鈴鹿8時間耐久レース
これはMEMORIAL90”です。 (1990年の7月29日)
チーム『TECH21』、平忠彦選手のパートナーはエディー・ローソン選手。
名実ともに日本が誇るトップライダーであり、彼ほど華麗に歴史を飾る人はいない。
しかし…因縁のSUZUKA‐8耐参戦は、あまりに過酷な悲運の連続…
まさに苦闘の記録でした、1985~1990年まで…それはYAMAHAにとっても試練の戦い。
85年 キング・ケニー(ケニー・ロバーツ)が、86年 クリスチャン・サロンと。
灼熱を纏い、加速するように各社GPライダーの参戦が目立ち始めた鈴鹿8耐!
87年 ケヴィン・マギーとマーティン・ウィマー組がチーム初優勝を飾りました。
(平選手は、世界GPフルシーズン参戦、フランスGP予選での転倒で頚椎を負傷してチーム監督として参戦。彼のハードコンパウンド・タイヤ戦略は功奏!)
88年 マイケル・ドーハンを迎えた決勝、夕暮れ迫る鈴鹿の魔物が忍び寄る…
またしても驚愕のマシントラブルに見舞われた平選手。 196Lapでリタイア。
89年 若手のジョン・コシンスキー(ケニーの愛弟子ともいえるレーサー)…
それほどの布陣であっても蜃気楼のように逃げ去る勝利、終盤S字の入り口で痛恨のリタイアに陥るコシンスキー。
(このシーズンでのYAMAHA-YZF勢は不調により次々と戦線から姿を消しました。)
誰もが慟哭しそうな現実に直面し、耐久レースの魔性を思い知らされた夏…
しかし、決して諦めない闘志を滾らせる『彼』が…心痛に浸る時間はない。
新たな研鑽と我が身を鍛えぬく以外に結果を残せないことは誰よりも知っているからだ。
伝説は…神話へと昇華する、それが鈴鹿耐久!!
最強のライバルチームであるHONDA ゼッケン11番RVFを投入しました。
現役世界GPライダー最強のマイケル・ドーハン選手を召還して最強の布陣
パートナーは日本人には馴染み深い、豪腕ワイン・ガードナー選手参戦。
タイムアタック!苛烈な予選タイムを揺るがすポール争い。
ガードナー選手はRVFを駆使し自己ベストとなる13秒427…でポール獲得。
ところが、ローソン選手は残り2分で大逆転を狙い、肉迫した驚異のタイム13秒520を叩き出すプロフェッショナル。
独走許さず!!
YAMAHAスタッフの想定した記録をブレイクした超絶のポールポジション合戦。
すべてが熱く熾烈な戦いの始まりでした…
常勝耐久レーサーRVFを駆るドーハン選手、独特なフォームが鈴鹿を疾駆する。
紅い弾丸のように…そのエンジンには、荒ぶる火の神アグニが宿るのか。
鮮やかで知的…BLUEのグラデーションが美しいYZFと平選手が舞う。
その心奥に冷静な碧い焔を感じさせる『彼』は帰ってきた…
このマシンに隙はない… 間違いなく、その時は近づいていた。
それはスピードという名の洗礼…
世人の論理を超えたデスティニーが生まれる聖域SUZUKAの空気を震わすエグゾーストノート。
この日のために、各メーカーの技術の粋を結集した耐久マシンと精鋭が挑む。
鈴鹿での勝利が持つ意味は大きい、誰もが寝食を忘れた一年間に福音が響く瞬間を見逃すな!。
絶対、完璧、全身全霊…そんな祈りにも似たフレーズが幾度ブレイクされただろう。
すべての可能性を燃やし尽くせ!!
迅速なピットワーク、お前を信じているから!!
『鈴鹿夏の陣』、彼等の胸に去来するものは果てしない勝利への渇望か…
完走を目指す玄人集団に背中は任せた、『フルタンクだ気をつけていけ!!』
その刹那に伝え合うマシンコンディション。
『必ず帰って来い!!俺達が走らせてみせる!』
伝統のル・マン式スタートより始まる…凝縮された8時間の物語。
16万人の観客が息をのみ、衝撃に歓喜をあげる臨場感を求めて…
鋼のような骨格のモンスターを解き放つ 彼等の名は…レーサー。
寡黙に、そして俊敏に…駆け引きも熾烈な領域、来訪した『優勝請負人』?
欧州ステージを転戦してきた経験値すら覆す魔性…それが8耐です。
着実かつ慎重なアプローチ、彼らこそ真のプロフェッショナルだろうか。
モリワキ・チームが育てたとも言える最強の逸材、まさに南半球の星座!!
ワイン・ガードナー選手は生粋のオージーです。
オーストラリア英語の訛りが…『ブライク・ジャストナウ!!』 まさに豪快攻め。
マイケル・ドーハン選手も豪州出身のはず、ベストコンビが快走する!!。
しかし悪夢の40周目、ガードナー選手がシケインで痛恨の転倒を喫するのです!!。
RVFは再スタートするものの右側のフットレストとブレーキレバーが損傷したまま…
ピットインで失われた、ロスタイム3分14秒…(1週プラス52秒に相当)
ここで追う立場となったHONDAチーム、その後は渾身の力を込めて鬼神の如き追い上げを開始したのでした。
その後、2時間を要して二人のオージーはポジションを挽回し2位へ届きます。
あと少しでトップと同じ周回数という時、緻密なマネジメントの落とし穴が発生。
既に周囲を凌駕する圧倒的なペースが招いたものは…
まさか、マシンの燃料が…尽きてしまうとは
凄まじいスパートによる燃費の低下、そして手前のピットクルーが給油した際のミス、燃料をフローさせてしまい予定量の補給が果たされなかったのです。
女神からの…あまりに過酷な戦士への仕打ち、102周目のヘアピン…遂にRVFはエンジンを完全に停止させてしまったのです。
呆然とするガードナー選手の姿が痛々しい。(ピットに戻り、力無く Sorry…を繰り返す彼…)
それにしても燃料が? ワークスチームですら、こんなことがあるからこそ耐久レースとはドラマよりも凄まじいのです。
彼もまた…不運、ガードナーは3年連続のリタイアとなってしまいました。
フルバンク! コーナーに傾奇いてこそドッグファイトだ!!
YAMAHAの伏兵 エディー・ローソン選手が熱風すらも退けて駆け抜ける。
碧き彗星の衣を纏い…果てしなくスピードと同化していく闇の中…
緻密な戦略と精密機械のようなスキル、世界GPレーサーのプライドが炸裂する
巡航ミサイルのように突き進む、ステディ・エディーの異名に狂いは皆無だ。
この時点で2位以下を2周遅れにするローソン選手は着実に周回を重ねます。
そして16万観衆の見守るメインスタンドを駆け抜けるTECH21感動のゴールイン。
惜しみない観客からの拍手、あらゆる参加者が祝福を贈ります。
誰もが祈り、願っていた平忠彦選手の優勝!
遂に平忠彦選手とYAMAHA、そしてスポンサーの資生堂の挑戦に栄冠が輝いたのです。
エディー・ローソン選手のタフな身体能力と精神力、世界を席捲するテクニックで魅せてくれました。
(彼には1週間後、イギリスでのGPスケジュールが待っていました。)
YAMAHAピットクルーには、恩師であるキング・ケニーの姿も…
リザルトは205周の新記録を達成(1990年現在)。
平、エディー組の攻めの疾走りは奇跡とも呼べる逆転劇を可能とする情熱を示してくれました。
いかにチーム体制やマシンが与えられようとも、完走するまで結果は判らない。
ロスを減らし、先を読み、万難を排しても十分ではない。
風を切り裂く碧いマシーンが鼓動を停止しない限り諦めないだけだ。
おめでとう平選手、人々は歓喜の中で挑戦し続けることの大切さを知りました。
いまの日本人に見事に欠けている心ではないでしょうか。
誰かに解ってもらう必要など無い、自らが訴求する本能を信じて欲しい。
そうして鈴鹿にやってくる、それがいい…
あの人が平忠彦選手だよ。 そう、永遠に僕らのヒーローさ。
1st 205Laps
この日、鈴鹿サーキットとレースファンの胸に、新たな神話が誕生したのです。
1990 JULY 29th.
SHISEIDO TECH21 RT
刻は過ぎても輝きを失うことなどない
2013年 7月 28日のレース・リザルト
今年は有力なチームに災難が発生する大荒れのサーキットで…
鈴鹿8耐優勝は、ゼッケン634 『MuSASHi RT ハルク・プロ』
同チームは、HONDA CBR1000RRにより2連覇を達成しました。
(※ HONDAとしては、CBR1000RRの4連覇を達成しています。)
ライダーは「高橋巧」、「レオン・ハスラム」、「マイケル・ファン・デル・マーク」。
チーム監督「本田重樹」 お疲れ様でした。
終盤の天候は小雨もありましたが…終始ノートラブルで走り続け、214周で8時間を完走しました。
メカニックもヘルパーも皆で勝ち取った勝利という記録。
優勝おめでとう また来年も…ここで風を待つ者がいるだろう。
果敢に戦う漢のドラマに終止符などありえない…
RIDE ON.