春日山神社に集いし者たちは…


超越的な人間像が伝わる上杉謙信公ですが、それは大剛の武士として人間としてのプライド。

手段を選ばぬ下衆に成り下がらず、殺戮や略奪などを平然と行う醜悪な獣に陥らぬため。

敵に塩を贈ったなどという人間的でフェアなエピソードは象徴的です。

単なる殺し合いなどではない。







いつでも、死地から生還することを願う家族の姿。

何もかも焼き尽くし奪い取る戦(いくさ)が憎い、出兵した夫や息子の帰りを待つ母…

ユーモラスな造形の中には確かに深い意味が隠れているようです。


言葉遊びのように、蛙(カエル)に託したメッセージ。 ぶじかえる










まるで石造りの『鳥獣戯画』のようです。

普遍のテーマを幼子にまで解るように配置されているのではないでしょうか。

まずは思考…かんがえる










おさるさん~のベンチ。  手で持っているように見えるところが可愛いでしょ。




戦においては敵の策略に乗せられずに、己のペースに引き込みイニシアティブを掌握する。

有名な孫子の兵法。その虚実篇では…『善く戦う者は、人を致して、人に致されず


果たして?、おさるさんの支えているベンチに座るべきか~はて(笑)。

いくさ?はともかく、可愛すぎですね。














そういえば、俳人の小林一茶が詠んだ俳句の素材で、一番多く登場するのは。

虫ならば…『』。

鳥ならば…『』。

獣ならば…『』?。   とも言われます。  の題材も多いですね。





思春期には、肉親である親とも衝突するかもしれません。

戦の火種は、あらゆる場所に潜んでいます。

そんな時に思い出してみましょう。 この世に我が子が憎い親などいません。

厳しさも愛情あればこそ。


 親子 なかよし かえる














森の知恵者の一人、みみずくさんのベンチ。



鷲鳥(しちょう)の撃つや、必ずそのカタチを匿す… という言葉がありますね。

猛禽類が鋭く獲物を狙う時、己の姿を隠して最良の機会を待つということ。

まさに情報管理のこと、孫子の兵法なら迷わず思いつくのは!

兵を形するの極みは…無形に至る。無形ならば、即ち深間も窺う能わず、知者も謀る能わず


まさに下克上の時代を生き抜くことは苦慮したでしょう。


もちろん~庶民派の味方 みみずくさんは、

能あり過ぎた鷹や鷲が、爪どころかクチバシや鋭い瞳、名前や翼まで隠した姿じゃありません(笑)。













きつね(狐)さんのベンチ。  千客万来の札を持っています。

キツネさんも神の眷属~かなりの知恵者ですけれど。


兵法書なんか昼休みの屋上で読んでいそうな雰囲気だな。

さしずめ… 『(か)を知り、己を知れば、百戦して殆(あや)うからず

その肩に担いだベンチ。 横向きにメッセージを手にした姿。

先知に長けた才覚。 どのように事態を分析し、勝利の希望は決断からしか生まれない。



鳥山明さんのマンガに出てくる、キツネ面の少年も…いい味わいですね。


田舎の神社の縁日で出会いそうな~ほのぼのキャラ。



しかし、千客万来?ってのは招き猫なのでは。

そうするとさん。 ごめんニャさい(^^)最近は大好きな犬科のことばかり考えてたから。

猫ちゃんも~知恵の生き物。 なんだかキツネ顔?してるのだけれど。

果たして真相は?、既成概念だけで判断していいのでしょうか。にゃー












まさに森のエンサイクロペディア。 フクロウさんは~知恵袋ですね。

まさに、脳内アカシックレコードのようですけれど。


世界を震撼させるロジックなんか平然と繰り出しそうな好々爺の仮面の下…。


戦わないで勝つ戦略は、心得ておられる御様子。 戦なら謀攻篇ときますかな?。

百戦百勝は、善の善なる者に非(あら)ざるなり。

       戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり
















境内には、石造りの神明鳥居

鳥居は神域と俗界を隔てる結界の門(ゲート)でもあるでしょう。

くぐる度に神妙な気持ちになります、こうした鳥居に私は神社らしさを感じます。

代表的なデザインは素朴で、柱も笠木も丸太を用いた直線基調。

古くは伊勢神宮の創建あたりから登場したようです。














境内の左方向に進むと… 毘沙門堂に向かう目印があります。

二の丸や本丸跡地は、さらに春日山を登っていきます。

上杉謙信公が、ドラマの中で瞑想し修行する岩屋があったと思いますが。

この山には実際… そうした洞窟はないようですね。

毘沙門天が安置された、小さなお堂が建っています。

ここは多くの方々が紹介しておられるので、皆さんも見学に参拝にいらしてくださいね。
















先ほど登ってきた石段を眺めますと、スキーのジャンプ台?みたいな急角度です。



歴史上、こうした急斜面を制した人間の戦術は、牛若丸こと源義経であろうか。

常識を覆せ一ノ谷の戦い』。

鵯越(ひよどりごえ)にて軍を二分すると、義経主従を中心にした僅か70騎ほどを率いて難路を西へ向かう。

道案内にと武蔵坊弁慶がスカウトした猟師の若者からインフォメーションを得ました。

義経も若者の人柄を気に入り、郎党にすると『鷲尾三郎義久』と名乗らせます。

驚異の難路であり人馬も越えられぬ鵯越(ひよどりごえ)を…鹿なら道を越えられるかと問う義経。

『鹿が通れるなら、馬も通れようぞ!』(トップの判断ですから)

鵯越のポシビリティー(可能性)は、歴史を変える大事件として源氏に勝利をもたらした。

(攻略不可能と安堵し油断、背後からの攻めに狼狽した平家の大群は、僅かな手勢の奇襲に敗退。)



現代なら、下りを制したのはダウンヒルスペシャリストの藤原拓海くん。

(どちらもフィクションすれすれの超人技を繰り出せた人間力、勇気と決断の伝説。)


上杉謙信公の凄まじさも、まさに苛烈な攻めと電撃的な戦闘スキルあればこそ。
















見上げても急な斜面に、よくぞ造ったという感じ。


戦国時代、城攻めに重い鎧を着た侍たちは難攻不落の城砦から一気呵成の逆落としに逆襲された。

平成の世では… 和める癒しの空間。  とても不思議な神域でした。











春日山城址への案内看板には、解りやすく図解されていまして。

城と上杉の布陣が分かりやすく一目瞭然。

もちろん当時(戦国時代)あったら即日落城していたでしょうね(^^)。

情報管理とは、まさにそういうこと。












帰り道に、春日山の麓にありますのは『春日神社』です。


印象の強い朱塗りの鳥居が鮮烈ですね。(明神式鳥居)











いまより昔、千年以上前の天徳二年(西暦958年)春日山山頂に創建されていました。

永徳年間、守護代の長尾高景により春日山城が建てられる際に、鬼門の地に遷座されました。


越後では守護代となった上杉家の氏神となり栄え、奈良春日大社から分霊を祀ることとなり

春日山城の名前の由来ともなりました。

杉木立は巨木となり夏は涼しく、冬の風雪から守りし参道も理にかなう名跡でしょう。














これより先は聖なる神域である。  明神鳥居は無言で語っているようです。

上越市のある越後の地も歴史の要所として数々の遺構や旧跡がございます。

貴女も訪れてみませんか。











その向こうで… 歴史を垣間見れるかもしれませんね。

















   
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