金沢湯涌夢二館



石川県金沢市湯涌町イ 144-1








館内には、彼を偲んだ豊富な作品や資料満載。  


また時々には、展示スペースで他の芸術家の作品展も行われています。




私は見学後に、湯涌夢二館の収蔵品総合図録を買い求めました。


(全199ページからなる内容の豊かな貴重本ですね。)








やるせない罪な男かな…夢二さんって。



竹久夢二さんの女性遍歴といえば、たまき(正妻)さん、本名は岸他万喜


妻となった唯一の人であり、金沢市出身の女性でした…


まつ毛が長く…大きな瞳の夢二式美人と呼ばれる画風は、彼女をモデルにしています。


別離しましたが、最も夢二さんを愛してくれた人ではないでしょうか。


(芸術家は情熱家かな?)






彼の恋人


夢二さんにとって最愛とも永遠の女性とも言われるのは…笠井彦乃さん。


ひこの彦乃さんは、明治29年(1896)3月29日、山梨県巨摩郡身延市西島にある紙関係の職業に携わる父、笠井宗重さんの長女として誕生。


(笠井家の皆さんは、上京して現在の中央区室町で紙商を営んでいました。)


二人の出会いと関係は、大正3年(1914)に始まりますが、それは妻である…たまきさんのためにと日本橋でオープンした港屋絵葉書店に、客として訪れたことが発端となる皮肉さ。


少女時代の彦乃さんは、裕福に暮らす商家の一人娘として育てられたお嬢様。


絵を描くことが好きな彦乃さんは、日本女子大学附属女学校で日本画の修業をしています。


彦乃さんの暮らす家から僅か400mほど離れた港屋絵葉書店は大人気店。


若い女性で絵画に興味のある彦乃さんも来店者でした。


当時は30代の夢二さんは、18歳という彦乃さんの清純な美しさに魅せられたそうですが…。


夢二さんとは、次第に言葉を交わす客となり…いつしか交際が始まりました。


(この頃、妻だった…たまきさんとは既に離婚していましたが、夢二さんとも破局して東京を離れています。)


激しい恋に生きる…女性としては、生涯最高の日々であったかもしれません。


そんな彦乃さんも大恋愛に身を焼き尽くす様に、同棲の果て…結核により25歳で死去なさったのです。


(夢二さんは彼女を失ったショックに打ちひしがれました。)


彦乃日記は、そんな彼女が夢二さんに遺した唯一の書として知られています。



大正13年(1924)年、夢二さんが新聞の連載小説として書いた秘薬紫雪


もちろん…哀しい物語のモデルは夢二さんと彦乃さん。


ラストで、二人が愛を誓い合う舞台が…金沢の湯涌温泉なのでした。





新たな妻となったのは…


大正8年(1919)、笠井彦乃さんと別離し、遂には落胆で絵筆をとれない夢二さんの姿を気遣った友人の紹介により知り合った女性。


そんな彼女は…細やかな立居振舞いまで夢二さんの傷心を癒せるような人。


まるで夢二さんが描く絵から抜け出してきたような美人といわれました。


お葉”さんという愛称で呼ぶのは、夢二さんだけのこと…


戸籍名は佐々木カ子ヨかねよさんという秋田県の出身者)



黒船屋(黒猫を抱いた女)という作品は、お葉さんをモデルにして描かれたとも言われます。



しかし、どこまでも彦乃さんの面影のみを追い求めた夢二さんとの恋に悩み自殺未遂。


夢二さんが、彼女の養生先として選んだのは金沢郊外の深谷温泉でした。


一度は復縁した…お葉さんでしたが、ふたりの間に悩みは去らず再び訪れた金沢で夢二さんとお別れしました。




夢二さん…女性関係だけは…ザンネンなんですけれど



その反面、時代を疾駆する様な見事な芸術性の輝きを放ってくださいました。




ページを開いてみますと下の写真は


乙女二態今様美人に対する…元禄美人(左)が赤い着物の女性画です。







こちらは、お土産のポストカード。


黒猫を抱いた女』の絵柄と、木版画の『七夕』…物憂げな女性の姿。


お気に入りです。







可愛い絵葉書セットもありますよ。







どこか…金沢の奥座敷ともいうべき佇まいの湯涌温泉街ではありますが…。


品性のある情緒を感じさせる土地柄でしょうか…


そこが夢二さん作品の気風にも通じる気がしますけれど。






夢二館のお隣は、総湯 白鷺の湯があります。


ここは公衆浴場なので、どなたでもお湯が愉しめますからね。


総湯と呼ばれますのは、それは温泉地の中心にある共同の温泉ということ。


人気のお湯には地元どころか、遠方からも来客があります。


(入浴料は、大人350円、小学生130円、幼児は50円ですよ。)







湯涌温泉といえば開湯から1300年。


藩政時代に遡れば、加賀藩の殿様までが湯浴びの場とする名泉なのです。


大正6年に…竹久夢二さんと笠井彦乃さんが至福の日々を過ごした土地。


肌にも~なめらかな無色透明の湯は…まさに癒しの湯です。


大正時代の初め、ドイツにて開催された万国鉱泉博覧会でも日本の名泉として出展した記録があります。


世界でも泉質の良さを認められるところが凄いですね。





それは昔々…718年のこと、偶然に紙漉の職人が…泉で湯浴みする白鷺の癒されるところを目撃したことから開湯となったそうです。








個人的には、名高い大きな温泉街は俗っぽくなりすぎてしまいましたが…


こうして秘湯ともいうべき温泉は、まだまだ廃れない優しい風情や慎ましさが残ります。


宿の設備も近代化された現代、快適さを備えた最良の温泉セレクト?かもしれませんね。







アニメ花咲くいろはの作品中では、当地のぼんぼり祭りが登場したそうですから。



あんまり有名には~ならないでほしいと願うのは…もう私だけなんでしょうか?。






竹久夢二さんという存在には、誰しも良否があるでしょうが


芸術に新風を巻き起こした近代のイラストレーターのように感じます。



いつも心を完全燃焼するような人物が創造した美人画…独自のスタイル。


女性に対して社会の意識が低い時代、その感性の機微を表現した絵画の数々


それが憂いのある、眼差し…柔らかな肢体に秘めた情念や儚げさ…深遠なる女性の魅力を描いた彼の理想と生涯。



ある意味、ひとりの女性意識解放者とも言えるかもしれません。



まるで女神との恋を求めるように…彼が真に求めていた瞳の眼差しは…何処へ




素描のように無念な …いまも未完成のままでしょうか。