こうして新江ノ島水族館に来た目的が…遂にアンベールという訳でもありませんが。
常設展示されているんです!有人潜水調査船『しんかい2000』
以前、みらい館にて『しんかい6500』をご紹介しましたが、前任者といえるのはこれなのです。
まずは、お子様と記念撮影かな。
海の底に潜るように…階段を降りていきます。
独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)が誇る有人潜水調査船です。
その意欲的な設計は、安全に人が乗船して長時間の深海調査に挑むべく建造されました。
性能も含めて日本初となる本格的な潜水調査船『しんかい2000』
この船体による潜航深度は2,000メートルにも達する実力を遺憾なく発揮してくれます。
耐圧構造にも画期的な技術を投入し、完成したのは1981年でした。
ロールアウトして以来、20年に渡る活躍の日々(1982年1月から2002年11月まで)
そのミッションは、延べ1411回という潜航を果たしてきました。
実に膨大かつ貴重な研究成果をもたらしてくれたのですよ。
海洋大国である日本の深海研究に於いて飛躍的な発展に貢献してくれました。
碧洋の鮮やかなBLUE…
しかし深海は、光すら届かない暗黒の支配する未知の領域でした。
どこまでも… 深く静かに潜航していく白い船体。
撮影、観測、採取などに駆使される機器類やセンサー群。
しんかい2000…の灯火、ライトに照らされる深海の生物が想像できますか。
まさしく、地球上なら月よりも遥か…深遠な海溝を潜行していく人類の挑戦です。
もしや JAMSTEC秘密基地か…?
展示ブースの内部も演出が最高です。
そういえば、草なぎ剛さん主演の映画『日本沈没』では、しんかい6500…と豪華共演していましたね。
(登場した際の船名は原作と同じく『わだつみ』でした。)
最期は、日本を地殻変動から救ったシーンが印象的な『しんかい2000』の雄姿。
君が最期の希望だ!!
相模湾の主かも…
こうして、えのすい展示テーマでもある相模湾で行われた研究の実績は素晴らしいです。
1982年1月の初潜航から始まって、2002年11月に最終潜航したのは相模湾ですから。
潜行すること318回もの成功を収め、深海の詳細な調査を行ってきました。
(展示された船体の左側は、カバーを外して内部構造がご覧いただけます。)
『しんかい2000』が誕生し、支援母船である『なつしま』が完成した1981年。
1982年 1月26日、第1回潜航を実施(初潜航)相模湾の初島沖で訓練潜航。
その時の最大潜航深度は~まだ20メートルでした。
1983年7月22日、遂に研究調査が開始されました。
初めての調査潜航に選ばれたのは富山湾。 水深も80メートルに到達しています。
この間にも各部の構造などは、細かな改修などを続けて完成度を上げていきました。
1984年、相模湾伊豆半島熱川より東方沖合~水深1270メートルの海底へ潜航。
枕状溶岩(灼熱のマグマが冷たい海水で急冷され重なったもの)を発見しています。
さらに相模湾初島沖の水深1100メートルに棲息しているシロウリガイのコロニー発見。
1990年、相模湾初島沖の潜航で、シロウリガイ群集域から採集されたチューブワーム(ハオリムシ)と共生する深海の微生物を陸上で培養しています。
そのスペックに興味あり!
船体の大きさは、全長が9,3mあり、それぞれ幅3m、高さ2,9m、重さは約24トン。
乗員数は3名で、操縦するパイロット2名、研究者は1名のみ。
水中速力は、最大で3ノット(kn)。 → 時速5,556メートルほど。
(1ノットとは、毎時1海里…1852メートルを進める速度。)
通常の潜航ならば7時間の連続活動が可能です。
幾多の潜航任務を達成させ、深海での潜水調査船に必要な技術開発のノウハウ獲得も重要なお仕事でした。
問題点を解決しながら、性能を向上した後継機の開発も進んでいきました。
いつしか世代交代…
こうして1991年、革新的な次世代の調査船として『しんかい6500』が調査潜航を開始しました。
その後も『しんかい2000』は、21世紀にも足跡を刻んでいきました。
2002年11月11日…冬が到来すると、第1411回の潜航が実施されました。
これが事実上の最終潜航となりました。
調査に向かった現場は、相模湾の初島南東沖に訓練潜航のダイブ…。
最大潜航深度1220メートルに達しました。
この1411回の潜航後を境に運航休止に入りました。
永らく日本の海を調査した『しんかい2000』も任務を終えて2004年に廃船。
ほんとうにお疲れ様でした。
専任のパイロットが操縦したコックピットが再現されています。
まさに大海原のフロンティアでしたね。