東大寺の本尊である『毘盧舎那仏


高さは15メートル、449トンの銅で鋳造されたといいます。


頭部の螺髪は966個もあります。



天平15年(743)に聖武天皇が発願したビッグプロジェクト東大寺大仏の造像。


大仏造立の詔を発したのは近江国紫香楽宮にて、同年11月5日のことでした。


聖武天皇は『菩薩の大願を発して盧舎那仏金銅像一躯を造り奉る』べく願い…


日本中の銅を集めて大仏を鋳造、山まで削って大仏殿を造ろうと宣言しました。


諸問題をクリアすると天平17年(745)より造像の準備がなされ、


開眼供養会は天平勝宝4年(752)に実施されました。



最大の国家事業への動員数も250万人以上であっただろうという規模。


まさしく律令国家としての日本に『』を入れるような…イニシエーションでした。



その穏やかな表情には、未来の日本に於ける民族の苦難をも鎮める力がある。








奈良時代…光明皇后は、聖武天皇の遺志を継ぎ仏教に帰依する心も篤い人。


国で困窮する貧しい人々に善意の施しをするため『悲田院』を設けました。


施薬院』という医療施設の設置など救済に尽力しています。


聖武天皇の死後、遺品などは東大寺に寄進。宝物を納める収める『正倉院』を建立。


法華寺』、『興福寺』、『新薬師寺』など多くの寺院を創建しています。












桜井市初瀬の『長谷寺


本尊の『十一面観音菩薩立像』は、その高さが10メートルを超える木造仏。


錫杖と水瓶を手にし、四角い大磐石の台座に立ちます。


室町時代に造られた像の高さは10,18メートル。(重要文化財)


その表情は、優しさと慈悲深き眼差し…。 
















円谷プロダクションといえば、名作『ウルトラセブン』や『ウルトラマン


陰険な宇宙人の地球侵略に対して『地球防衛軍』を組織して善戦する人類。


そうした精鋭部隊である『ウルトラ警備隊』は、修行を積んだ高僧のような立場。


遂に現れた宇宙からの救済者は、M78星雲からの光の戦士。


未知の敵から人類の生命を守り、己が崩壊しても…犠牲になりながら戦う。


『はるかな星が故郷さ♪』


ある意味で、神仏の化身。  表情はウルトラアイ???














金城 哲夫』(きんじょう てつお)さんは脚本家。


1938年7月5日生まれ、沖縄県出身(37歳の若さで世を去りました)。


カナグシク(金城)さんは、ウルトラシリーズの企画、脚本を担当した作家です。


特殊撮影の映像や造形に関与した、まさに仏師?とも言えるのではないでしょうか。


沖縄戦による戦時体験、アメリカ(統治)占領下で育った経験がアイデンティティーに影響をもたらしているのかもしれません。


稀代の才能を発揮した脚本家でしょう。


ウルトラマン』の原作脚本では、最初レッドマン”という名前の宇宙人でした。


変身するのは科学特捜隊のサコミズ隊員という設定がありました。


ウルトラQ、ウルトラマン他の作品でも名称に沖縄らしさや精神性の表現も見られます。


そうした意識を反映した深いメッセージも読み取れる金城さん。


メフィラス星人との対峙では、何のために地球を護るのか?その意識に問いかける姿は…日本と米国の間で苦しむ当時の沖縄民を表しているようです。



時代に対して、鋭く強い眼差しで立ち向かう表情は新たな『守護神』の創造者。












大和…日本に渡り信仰され、素晴らしい奥深さで昇華した仏教の文化。



いまだに崇高な信仰として高められる伝統の美もあれば、


一方では人心懐柔や権力掌握に利用する巨悪まで蔓延る世界混迷の時代もそのまま。



すべては人間の心を透しての価値観ですから、実は国境や人種の差もありません。


科学の論理も…悪用される信教の不”自由?も愚かしい人間には使いこなせません。


権威欲しさに与党入りし、犯罪の温床作りに奔走した挙句に…日々恨み呪い焦り歪み畏れ…凶相に変わる醜悪さに没する衆愚政治もピーク。


善きものを与えられても~悪用するのが人間の悪意と破滅(見返り求め地獄?)。


表現や価値観の自由も…根底に考えの無い日本人は?やたら拡張して混乱しただけでした。




信仰、それは人間心理の明暗を突き詰めた智慧の在り方ですから。


相手を尊重していくには己の内面を磨いていなければ出来ません。


仏像なども…人間が求める理想形を留めた象徴、これからも正しい行いで暮らしましょう。


意識ひとつで怯えない、意識ひとつで病に臥せらず、意識ひとつで争いもしない。


素晴らしいのは、それを知らずに具現化しているということ。


曼荼羅に宇宙を表せるように、ひとつの美観や意識、固執するよりも真意を知りましょう。



自由であるなら、『自在』でなくてはならないのです。