悲劇…鬼婆岩手の業(カルマ)。










  不可思議な姿の深海魚や地震絡みのナマズなども怪魚扱い、不知火など自然現象系も

  海底の異常な地殻変動で打ち上げられた魚の死骸や迷信のナマズは関連していた?。

  現在ならば…さしずめ正体不明生物のUMA”でしょう。


  
  右側の図?なんだと思いますか。

  ライトニング! あの雷の正体だと思われていたケモノ『雷獣』なんですよ。

  カミナリは超自然現象として扱われた気象現象の最右翼!

  寛政8年(1796年)肥後の国、熊本領竹原に雷雲から墜ちてきた妖怪なのです。

  黒い体毛の長さは3寸5分…まるで形状は獣の狼? つまり四足の哺乳動物に酷似。

  
  私は大胆な仮説を立てています。こうした事件は落雷で偶然に巻き込まれた野生動物

  犬などが焼け焦げ変形して死亡しただけであって、その現場を後で見聞した人間が…

  天空から異形の生物が雷とともに落ちてきたのだと思い込んだのだと思うのです。

  これなら原因解明でしょう。雷


  (上空で大気摩擦が~どうのと説明したら、お侍さんに無礼斬りされそうですが)




  左の猿?に見える生物は『尼彦』(あまびこ)と呼ばれています。

  これも肥後の国熊本之本領分真字郡に現れたという妖怪…

  予知能力があったと言われ、猿のような頭部と三本脚の姿をしていました。

  里に出現した際に…『この先に豊作になる、そして流行り病の危険が近付いている』

  そして『我が姿を描いて貼っておけば、難儀も避けられる』…と告げると消え去った。


  もしかしたら、山の生き物(猿)に珍しい片足の奇形が目撃されて?

  それを目撃した里人が災難の予兆や怖ろしい病気の流行を予期したお話しかも。

  こうした逸話は、いくつかの出来事が重なり合い…ひとつになったのかもしれません。

  (現代でも公害で奇形種サルが頻繁に生まれて影響を危惧するケースはありますが?)

  






      しぐさ呪文

   ガーン  くわばらくわばら~ ?とか、 ショック! 痛いのいたいの~とんでけ~  

  (こんな言の葉で厄払いの呪文を唱えたことはありませんか?)

  くわばらくわばら…の意味は、気象予報士の半井小絵さんによりますと(^-^)

  大宰府に左遷されて憤死したという『菅原道真公』が雷神として京の都に祟りがあり

  しかし桑原という地だけは故郷であり災難が無かったそうです。

  それで人々は怖い雷が鳴り出すと『くわばら くわばら』と呪文を呟いていたのです。

  とても面白いエピソードですね。




  また手で印を結ぶという行為について…チョキグッド!

  禅や呪い、そして忍者なども両手で特殊な印を結ぶことがあります。

  これも何か意味がある筈なんですけれど。

  よく理学療法で、リハビリに指先の細かな作業を行なうと…脳神経にフィードバックして

  回復に効果的だという報告がされています。

  
  昔の人々も経験的もしくは大陸からの伝来で、指先で様々な印を結ぶと意識に影響した。

  精神の集中や大量の記憶をしたり…さらに不可思議な脳領域の機能を目覚めさせる?

  痛みの緩和から筋力増大、傷病からの回復を早めたり…失われた技術があったのでは

  既に知られた単なる信仰やポーズ以外の深い意味があったと思いませんか。

  
  …ええっと?こうやってこうやって  キツネさんとか(笑)影絵。











  この大きな顔はお人形様といいます。

  福島県田村市朴橋では、疫病神の祓いとして祀らわれているのです。








  何者かから守るように両手を広げたまま、片手には薙刀を持って立っています。

  毎年4月になると祀っている保存会の人々が藁で編んだ服を衣替えるのですが。

  杉の葉で出来た頭髪も替え、お面には塗り直しが行なわれます。

  いまも続いている行事で市内の屋形地区や堀越地区にもお人形様が飾られています。



  集落の入り口には道祖神やお人形様を飾り境界線の守りや結界の役目がありました。

  こうした特徴ある空間認識やエリア意識は侵入者への警戒心なども表しています。

  さらに呪物として草履や蛸やサイコロに模したものを一緒に吊り下げる風習も…

  もっと東北にも取材に行きたいですね。












  沖縄の民俗行事である


  『バリャブニ   ハーリー船

  ハーリーとは『爬竜』と書くのですが、沖縄地方の海神に向けた行事のようですね。

  旧暦の5月4日、沖縄県内各地の漁港には爬竜船競漕とその祭りが開催されます。


  漕ぐのは爬竜船(はりゅうせん)、それを競い合い豊漁や航海の安全祈願。

  海に御願(ウガン)する神事なのだそうです。

  面や装束などは…中国などのアジア地域から影響を受けているのでしょうか?

  海の行事とすると、『尊農』や『五穀豊穣』の幟があるのは何故でしょう。

  私も知りたいことばかりなのですよ。






  
  これは沖縄地方の『獅子』なのですね。








  見学当時の鮮明な記憶が薄らいできてまして(すみません^^)記述が合わない箇所?

  ありましたら~ドシドシ御指摘コメントお願いしますm(_ _ )m。






  この藁で編んだ『』なのですが?

  中国~四国地方に古く伝わっている『荒神(こうじん)信仰』に関する行事のものでしょう。


  この特集展示は比婆荒神神楽です。

  2015年1月12日まで総合展示第4展示室で飾られていました。


  どうやら中国地方や四国では神楽にある娯楽や芝居の要素を愉しむらしく

  神楽が盛んに行なわれているそうです。

  伐木の職人さんである(そま)…杣というものは古代の中国地方で国家の管理林でした。

  現代は杣工”のように林業労働者の呼称となっています。

  農耕や大工、鍛冶などの生業に関わる神楽の伝承。

  また、四国の高知県で山村物部地域に伝承されてきた『いざなぎ流』などの歴史について

  非常に興味深い紹介をしていました。

  いつの世も人は…民衆は祈り続ける。









  古代から信仰された荒魂(あらみたま)

  皆さんにも郷里の山河、森にも河にも自然の神がいるのでしょう。

  里山に伝わる神様に対して畏敬を忘れない至誠…心から手を合わせることが大切です。

  荒神…そして山野には祀られる山神もあれば水神もある。

  田植えと収穫期には行なわれる地祭りも神楽が日常的に親しまれてます。

  (17年や33年ごとの式年には収穫後に能舞いや託宣の神事をする大神楽も…)




  日本列島、実に地域によって独特な自然信仰の形態や伝統があるものです。

  こうした行事がいつまでも廃れないでいてほしいですね。











    『西表島の節祭

  このお面は弥勒です。(西表島ではミリクと読みます。)

  島内にある祖納千立船浮などの集落では、旧暦9月の己亥になると節祭”を行なう。

  この行事は3日間に渡る祭り事、つまり農民のお正月なのです。

  その1日目は大晦日にあたる『年ぬ世』(トゥシ

  2日目には正月元旦となる『世乞い』(ユークい)

  3日目は『井戸の儀式』(カーのぎしき)という順序で祭礼は進みます。

  海の向こうの異郷ニライカナイから弥勒世(ミリクユ)である世果報(セガフ)を迎え

  新年の稲が豊作になるようにと祈願するのです。

  (写真パネルは、ミリク行列と道化役のオホホ)

  まさしく奇祭ですね。










      招き猫

  もうほとんど千葉県~招き猫軍団(^-^)みたいです。

  たくさんありますね、これは日本中の招き猫でしょうか。

  赤い猫”は病気除け。    黒い猫”は魔除けです(宅急便ぢゃないですよ)ニャ。

    ネコちゃんの肉球ハンドパワー感じますね。
にゃー







          ほんと見ていて楽しいですね。

    魔女の使い魔猫は…チェシャ猫といいますが、まるでルイスキャロルの世界ですね。  

    ほんとに博物館こそ不思議の国…貴女はアリス
 ドキドキ






  ダルマさんが転~んだ。  うっ、ここから動けないです。ハロウィン

  福島の白河だるま、埼玉の越谷だるま、群馬の高崎だるま、東京だるま~などなど☆









   あのビリケンさんもいるんですよ。

   (この辺はご利益120パーセントの展示ですね^^)

   時々…背景に悲しげな女性の影が見えるとか…いう意見がありますが錯覚かな。

   もしやパレイドリア効果でしょうか。

   ※パレイドリア効果?とは、壁の染みや汚れ~影などが人物の顔に見える錯覚のこと。

   (ちなみにどれにも触れませんからね。)
パー禁止






  ビリケンさんの由来

  幸運を招いてくれる子供の像だそうですよ。

  美術家の女性『フローレンス・プレッツ』さん(アメリカ人)が考案者。

  世界中に知られる幸運の象徴。

  大正元年(1912年)に日本に伝わり、大阪の新世界にある遊園地に設置され有名に。

  それから時は流れて…昭和55年(1980年)、通天閣に新しく置かれました。

  関西で、足の裏を撫でれば願い事が叶うという伝説は本物らしいですよ。あし

  (ビリケンさんにバビンスキー反射は皆無という報告が…錐体路障害は起きてません^^)

  いまも米国セントルイス大学に本物ブロンズ像があるそうなんですが?。


  






  ヤマタノオロチ

  比婆荒神神楽の能舞い  『八重垣の能』で登場します。

  もちろん所狭しと暴れまわります。(貴女からも叱ってやってください)









  日本各地の荒神信仰


  いざなぎ流祈祷と仮面の祭儀

  『面(おもて)の舞』と呼ばれ、まずは爺と婆の滑稽劇で大いに笑わせてくれます。

  それから、面を被る者が邪気を祓うための呪術的な反閇の足踏みを行なう祭儀です。

  自然の山河にいる精霊を鎮めるための舞なのです。

  なにより仕手と…仮面を被る理由は、その面には怖れられる精霊を抑える呪力が…

  








  展示物で石川県に関するテーマもありましたので紹介しましょう。

  これは珍しい坂網猟という狩猟の道具です。

  石川県の民俗文化財に指定された伝統猟法なのです。

  片野鴨池周辺で丘陵地を低く飛び越える鴨を、坂網と呼ぶY字形の網を投げ上げて捕獲。

  始まりは約300年前、江戸時代の元禄年間に大聖寺藩主が武士の心身の鍛錬として奨励

  当初は藩士(サムライ)が行なっていました。

  坂網の長さは3,5メートル、Y字形の先は幅が1,8メートル、重さ約800グラム

  檜(ヒノキ)材と竹、網から造られました。

  夕暮れ時に飛び立つ羽音を聴いて鴨めがけて三角形の網を垂直に高く投げ上げます。



  鉄砲など使わないで越冬する鴨など水鳥を捕獲する道具です。

  加賀の湖沼地帯は渡り鳥にとって最適の水辺で毎年越冬する鳥の棲みかになります。

  この網に遮られる形で捕獲できます。(谷切り網、張り切り網、峯越し網など)

  他には餌を撒いて近付いた鴨をまとめて網で被せる無双網などの猟があるのです。

  …野生の鴨って、ほんとうに綺麗な羽根の色をしているんですよ。



  人が生きる糧を得る以上の命を手にかけない…慈しみがある故の自然とのバランス

  こうした厳寒の季節に見られる風物詩ですね。










  奥能登のキリコ祭りに使われる奉燈の『きりこ』

  詳しくはキリコって何でしょう。 
 グッド! クリック





  
  キリコは能登各地(石川県)の祭礼に登場しますが

  特筆すべきは『宇出津のあばれ祭り』、神輿がぶつかり合う!海に入る!壊される

  勇壮なパッションを感じさせる伝統の神事は迫力満点!

  奥能登の祭り。  真夏の炎の祭典ということでしょうか。









      文明の邂逅
  
  江戸時代より昔、国際社会の中に見る日本は東洋にある辺境の孤島に等しく

  しかし未だ日本人の世界観は狭窄したまま、外国人に対する理解も…こんな感じです。

  果たして理解していると?言えるのかどうか。

  キリシタンなどもそうですが、欧州など遥か異郷の住人は…今の感覚なら宇宙人。

  新たな文明の潮流は難破船と、異風の装束に顔立ち見知らぬ言葉の異邦人との遭遇…

  凄まじい轟音を放つ武器(鉄砲)を携えた大男たち。

  We are not alone.

  当時の日本人にはポルトガル人も?宇宙からの訪問者に近い存在でしょうね。










      世俗とは異なる衣装といえば…

  マタギなど古き猟師の正装、まさにフル装備です。

  近年まで銃器を所有できた数少ない職業です。

  かなり古い形式の銃を使いますが…威力も野生動物とのバランスがとれていたでしょう。

  (あまりに強すぎる武器は無為な殺生を増やすだけですからね)




  ポルトガル人から鉄砲が偶発的に種子島に漂着した頃、

  九州で有力な砂鉄の産地になる豊後を領地とした大友宗麟なども鉄砲鍛冶により国産化。

  九州にいた宗麟も天下を狙わぬまでも武装強化で自衛を考えていたかもしれませんね。

  戦国時代という背景が武器開発を加速する炸薬?になってしまった訳です。







  近世の日本は、江戸幕府の体制下で管理されながら…

  長崎にある出島などの限定した拠点でのみ通商関係を開いているのでした。

  中国やオランダ商船は長崎口、朝鮮外交は対馬藩の対馬口、琉球には薩摩藩が薩摩口

  そして北海道も開拓とは程遠い時代、蝦夷の地はアイヌ民族が暮らす楽園でした。

  アイヌの人々と交流(通商関係)するには松前藩が松前口として機能していたのです。

  17世紀以降は日本近海の航路が定まって、廻船組織も発達しながら大量輸送も可能に

  それは日本国内の日常生活の豊かさに繋がる変化でした。

  (陸路による庶民の旅も頻繁になっていきました。)



  鎖国”という状態にはありましたが、国民に鎖国”という言葉や意識はありません。

  完全に外界から隔絶されていたら、吉田松陰など偉人もいなかったでしょうね。

  こうした四つある対外折衝のゲートというべき拠点から僅かでも情報や文物の通商が

  途絶えず行なわれていたからこそ、遂には明治維新という最大のパラダイムシフトを

  成すべく命がけで可能性に突入した。


  

  明治7年(1874年)明治政府は、『屯田兵例則』を制定しています。

  士族授産の一環とすべく、士族を募り北海道の開拓を兼ねた防備の尖兵としました。

  札幌の琴似兵村には東北出身の士族を配備していきますが、苦難の始まり…

  栄養どころか食糧自給には程遠く、満足な防寒具もない凍傷と餓死までする冬

  その無理難題と環境の厳しさは到底説明できないほどでした。



  さて、日本人が歴史上…奥州(東北)や蝦夷地(北海道)を搾取の対象として…

  過酷な寒冷地でありながら不遇の扱いをしてきたために永く知られぬ土地にされてしまい

  アイヌ民族の芳醇な自然との融合と精神文明も正当な評価をされずにいました。

  彼らの意志を黙殺し、明らかな民族浄化”に等しい政府のあり方を忘れてはいけない。


  (古代から続く血脈に伝えられ洗練された原初の自然観、見事な芸術性が素晴らしい)






 三味線(蛇味線)琉球にはいない、インドニシキヘビの皮が張られています。

  南国の風のような~心地よいリズムに躍りだしたくなる、情熱こそ夢ではないか。

 (画面の324などと記された番号は、館内で借りる音声ガイダンス機器の便利な表示)









  そういえば安土桃山時代からはキリシタンの国内活動が一段と広がりをみせます。

  イエズス会の布教活動で注目すべきは、巡察師ヴァリニャーノによりもたらされた

  欧州の印刷機を用いて大量の印刷と出版をしています。

  ローマ字と日本の国字である漢字やカタカナ平仮名で、和文体と欧文体~混洋本

  宗教書に限らず、語学書の『日葡辞書』から日本の古典文学まで残っています。



  江戸時代にいた研究者の向井元升の考察によりますと?

  キリシタンが盛んな時代に次々と南蛮名を名乗る人が表れ、日常の衣食や冠婚葬祭の

  シーンでも南蛮風を愛好していたそうです。

  洗礼した者は、たとえばフランシスコ府蘭”というふうに署名しました。

  印章に象っているのです。またローマ字印を使う大名もいました。

  (イエズス会は標章がIHSでした)


  洗礼名には…大友宗麟がフランシスコ、印はFRCO

  黒田孝高如水)がシメオン、印はSimeon Josui…となりました。 

  さらに、黒田長政のCuro NGMS、 細川忠利のTada toxi など

  










  万延元年(1860年)日米修好通商条約批准による遣米使節を渡航させて以来

  幕府の正式な使節や留学生が欧米へ向けて派遣されました。

  元治元年(1864年)の外国奉行『池田長発』と使節団一行の写真です。

  このロケーションでお分かりのとおりエジプトです。

  スフィンクスの前で、集合写真を撮るチョンマゲの侍たち…感動でしょうね。

  そう日本人の金字塔なんて言の葉もピラミッドのことですよね。

  彼らにとっての旅は重要任務、『夷情探索』です。

  欧米の文明レベル、軍港や艦船など軍事から進んだ社会制度の実地見聞がお役目。

 
  有閑な時を無駄に費やし、ゆとりや余裕とは程遠い現代の観光客の行列とは異次元

  (昭和~平成の政治家が視察と称して時間潰しに終始するのも惜しい話しでしょう)

  過酷な船旅を経て、頭脳と感性をフル動員する記憶と学習記録に全力で挑む。

  使節団の見聞の密度が全く違います。



  ぼんやりと眺めているのではない…視る”という意識があるかないか。

  漠然と無為に時間を過ごさない、責任を果たす信念から違うはずですよ。

  明治維新などで並外れた偉人が誕生したのも当然でしょう。



  生きて、そこまで必死に何かに挑戦したことがありますか?。


  人生の密度”あらためて考えさせられます。










  

  もっと濃厚に沢山の紹介がしたいのですが、実際は博物館にいらしてください。

 




  多彩でスペシャルなお土産も楽しみな博物館の魅力のひとつ

  とても素敵なグッズを手に入れましたよ。


  





     

     ありがとうございました。
ドキドキ




     国立歴史民俗博物館① グッド! クリック   始まりの…










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