1984年からの3年間、カワサキはファクトリー活動を休止していました。
その只中でGPZ900R Ninjaは市販され、ストリートにデビューしました。
無論、レースフィールドに進撃する新たなライムグリーンの駿馬でもあります。
しかし、米国でもレース活動休止の波紋は…ローソンやレイニーなど契約選手が去ることとなり…寂しいシーズンに。
84年といえば、ミッドオハイオでのAMAスーパーバイク第12戦
そこに現れたのは風変わりな~まだ若い痩身の選手。
成績は市販ベースの空冷GPZ750で最後尾から5台目というリザルト。
『いいマシンさえあれば負けやしない』そんな意気込み満々のルーキー登場。
彼は翌85年ヨシムラにチーム入りし、スズキ空冷GSX750で第二戦を初優勝で飾りました。
この最速青年こそ~ケビン・シュワンツ選手なのでした。
もしもカワサキがファクトリー活動を継続していれば彼を獲得し、想像を絶する連覇の時代を迎えていたかもしれません。
そんな頃、チームグリーンは水冷Ninjaを全日本TTF-1開幕戦鈴鹿2&4に投入しました。
まだプライベーター、母体はカワサキ社員の有志が運営する名門チーム38
KRファクトリー用のパーツを組んだSTD然とした姿のNinjaがサーキットに吼えた瞬間でした。
85年の全日本第1戦鈴鹿2&4では、Ninjaはアップハンのスタイルで剛腕を魅せる決勝12位は天晴れ!!。
真夏8耐ではゼッケン38と39番が舞うグリーンモンスターの緑色幻想。
(写真のNinjaと第一ライダー斉藤選手、スモークシールド下の眼光が見えますか?)
ヘッドライトはCIBIEの4輪用フォグで武装、バーハンドルはZL1000エリミネーターに採用されていたΦ38mmを流用という熱さです。
まさに野武士のような出で立ち! 寄らば斬る!!
84年は…TTF-1クラスが1000㏄から750㏄へと変更されていました。
空冷の1000時代は終焉を迎え、水冷750という嵐が吹き荒れようとしていました。
カワサキ社員チーム38”は、83年式KR1000のアルミダブルクレードルフレームの剛性を鍛え、空冷GPZ750のエンジンを搭載して参戦!。
まるで~どこかのショップが鍛えたようなチューンド(名刀)の切れ味が冴える。
Ninjaのサブフレームやバーハンドルを考案したのは、同社テストライダー日下直一さん(チーム38)のアイディア。
押さえの利いたベストポジション!
GPZ900RのNinjaレーサー・スタイルが最高ですよね。
進化したファクトリーマシン群を真っ向から相手にして善戦するNinja魂
夏…耐久と熱風…そしてライダーが愛するKAWASAKI
駆ることが…完走こそが栄光なのです。
戦士の称号 KAWASAKI GPZ900R Ninja