君は大切な恋人も半分こ…できるのかい?



クルマを『生かしている者』と、クルマを『活かしている者』。


流行のカーシェアリング?確かに便利ではあるが、私は好きではない。


共用しているから~大切に扱わない、乗りっぱなしにされるクルマ達。


それは、その人間達の生き方も表すのだろうか。


平気で汚されるのは共同の場所、自らが管理しないからどうでもいいという意識でもあるの?。



単なる道具ではない…生命も乗せているクルマ。


ただ適当に世話もせず、誰かにやらせているから無責任に投げ出す…生きることさえも。


不意に故障すれば事故にもなる、窓ひとつ綺麗に拭かなければ視界は悪くて危険でしょう。


人間の心が伴なわなければ、持つものは生かされない。







クルマ…物を求め、それを愛し獲得しようとした世代には、本人自身にも求心力が垣間見える。


無機質に与えられ生かしてもらえた世代には、生きる意志も存在も希薄だ。


価値の無い生き方にしか接しなかった(適当に生きれた)人間が、善悪にも疎くなるのは、飼いならされて自ら選別すらしない家畜化の果て。


生命を守れない、大切にしない、そんな瑣末な意識しか得られないのも経験値がないからだ。


強大な出力のクルマなど意義も価値もないという人間もいる。


自分で判断も、所有もしない(出来ない)責任など取れないという人間の末路。




誰もが乗らなければならない訳でもなく、全てが超人的に乗りこなせない…。


すべては機械的アシスト無しには扱えない人間もまた…その放棄と似ているのです。


誰かと平等だと見せたくて取る免許も意味がないように思う。


自転車だって、ほんとうに好きなら凄いよね!。





ほんとうに心が動かされたのかい?


恋のような感情に揺り動かされて疾走りたいのかい?




もしかしたら選ばれたかのように出会い、人生という時間を注ぐに惜しくない


古くても新しくても、そんなクルマに出会えたら幸運だ。


時には自分を破壊し、滅ぼすかもしれない。



利益などどこにもなく失うだけ、効率など見出せないかもしれない。


傷つくだけ、オイルより多くの血を流すだけ…


それでも乗りたい…疾走りたい衝動はありますか。


そんなクルマ(人間)と恋したように生きてみたくなることが幸せだと思う。




道具でしかないなら、勿論その乗り手も道具(唯物)に等しいだけ。



まだ感じられないなら、それはそれでいいのでは…?








特別ではない、誰もが平等で同じ、世の中に差なんかないというほうが変です。


日和見に並び、ただ場当たり的に暮らすしかないなら、生きることへの強力な熱意もクールさすらも本物は生まれない。


生きてることも存在もノーバディ?何もないのでは。


いつ死んでも消えてもどうでもいい、そんな虚ろな気持ちなら豪華な?家畜として飼われながら同類と惨めな潰しあいしかないでしょう。


競い合えない、出口も向かう地平もない…




どんな暮らしであってもコンパスと地図を手に自ら探すしかないのが人生。



①貴女は、トランクの中で息を潜めていますか?。


②それともエンジンルームで消耗部品として終る?。


③ドライバーシートでステアリングを握り、舵取りは自分でしたい?。




身分制度で隷属していた日本人が、ようやく世界を見習って得た価値観。



たかがしれた豊かさに浮き足立って錯覚して失った精神の代償は大きいですね。



恒常性が喪失しただけとお考えください。




選択する、継続する、邁進する思考、それをやめた時…崩壊した。




自分の場合はクルマから悟ったことが多いだけ。