治療法の中で『TAE』とは、肝癌の病巣に栄養を送っている動脈のみを塞ぎ、血流を抑止することで、癌細胞を壊死させようというものです。
もしも地殻変動で起きる地震の原因が同じように制することが出来たらよいのですが…。
地震が発生した時、それだけに翻弄されて忘れがちですが、不可抗力として同時多発する気象現象と重なれば被害も想定を超えます。
地震の際に起きている自然現象が、それだけとは限りませんから。
猛烈な豪雨や猛暑の中、または台風と地震が重なったとしたら…?
いまのところ…人間の手に負えない地震活動を細々と予測すべく探究するしかありません。
美しい富士山ですが、それは日本列島では、古代の神でもあり不死の山でもあります。
かぐや姫の伝説では、月へと帰還した姫を嘆き悲しんだ竹取の翁夫婦が、月の使者から拝領した不死の霊薬を火口へ投げ込むと不死の山…ふじ山となったと…
頂上だけではなく、山腹に多数見られる膨らみ(丘陵など)は小規模な噴火の残骸。
人の腸内にガスが溜まり腹部が張るように、富士山の根底には信じがたい膨満感がありまして。
通常は高温のマグマには水分や二酸化炭素のような成分も含まれて高圧で封じられています。
その抑えが大気圧まで下がると、炭酸ガスは急激に発泡し始めて吹き抜けようとします。
地盤は圧力鍋の蓋みたいのも、地震で地殻が崩壊すると…安全弁から圧力を逃がすようにパージさせます。
こうして噴火します!!
約70万年以上前、小御岳火山があり…小さく未熟な時代の火山帯では…箱根山や愛鷹山と同程度の火山でした。
10万年ほど前から古富士火山の爆発頻度は上がり急成長していきました。
約1万年前の縄文時代、遂には小御岳火山を吞み込み、荒ぶる神々の威容が出現したのでした。
巨大な新富士火山の誕生です。
約3000年前、東側に残った古富士火山は山体崩壊を起こしてしまいます。
度重なる噴火で古代の山々を吸収するように拡大と成長を続けて現在の姿になっていきます。
成層火山として稀な成長を遂げた富士山は、その秀麗な姿を形成しました。
火山噴火のシステムとして地下の深遠部(30キロメートルほど)のマグマ溜まりから供給され続けた溶岩は、噴火口に向かう厚い層を作り上げていきます。
恐らく、これは簡単には突き破れない強度を備え始めています。
ですから記録される世紀には、火口からの噴火は減少し、貞観大噴火のように脇腹を食い破るケースに移行しているのではないでしょうか。
長尾山の噴火は好例でしょう。
富士山、箱根山方面も度重なる地殻変動と噴火で中核となる部位から乖離しながら世紀を過ぎています。
次回の噴火場所も…そうしたオフセットする噴火の兆候を示すはずです。
より太平洋側で、富士の火口から見て南西もしくは東南~南になる扇状の範囲を想定するでしょうか。
これまで大規模な地震災害が発生すると、3年以内には必ず周辺エリアでの火山噴火が起きるなど兆候を示しました。
東北地方太平洋沖地震(M9,0)は…2011年3月11日のこと
不気味な静けさはボルケーノの前兆、大地震のカウントは続いているのでしょうか?。
平安時代の800~802年に起きた『延暦の噴火』も大規模な爆発でした。
1150年前となる、869年『貞観の噴火』では北西側にある氷穴火口列の亀裂から始まって長尾山から噴火していきました。
大量の溶岩は、当時の大きなせの湖の中央を埋め尽くし…西湖と精進湖に分けました。
(それでも鎮まらず、溶岩噴出は数ヶ月も続いたのです。)
878年には、『相模・武蔵地震』(M7,4)が関東地方を襲いました。
887年の『仁和地震』(M8,5)は、南海トラフを震源とした地震でした。
規模の大きな地殻変動が数年の間も続いた実例といえます。
観察と見聞の記録手段ができてから~具体的な被害や状況も伝えて手掛かりは増えました。
『延暦の噴火』、『貞観の噴火』、『宝永の噴火』は、富士山三大噴火と称されています。
江戸時代の1707年『宝永大噴火』(M8,6)(宝永4年)12月に富士山が噴火した事件。
この噴火は、日本最大級の地震の直後に発生したとの記録がある。
西暦1600年以来マグニチュードが8くらいの地震の震源となったのは、相模湾にあるプレート境界(相模トラフ)なんです。
1703年の12月31日に起きた『元禄大地震』も甚大な被害を残しました。
1923年9月1日には大正の『関東大地震』!!(関東大震災)。
こうした関東地震は200~300年間隔で発生するという説があります。
1855年11月11日の安政江戸地震とか1894年6月20日の明治東京地震などマグニチュード7クラスの関東直下地震なども数回発生しました。
2013年の現在、いつ被災をしていても不思議はない状態と言われています。
東京都がある南関東の領域は、決して安心という訳ではないようですね。
もし、次に大規模な富士山を中心とする地震と火山活動があれば、噴火と同時の山体崩壊の方が心配かもしれません。
(1980年、北米のセントヘレンズ火山は2950mもあった標高が2550mに。噴火により山体崩壊しました。)
映像記録まで残せた関東大震災(M7,9)は、大正12年(1923)9月1日午前11時58分、神奈川県相模湾の北西沖80km付近が震源となって発生。
海溝型となる大地震でしたが、発生が昼食の時間帯であったので多数の火災が発生しました。
さらに当時の天気図では、日本海側に接近していた台風の影響で、関東地方は全域が風も強かったようです。
やはり文明の弊害である火災を招き、それによる被害者数も人口の増加によるものですから。
地震発生時には、都市を煽る強風により甚大な火災被害を避けられませんでした。
(3,11 東北地震では、原子力発電所の被災で放射能の漏洩で汚染があったように。)
過密度、自動車の普及、地下鉄網、都市のインフラを見れば、基本的な脆弱さは変わりません。
後は人間が少しでも冷静に対処できるかどうかにかかっています。
公的な予測・観測も…しばしば事前の警鐘を鳴らすことさえできません。
かと思えば自責の念でしょうか、今度は些細な変化に対して過敏に警報の濫発に及ぶ。
これでは、民衆は却って注意を払わず警戒心が弛緩してしまいます。
予報などというものは、ほんとうに難しいものなのです。
しかし、実は身近な動植物の状態や身体の変調、天候や電磁波の異常からも感じとれることがあります。
日々、事象の変化に対し繊細な気配りが察知するポイントかもしれません。
つまりは誰もが参加できるのです。
情報に頼りきる前に…自身の感性や判断を健常に保って暮らすことが大切です。
貴女は緊急時のため準備していますか?
病院や療養施設、また高層階からの非難など…課題は多く解決のために考え続けています。
いかなる事態でも直面する事態を判断するのは自分自身だということを忘れずに生きましょう。
その時は、明日かもしれないのです。
狭い国土、非難場所すらないかもしれません。