やっぱり夏なら~江の島でしょう。
元来…この一帯は、地殻の変動により海底の地層だったものが海面にまで隆起した地域。
大昔には(約20000年前)、まるで小さな半島のように陸続きで渡れたらしいですね。
次第に侵食が進み、地球規模の海進によって島のような景観になりました。
紀元前…BC7000~BC1500年、島の東山頂上付近に縄文時代の遺構が発掘されました。
漁がしやすい豊かな海岸部で、古代人も拠点にしていたのですね。
江戸時代には干潮時にだけ『洲鼻』という浅瀬が顔を出し…島へも歩いて行けました。
関東大震災以降は、地形が隆起する傾向も顕著で…遠浅に陸続きの感が強いようです。
ずっと昔から『江島』や『江島神社』のような文字の表記になっています。
藤沢市は、昭和41年10月から新たな住居表示の施行により『江の島』で統一されました。
『江ノ島』 → 『江の島』 …この変更を貴女は?どう思いますか。
特有の島の景観は、この高さでは解りませんが…説明のいらないとこが江の島らしさ。
目の前は太平洋。 ぐるりと~切り立った海蝕崖という天然で険阻な状態。
江の島にある『岩屋』(旧時代の海蝕洞)は、希有の修行場だったのでしょうか?。
やはり遥か大昔から原始宗教にとっても神聖な修行場という側面がありますね。
遡れば…奈良時代の修験者である『役小角』が、はるばる研鑽に訪れ。
千年の時を経た平安時代には『空海』そして『円仁』が熾烈な修行を昇華させ。
鎌倉時代ともなれば偉大な上人である『良信』、『一遍』も荒行に明け暮れた。
江戸時代では、遊行僧の『木喰』が参篭し、彫刻や修行の日々を送った伝説の島なのです。
そして、武士政権を成し遂げた『源頼朝』の祈願により、寿永元年(1182)
『文覚』の勧請した弁才天を祀り、さらに頼朝による鳥居の奉納から始まった代々の将軍職や御家人までもが参拝した聖地なのでした。
現在とは~趣の違う過去があるんですよね。 不思議の島ミステリアス…
こう眺めると手前は…ふたりが歩いていける『江の島弁天橋』が…
当然、向こう側は自動車の通り道『江の島大橋』から乗り入れOK。
お洒落になっても、元は漁村の『江の島』界隈。 いまも風情ある漁船のクルーズ。
『片瀬漁港』の面影は、看板がないと気づきません。
海の詩…
この像を見ていたら…青空が深い海のように感じませんか…美しいコーラルへと潜ります。
(しっかり柔軟体操、ちゃんと準備運動しましょうね。)
進撃の浜茶屋
浜辺では、急ピッチで準備が進む元祖『浜茶屋』で、若い二人をバックアップ。
合い言葉は、『海が好き!!』
江の島シーキャンドル
2003年の春(4月)、江の島電鉄による100周年記念事業のシンボルとして建設されました。
江の島展望灯台は景観に配慮した優れもの。
にょきっと~海抜119,6メートルの高さにある展望室からは眺めも最高!。
お天気も晴れた日なら、遠く伊豆半島や箱根の山々~富士山だって見えるんですよ。
丹沢の山々や海原の彼方には大島、そして三浦半島も鮮明。
横浜ランドマークタワーを射程?に捉える眺望に満足していただきましょう。
相模湾を真紅に染める夕陽を堪能するならば、エレベーターより螺旋パワーの階段がお薦めでしょう。
やわらかな潮風を恋人と頬で感じてくださいね。
(一夏の想い出づくり~野暮な料金なんて忘れましょう~さあトライ )
太陽光発電も採用している夜間のライトアップも綺麗なんです。
島内には~いろんな建物がありますから
遊びに夢中もいいけれど、災害時の避難情報を認識して活かしましょうね。
あらゆる情報を駆使しても最後は体力勝負、明るく楽しい夏をすごしましょう。
そういえば…
かつては海底炭鉱によって栄えた長崎県長崎市の端島(軍艦島)とは真逆のキャラクターとなる江の島なのでした。
サーファーの天国、なんとなく私でさえ海に来たような気にさせる江の島なのです。
夏本番です。