ここは岐阜県郡上市美並町付近。
東海北陸自動車道を走行していると、突如~山中に不思議な像が見えます。
(道路の上り線側にあります。 撮影は下り線側から)
この木彫りのような大きな人形は?謎のモニュメント。
有名な『円空仏』を模しているんですね?。
伝承で…円空上人は、寛永9年(1632)に美濃国郡上郡の南部、瓢ヶ岳山麓で木地師の子として生まれたそうです。
幼い頃から瓢ヶ岳山麓(美並町)の山野を好んで歩く少年でした。
星宮神社は、長良川支流の粥川谷にある高賀山 を囲む高賀六社の一社。
(その御神体は虚空蔵菩薩(仏像)なのですが、平安から鎌倉時代に彫られた懸仏を残して、廃仏毀釈以前まで続いた神仏習合の名残が見られます。)
少年は星宮神社の別当の粥川寺に出入りさせてもらい、経文や手習いも学んだのです。
そして伊吹山や白山など岐阜周辺の山々に登り、修験者とも交流したようですね。
いつしか修験道を体得し…木喰戒を受けるに至り、そして全国各地にある霊山巡りで験力を極めながら庶民の救済を誓願すべく得度の必要性を痛感。
32歳の時、寛文3年に粥川寺で僧侶となるため出家したのでした。
衆生を救う道へ…
そういえば?明治維新に行われた愚行?のひとつ『廃仏毀釈』について加筆させていただきます。
新政府が慶応4年3月(1868年)に発した太政官布告という…つまり神仏分離令です。
神仏分離令と大教宣布は、神道と仏教の分離を目的としており、仏教の排斥を目的としてはいませんでした。
しかし結果として、政府が指導したような廃仏毀釈運動と呼ばれた狂気の沙汰に突入。
神仏習合の廃止、仏像をの御神体とすることの禁止、神社から仏教的要素を払拭。
明治維新の争乱で意味も解らぬ迷える民衆の集団ヒステリーも触発され、大混乱と破壊が横行。
新政府の画策した、寺院が受けている既得権の廃止を狙った本来の意味は空回りし…
祭神を決め、寺院を廃合し僧侶は神職へ転向、貴重な仏像や仏具の破壊、仏事が禁止されるなど…その実施が招いた損失も大きかったようですね。
明治4年に事態が終息するまで混乱は続き、被害は全国に及びました。
明治維新を描くドラマは多いのですが、案外そうした隠れたエピソードには触れられません。
ちょっと話しが~脇にそれました。
さて~円空仏とは慈悲の彫像?
手の温もりを感じる~鉈さばきも素朴な円空仏が放つ自然観は美しい調和。
仏の顔…表情の妙。 アルカイックスマイルとも違う不可思議な微笑の魅力。
静かな姿とは対照的に…見る者に語りかけるかのような雰囲気。
円空上人の内なる深奥な宇宙、その向こうにある円空仏は…彼の心を通した万物の想いを仄かに語りかけているようです。
沈黙する円空仏。 しかし…人も樹も同じ生命の根源から出ずるもの。
純粋な少年のままの心で、それを彫ることで表現した仏に秘めた真理。
自然も人間も共にある。
時を超えて残された…円空仏にメモリーされたのはソウル・レターでしょうか。
私には、円空上人の言葉や気持ちは、高位の環境意識のようにも感じます。
かつて…この地で生まれ育った一人の男が遺したのは生命への慈しみ。
かけがえない自然を愛した宗教家であり、孤独な探究者でもあったでしょう。
花も樹も…そして禽獣も人も、円空上人には尊い存在…
私は、そう感じます。