なんだか久しぶりに会津のことを書きたくなりまして写真紹介。
こうして聳え立つ現在の天守閣は、昭和40年(1965)の再建により蘇った姿です。
城郭の内部に郷土博物館を設けています。
五層の天守閣からは会津若松の市街地から会津盆地、磐梯山の景色が一望できます。
真夏の景色も違うでしょうね。
天守閣から見る夜空は美しいでしょうね(見学できませんが)。
約400年前となる慶長16年(1611)8月21日のこと、会津盆地の西縁を震源としたマグニチュード6,9、震度6以上であったと推定される大地震が発生しています。
城下では2万戸の民家が倒壊し、多数の死者も出た大惨事が記録されています。
当時の高楼…七層もあった天守閣が傾くほどの被害でしたが、天守閣に積まれた石垣は被災にも耐えたという逸話が残っています。
入城券は500円。
鶴ヶ城のすぐ側にある住宅地。
山本覚馬、八重さんの生家跡があります。
いまはもう他人の家が建っているらしいので、見学者に御注意の看板が…
観光に来るバスは城の駐車場に整然と停められます。
ホイールはピカピカのメッキで光り輝いて、お手入れされてますね。
鶴ヶ城から離れた郊外の会津藩家老である西郷頼母の屋敷跡でも様々な催しが。
いまや山本八重(新島八重)さんを知らない日本人はいないかも。
すっかり歴史の偉人として定着しましたね。
再現された武家屋敷の内部は書院造りなど当時の武家文化が偲ばれます。
妻の千重子が娘を叱っているところ。
そんな武家屋敷には入浴できる純木製のお風呂があります。
当時のお風呂も基本的な構造は同じですね。
BATHROOM.
お風呂場には排水のためにある仕掛けもあります。
…では屋敷内の外れにある、この間は?なんでしょうか。
奥に不思議な道具も見えますね。
ここは厠(かわや)…すなわちトイレであります。
時代劇で見たような、見ないような?。
RESTROOM.
それなりの~からくりで、箱車内には砂が敷き詰めてあります。
普段は手前の板戸が閉められており、便を処理する時にだけ開きます。
使用後は、この箱車を木製のレール沿いに引き出して排泄物を視認します。
理由は健康状態を調べるため(近代的な医療の心得があるのです。)
その後は砂ごと後始末をしたそうです。(ご家来衆は大変ですね)
砂が使用されたので、砂雪隠(すなせっちん)とも呼ばれたそうですよ。
江戸時代には、清潔さへの気配りも十分な個室?だったようですね。
そういえば以前、真冬の飛騨高山方面に旅行した際に、似たような木製の珍しいトイレがありましたが…なんだか凍結してました。
冬場は寒そうな気がしますね。
武具も揃えて臨戦態勢も完了!
誇りある忠臣がいたからこそ最強の誉れ高い会津の武士達。
武人の日常は…どのような心構えだったのでしょう。
いい街だったなあ会津若松、また福島県に行きたいですね。