『尾山神社』は、ビルの立ち並ぶ香林坊で目立つ一角にあります。
しかし…意外と気づかないで通過する観光客も多いのですね。
市街地は、金沢城を取り囲むように展開する商業ビルや民家の景観。
この尾山神社も城の出丸であった土地に移設・造営されたものです。
ロケーションも良くて、優しく違和感なく溶けこんでいます。
どこにもないような美しさ、それは西欧の文化を学んだ安土桃山城のような秀麗さ。
本殿は…とてもシックな建築様式ですが、まとまりは近代的な感じを受けます。
それ故にモダンな神門が一層際立つのでしょう。
織田信長の安土桃山城は戦国の城というよりも、正面に石段を設け外部に開放された構造。
欺かず、背かず、受け入れる開放的な懐をみせています。
あたかも国会議事堂の様に、人々に開かれ政治を行う場所として機能したようです。
もしも信長が自刃せず…そのまま城が運用されれば、亜近代?とも言える歴史が誕生した。
If…歴史に感じるもしも、灰燼と帰した安土の城は数世紀も前に国際化を果たした。
そう考えると魔王とすら呼ばせる諧謔を振るう、性急な信長の生き様が哀しく思えます。
平和な時代に築きあげられた尾山神社のような建築物は、意欲的な時代の先進性そのもの。
これからの金沢には、シンボライズされた文化と伝統の発信と継承の中心となるでしょう。
この神社の境内を歩けば…武勇の誉れ高い戦国の武者に出会えます。
軍馬に跨り、青雲の如き高き理想も野心も秘めていたでしょう。
若き日の利家は、紅い母衣を背負い剛槍を握り締め、嵐のように戦場を駆け抜けました。
いつしか少年は、大剛の武士に…その異名は『槍の又左』。
荒子城主『前田利春』の四男坊であった犬千代も元服して、前田又左衞門利家となる。
がむしゃらに北陸の地でも戦い続け、後に能登国二十三万石を拝領して大名となりました。
信長が本能寺の変で明智光秀に討たれる事態へと時代は風雲急をつげる激震の中。
いつしか戦功を上げて若武者の名は揺らがぬ自信に満ち『前田利家』は百万石の大名に。
血気盛んで喧嘩っぱやい、大いに傾奇者としても知られる青春像。
現代の脆弱な若者には想像もしがたい、死が日常の戦国時代。
境内のブロンズ像からは、気迫のようなものが伝わってきます。
いざ参らん!!
彼もまた天下人の候補者でありましたね。
それでも、ひとりの若者は人間として葛藤があるはず。
幾度も死地から帰還する度に、殺戮と恐怖に憑かれた精神は…矛盾と悲しみを噛みしめながら。
誰しも人の子であり、英雄の凱旋は苦悩に満ちた心の表裏を否めないものでしょうか?。
武家社会に生まれ、果てない戦国時代に翻弄され悩み苦しんだ若者の姿に心痛を隠せません。
その像の傍らには寄り添うように…
正室の前田まつ様(芳春院)の面影が彫られたレリーフ(碑文)がございます。
篠原一計の子である彼女は数え年…12歳のとき、利家のもとに嫁ぎました。
まつ様の母は利家の母と姉妹であり、利家との関係は従兄妹となります。
生まれは、天文16年の7月ですから1547年。 戦国時代を代表する女丈夫でした。
利家の死後も加賀の国…前田家を守り
徳川家康から謀反の疑いをかけられると息子の利長を宥め、初の人質として江戸へ向かいました。
胆力ともども繊細な人柄や学問や武芸にも通じた才知ある女性として有名です。
11人の子を産み育てた、戦国時代にも稀有の良妻賢母。
元和3年(1617年)夏に…この世を去られました。
その戒名は芳春院殿花巖宗富大禅宗定尼。
実直で心熱い、素直でありながら意志は譲らない。
派手さを好まず質素につとめますが…内なる花のある生き様が美々しい。
文化や教養を重んじる風土は、北陸の伝統工芸大国ともいうべき清廉な技を磨かせた。
すべては、まつ様の内助の功が百万石を支えたというほど…この土地の真摯な一面かと。
そういえば、民衆には『能登のとと楽~加賀のかか楽』などという言葉があります。
とと…(夫)、かか…(妻)の意味なのですが。
つまり、能登は漁業や農業主体で貧しいながらも妻が朝晩働き続け、夫が楽をさせてもらえる。
逆に加賀は商業が盛んで上方(関西)などと通商のある土地。
夫は弛まず商売し働き、妻は大事にされ習い事にでも精を出すのが一番…といった意味の言葉。
いまでも茶道を嗜み、舞いや鼓の心得まである奥方もおられ…武家顔負けの金沢市民。
内なる技を洗練させながら、いつでも天下に肩を並べるだけの力量を備えた主君の影響でしょうか。
近年、堺雅人さん主演で、幕末の金沢を舞台とした『武士の家計簿』~そろばん侍の数学者?ぶりや
上戸彩さんが出演する『武士の献立』という加賀藩に実在した御膳所で料理方(主君に儀式料理を作る)包丁侍の舟木家のお話し。
そういったユニークな映画もございます。
是非一度ご覧くださいね。
(日頃は目立たない意外な金沢の一面を知るチャンス)
さて、歩くほどに発見してしまう?境内には不思議な物が多数あるのですが。
この『さし石』なども面白いですね。
通常は~番持ち石”とも呼ばれています。
古くから加賀の地では力較べが盛んでありまして、若衆たちは大石を担いで豪腕を競ったとあります。
草相撲とともに楽しまれ、文武を鍛えることの大切さを教えていました。
ちなみに…人々がこの石に触れますと、健康に暮らせるという言い伝えが残っています。
(触れられ続けているせいか…表面は滑らかです。)
いまでも加賀のライダーはナナハンくらいは持ち上げますから(本当かな?)。
ここにある壁は、やはり煉瓦造りの近代的な工法が施されています。
果たして、神門が築かれた明治と同時代の物でしょうか?。
宮司さんに詳しくお伺いしたいものです。
梅鉢の紋が前田家の縁を主張~していますね。
(周囲の樹木を見ますと葉に?なにやら文字が…どうやら絵馬のようにお願い事を書いてあるようです。 写真に撮ると願い事が叶わなくなりそうなので内緒。)
そして…境内の中を散策すると、珍しいオブジェがありました。
どうやら設置されたのは2011年の12月15日のことだそうです。
埼玉県在住で鍛鉄による工芸家たちが手掛けたアートなのでした。
(日本刀と同じように、炉で熱する鉄を叩きながら造形する手法を鍛鉄といいます。)
まずは、蓮の葉のオブジェが二本。 題名は『夏の夕刻』。
直径約1,7メートル、高さ約2,4メートル。 もうひとつの直径は約1,4メートル、高さ約2,1メートル。
ほら、夏を迎える金色のカエルが可愛いワンポイント。
そして永年の風雨が染み込んだ線路の枕木を利用して作られたベンチは、幅が2,1メートル。
題名は『山笑う』。 薇(ゼンマイ)の意匠が気に入りました。
ビル街に忽然と広がる秀麗さに…参拝したくなりますね。
金沢の街中、美しい景観を創る『尾山神社』
パワースポット?というよりも、正しく市民の憩いの場ですね。
先人の直向きさや加賀藩政時代に想いを馳せるのもいいでしょう。
歴史を重んじるということは尊き考えに触れ、未来に向けて想いを繋ぐこと。
いつの世にも新しいも古いもないのです。
自らの生き様を問われた時、恥ずかしくない振る舞いをしているかどうか。
世俗の垢に塗れて…欲に汚れた餓鬼のように生きてはなりません。
生死を賭けた時代には人命に慈しみがもてて…平和な世では貶め合いとは情けない。
手段を選ばず、なりふり構わぬ立ち居振る舞いが美しくは見えません。
無軌道な欲に依存した人生から独立しましょう。
競い合い闘うことは潔いこと。 無為な争いは内なる乱れでしょうか。
戦(いくさ)無き世を願った人々の心に手を合わせてみるのもよいでしょう。
神社仏閣とは…人々の清廉な魂魄、想いが集うところ。 …癒されます。
尾山神社(金沢) 其の一

周囲には十分な有料駐車場もございます。
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