渋谷にいけば~『明治神宮』に参拝するのが日本人のしきたり…。
そんな風に信じている異国の友よ、厳かな空気を感じますか?。
ノートルダム寺院など欧州の大聖堂とも違った、聖域の荘厳さ…
そういえば、懐かしい…安土の城下にあるセミナリオ(神学校)でお会いしましたな。
オブリガード…。(そんな昔じゃなかったですか、高山右近殿?)
さあ本題です。 御一緒しましょうか。
明治天皇、そして昭憲皇太后を御祭神とする神宮が明治神宮なのです。
都心にある新緑も深い杜の樹木は、全国からの献木を植樹したものなのでした。
御崩御された明治天皇は、当初…京都にある伏見桃山陵に葬られました。
ところが当時の東京市民から神宮を東京の地に建設しようという熱い願いが湧き起こり。
その在位から続く崇敬から遂に、大正3年(1914)天皇には縁の深いこの地で神宮建設となりました。
翌年の大正4年(1915)から造営は開始されたのです。
その大事業に注がれた労力奉仕は、実に日本各地から13,000人を超える自発参加があったと伝えられております。
境内は、それぞれ内苑と外苑になっております。
元来は緑も少ない荒れ地同然だったため、緑化が進められましたが。
その内苑の造成については国内各地はもちろん、台湾や朝鮮半島よりの献木も使われています。
12万本…365種類にも及ぶ樹木が植えられました。
昭和(1970)頃の調査では、計画的に行われた植樹の結果…17万本247種と記録されています。
戦禍を経て…造成された植物相も自然に近いカタチに変化していきます。
まるで大昔からあるように…違和感ない杜も多くの人々の努力の賜物ですね。
明治神宮の御祭神であらせられる…
明治天皇様と皇后の昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)様が御崩御されてより百年を迎える平成26年4月11日に合わせて設置されたパネル。
これまで参道を…歩き続けるだけと違い、それはなにか新鮮な感じ。
撮影する人や熱心に読む人々も…
参道を歩いていくと…なぜかワイン樽が積まれているのですが。
この沢山の樽は、欧州フランスのブルゴーニュ地方から献納されたものです。
明治天皇の皇后様である 『昭憲皇太后百年祭』のパネルは複数あります。
これはまた、全国各地の有名な清酒が献納されています。
そうですね…貴女もご存知の名がございますか?。
見ているだけで血中アルコール濃度が上がりそうな名酒(酔う)揃いです。
境内にも参道にも飛び交う~万国の言葉が(ワールドワイド)
世界中から多くの参拝者がいらっしゃいます。
どこかの新人研修らしき皆さんも凛々しい制服姿で参拝に。
明日の日本を背負う若者たちでしょう。
明治神宮では…
中心となる本殿。祭事では七五三や厄除けなどの祈願が行われる神楽殿。
貴重な『明治時代の宮廷文化』を偲ぶ…御祭神ゆかりの御物を陳列している宝物殿。
そして武道場至誠館は『御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する』という命題を掲げています。
壮麗な神宮本殿も大東亜戦争末期となる昭和20年(19451)4月…
帝都を急襲したアメリカ軍の空爆で焼失しています。
再建された本殿からは、忌まわしい歴史の陰は微塵も感じられません。
かつて、境内にある旧御苑入口付近で有名な樹木がありました。
それは代々木”という地名の起源になった巨大な(モミ)樅の木です。
まさしく名は『代々木』と呼ばれていたそうです。
見事な名木だったそうですが、空襲時に撃墜した米爆撃機B29が墜落炎上して灰燼ときしたそうです。
失われた巨木も数奇な運命そのものですね。
こちらも 昭憲皇太后様の恩恵と御生涯を記しています。
病に苦しむ貧しい人々を救う救護の手
慈善活動の偉大な恩人である昭憲皇太后様の功績が綴られています。
この神宮の杜の多彩な生態系を見ることができる
植物から菌類(粘菌?)、微生物や昆虫、小動物などの生態を撮影した写真パネル。
まさに都心のオアシスの如く…生命が溢れる揺りかご。
それとも幾多の生命のサイクルが絶え間なく流れる箱船”なのでしょうか。
これもまた巨木で造られた明神鳥居。 笠木と島木も非常に大きいです。
とりい…という言葉は、古くは奈良時代の寺社建築からあるそうですが。
静かな結界の向こうに…魂の鎮まる聖地がある。
それだけで…都民にも旅人にも幸せなのではないでしょうか。
そろそろ…明治神宮の片隅にでも置かれる日が来るのではないかと期待しています?。
(鳥居にも負けない存在感あるよね”)
ど~も君 やはり…100年後なのかな…ど~も。
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