今年、2013年7月1日のこと、JR小松駅東側にある町名が変わりました。


それまでの『八日市町地方』から~新たにこまつの杜へと名称を変更。


(群馬県太田市東本町にあるスバル工場区画だけが『スバル町』になった経緯のように)




こまつの杜にあるコマツウェイ総合研修センターです。


国内にある拠点で行われていた高度な社員研修の内容を全て行えます。









コマツが世界で取り組む、『負の遺産』の排除!!



近代の戦争~紛争地帯では大量の対人地雷(バタフライなど)などが埋設されてきました。


旧ソビエト製で、軍が空中から散布した小型の対人地雷PFM-1がそれです。


対人地雷 PFM-1

ポリエチレン製で蝶にも似た形状で、内部に液体爆薬を備えた狂気の欠片…。


これを兵士が踏んだり掴むなど、外から圧力を加えた途端に爆発するメカニズムです。


(破壊力が小さめなのは、より多数の兵員に負傷させて…部隊の行動を阻害する目的で)


厄介な負の遺産、紛争が終結して平和な日々が戻っても爆発力は半永久的に保たれます。


非戦闘員である一般市民や遊ぶ子どもたちが…野原や耕地などで過って被災、推定すると被害者が年間2万人を超えます。


悪魔の蝶も…好奇心旺盛な子供たちは玩具と勘違い、拾って被害に遭うパターンが続出。


そのため、両肢または手首から粉砕により切断され、顔面から胸部も負傷する被害で死亡することも…。





あまりに悲惨な状況から救済すべく、1999年に発効したオタワ条約


この条約は解決策として、対人地雷に対して使用・貯蔵・生産・移譲を全面禁止する取り組みでした。


我が国を含む世界の150ヶ国以上が平和の意志を署名しました。


世界規模の対人地雷廃絶、それを人類の命題とする機運は地球に広がっているのです。



 


子供達の未来を救え!


コマツ 地雷除去機 D85MS-15.






従来のように細心の注意で対人地雷を探知し排除する作業には途方もない労力と生命が費やされました。


カンボジア内戦時に埋設された対人地雷は、推定で600万基を超える膨大な数でした。


20世紀後半、戦火が終息した後…15年間に処理できたのは僅か35万基の地雷。


いまなお農村などで暮らす人々の日常生活に暗い影を落としています。


(カンボジアでは、地雷除去、道路整備、農場開設、学校設立等の活動を推進しています。)



地域からの地雷撲滅には、少なくとも四半世紀が必要という概算が計上されています。





D85MS-15の使命は…


コマツの地雷除去機は、そのベース機体に、車体重量約27トン級のブルドーザーを採用。


耐久性と信頼性の高い自社の重機が性能を遺憾なく発揮されるフィールド。


戦車すらも挫けそうな岩漠から泥濘地や湿地、傾斜地までスピーディな走破能力で活動する。


その機動力は危険で広大な面積を効果的に爆破物処理する強固で精細な技術理論の粋。


故障~損傷時にも交換部品の手配も容易な整備性。


車両前方の特殊アタッチメントを交換すれば、本来のブルドーザーとして整地作業に従事することも可能な拡張性と頼もしさ。


現地の発展に寄与すべく、将来の道路工事などにも活用できます。


D85MS-15機には、既に災害復旧地域で実用化している建機リモートコントロール技術を導入しています。


オペレーターによる遠隔操作を生かして、作業者の安全性を飛躍的に向上しました。




純白の重機、平和のために赴く姿は美しくさえあります。







1998年、コマツが手掛けたのは地雷処理の事前作業を行う潅木除去機の開発。


2002年、遂に日本政府が対人地雷除去機の輸出を認めました。


2003年、経済産業省が独立行政法人新エネルギー産業技術総合開発機構(NEDO)と公募したプロジェクトに参加。


本格的に地雷除去機の開発に着手したコマツの挑戦は続きます。


…こうして試作機が完成したのは同年12月。








日本国内では地雷原での実証実験が不可能なため、地雷除去機は性能実証実験を海外にある地雷原で行いました。


コマツは、2004年から~最大の紛争地であったアフガニスタンに於いて性能を徹底的に検証しました。



(通常よりも強固に設計された運転席周辺)








アフガニスタンは、国土面積の約8割を乾燥した砂漠と山岳地帯に覆われます。


長い悲壮な紛争の間に…全土には約1000万を超える対人地雷を埋設して放置されていると推定されます。


こうした地雷原には対人地雷に限定されず、戦車・装甲車などの軍事車両を無力化する大型地雷が残留します。


コマツの地雷除去機は不測な爆発にも耐えて搭乗員を守り、安全に地雷原から脱出できなくてはなりません。


車両の機能性、信頼性を確かめるテストを遠隔操作を併用しながら慎重に続けました。








地雷除去作業は爆発物の処理ですから、安全性と効率面の高いベース車両の開発が急務。


なによりも現地の状況に即したオペレーターを養成する技術指導は必須のこと。


2004年、コマツはアフガニスタン国内で活動する地雷除去NGOの人々を日本に招いて技術指導も行っています。


対人地雷除去機を造り出したい、そんな熱意が結ぶ人間の絆、国境を越えた交流が広がりつつあります。


ひたむきに復興を目指す国々を理解し、懸命に取り組む国民との触れ合い。


性能と信頼性を検証する徹底的な開発姿勢。



あくなき探究心が技術屋の魂!



2007年8月、対人地雷除去機は完成し、日本政府のODA拠出に基づきアフガニスタンのNGOへと引き渡されました。


9月より現地での本格的な地雷除去作業に投入されています。



重機が切り拓く未来がある!



主要諸元.  コマツ D85MS-15.


重量 35トン    出力 179kw


全長 9メートル   全幅 3,5メートル   全高 3,6メートル













コマツ創業者  竹内明太郎(たけのうちめいたろう)氏の銅像。


明治維新の土佐藩士『竹内綱』の長男で、日本で鉱工業創生期に活躍し、国家の基幹産業育成と理工学教育に大きな足跡を残した人物です。


竹内明太郎氏が石川県の銅鉱山事業を買い、その銅鉱山用の機械を欧州から輸入、そうした機械修理の工場を始めたのがコマツの前身。



工業は国を富ませる基なり


唐津炭田にある芳ノ谷炭鉱の経営に始まり、竹内鉱業株式会社を創設しました。


遊泉寺銅山(石川県)、茨城無煙炭鉱(茨城県)、橋立金山(新潟県)、大夕張炭鉱(北海道)など各地の鉱山を経営しました。


産業用機械の開発製造をリードする企業として、唐津鉄工所と小松鉄工所を創業しています。


(小松鉄工所 → 小松製作所は、現在の(株)コマツです。)


初の国産自動車ダットサン(DAT号)の開発と製作にも貢献されました。


竹内明太郎氏は技術教育の重要性を説き、高知県の高知工業学校も設立。

吉田茂の長兄であり、麻生太郎氏の大伯父でもあるそうです。







夏の陽射しの中に咲く…向日葵のようにヒマワリヒマワリヒマワリ



技術の研鑽を通じて育まれる人よ、謙虚に真っすぐであれ。





きょうも世界のどこかでコマツの…日本のパワーが活躍しています。



そう…もちろん貴女の住む街にも。







こまつの杜で… 不思議な機械たちと愉快な邂逅。



いつだって技術と科学は人間を幸せにするためにこそある。