恒例の『百万石祭り』も無事に終了した金沢市。
金沢には由緒ある神社がございまして、『尾山神社』と申します。
なんと…桜咲く春に取材しながら、初夏にアップすることになりました。
明治政府の下、廃藩置県で解体された大名家の行く末…
いまなお忠義と誇り高き加賀藩士たちのプロジェクトを追ってみましょう。
この金沢で、慶長4年(1599年)に…ご逝去された前田利家公。
過ぎ去りし…4月27日といえば、前田利家公の命日なのですが。
尾山神社は、石川県金沢市のメインストリート香林坊に程近い位置に所在します。
もちろん神社の主祭神となるのは、加賀藩の藩祖である『前田利家公』。
(元来の所在地は『卯辰八幡社』であり、そこは明治11年に『宇多須神社』とな
りました。)
ようやく…金沢城の金谷出丸であった跡地が選ばれ建立されたのです。
そして神社創立許可が政府から許された1873年に創建されることとなりました。
(これより社号も尾山神社となり…神像も卯辰山天神社から尾山神社に遷座しました。)
とても優雅で美しい尾山神社の神門には、ステンドグラスが施されました。
これは、オランダ人『ホルトマン氏』が設計したものです。
かなり異色の神門は洋風の意匠を感じさせます。
まさに新時代の象徴かもしれませんね。
藩祖を祀る神社は、新たな時代のランドマークとなる!。
幕末には財政も窮迫して苦しい藩政により荒廃していた神社でしたが…
志ある旧藩臣たちが集い、前田土佐守家である前田直信を代表として決起!
長谷川準也、大塚志良という兄弟が計画を立案。 悲願の建立は、明治6年の決定事項。
明治7年(1874年)の真夏…8月に計画され、津田吉之助によって建てられました。
しかも日本で最初となるの避雷針を取り入れた構造が見事です。
おそらく加賀藩政で、幾度も落雷などの天災で焼失した金沢城の記録などから、考え出された知恵でしょうか。
明治8年(1875年)11月に待望の神門が完成しました。
いまは遠き…天正20年(1592)に修築した金沢城も、既に300年以上の刻を超えて人々の想いを繋ぐ歴史の居城。
この城下で幾重にも暮らしがあり、奥深い文化が育まれてきました。
まるで未来を見越したような意匠の真の価値は…いまだからこそ理解される。
高い美意識、悠久の古都金沢を感じさせますね。
実にモダンなデザインセンス。 明治維新を経ても闊達な加賀藩士の誇りに翳りなどない。
三層から成る構造は、まだ高層建築もなかった当時、夜は火を灯されて…
沖を行く船に向けて灯台のように役立ったとさえいいます。
貴重な建築物である神門として、現在は重要文化財に指定されています。
そんな城下に相応しくハイセンスな、たおやかに風雅を極めた神門なのです。
(神門より…香林坊の通りを眺めます。)
この街で生きる…。
風雪に耐えた木の温もりまでがメッセージのよう。
職人の振るった鑿さばきまでも、実直で優しい土地柄を表しています。
加賀藩主の前田家と申しますると、加賀梅鉢の紋。
梅の花芯には小さき剣をあしらうアートの如き御存知のエンブレム。
尾山神社の狛犬。
どことなく違う、この威風堂々としながらスマートさが俊敏な動きを感じさせる。
すらり…と伸びた長い前脚、一歩踏み出す挙動が伝わります。
形容すると、どこか手塚アニメのジャングル大帝のようにスマートさがあって…
この神門が放つ欧風のモダンさに負けていません。
一言で申しますと、カッコイイ狛犬なんですよね。
レオ”のような躍動感は、ここだけのもの。
いつ見ても斬新でしたが、あらためて見つめてしまう。
遠方の近代的なビル、神門、そして狛犬…なぜか違和感がZERO。
まさか?ここまで後の世を計算し尽くしていたのでしょうか。
貴女も…ここに来れば、とても不思議な体験をするでしょう。
とても明治時代の神社だなんて思えません。
この融合感は、神聖な安堵とともに懐かしさと…恋人と語りあえる空間。
きょうも学校帰りに寄り道したくなりませんか?。
荘厳な本殿で祈っていれば、愛情が深まること間違いなしですから。
ふたり揃って…結婚しましょうか。
穢れなき…白無垢に身を包んだ貴女を想像してしまう。
歴史のある神社で永遠の誓いをしませんか…。
金沢のお嬢さんたちなら、ご両親も結婚式をした神社だから…ここで挙式したいという気持ちになるでしょうね。
厳かなムードの拝殿奥に祀られます前田利家公と奥方のお松の方。
貴い夫婦の契りを結ぶ…お二人の幸福な未来を穏やかに見守ってくださいます。