戊辰会津戦役の功罪



この時代に生きた経験もない私ですから箇条書きで歴史の訳文を書くようなもの。


それでも、誰もが書いている内容と僅かでも違いが表現できたら最善ということです。


強大な軍事力で攻める新政府軍(西軍)、対する会津は婦女子も含む兵力。


なにより会津の藩士が、新政府に苦戦したのは、武装など圧倒的な物量の違いでした。



現代に較べれば程遠い殺傷力の通常兵器ですが、当時なら丸腰の相手を拳銃で撃つような行為でしょう。


新政府軍は、農民を兵士として教練した組織兵団。 兵器により実力差を緩和すること。


通常は鉄砲を有効に使った攻撃で自軍の死傷者を減らし、武士との白兵戦による危険性を回避します。



翻って名も無い…私の武器は何でしょう?



それは誰よりも浅学非才という名をしている思考の自由性にあるような…



似て非なる自らの主観で書ける場所(記事)ということになります。



さらに世界に詳しい皆さんには、読んだ場合に何処が違うかの差異を感じとれる。



ある意味、自説の幕末物語みたい(?)という意味合いに近づける興味でしょうか。


語りつくされた白虎隊、進むには法則があるかもしれません。


本来の参拝には、この見学コース番号プレートがございまして順序に従って登っていけます。






遠く会津の町並みが見渡せる石段から、お隣には足腰に自信のない方の電動昇降ローダーもあって快適ですよ。


ここは途中ですけれど。 とあるお土産店さんの豪華な心遣い。

商才にプラス、究極の気配りでしょうか。


私は…古い観光客ですから(祖先がンデルタール人かな?)同じ歩幅で石段を登ってくれる人がいいです。







ひとつ間違えると戦争賛美、青少年を兵役に就かせようとする悪者め!


…と、なりかねない白虎隊士中二番隊の記録を書いてる訳ですが。


現代のように、青少年の退廃が問題化すると、彼らの清廉な生き様が美しく感じるのは事実。


争い抜きで立派なオトナになってほしいのは当然かな、我が身の保身で戦争反対を唱えるようでは恥ずかしいね?



戸の口原の合戦場から無念の退却を余儀なくされ、白虎隊の若者は滝沢峠の間道を退却していきました。


国際サッカーで、善戦虚しく大敗した日本。   今なら気持ちが解かるかな。



戸の口堰を突破して飯盛山に辿り着いた彼等は…孤立無援。



少年達は励ましあいながら城の方角に面した…この場所を目指してきたのでしょう。


主君と城の様子を案じて、戦況を睨む…その視線の先は、黒煙に包まれる城郭でした。


負傷で精魂も尽き果て、空腹と死の恐怖、焦燥感… 白虎隊の心が折れても仕方がない。


(殉難した場所には、こうした少年の像が立てられているのです。)


確かに、眺めは最高なんですが。  いつしか涙が…








砲火で延焼する鶴ヶ城の陥落。  しかし…それは誤認。

会津の城は負けないはず、そう信じる白虎隊には煙りに包まれた城の姿はショックでした。

それでも松平容保と家臣は、死中に活を見いだすべく壮絶な籠城戦を継続していました。

まさに四面楚歌、勇気は萎え果てて…銃身に込める弾丸すらない。



白虎隊が通った日新館も閉鎖されて、臨時の救護所として活用されていました。



この世界に正しい戦争などないのです。



突如、破壊された会津の平和。  何もかも変わってしまった日常。


破壊と怨嗟の繰り返しは、おびただしい犠牲を出していきました。


ここで…恋すら知らぬ若者達は自刃したのでした。


礼節を尽くし、武士の信念を全うして…十九人は絶命しました。







ただ友を信じ…熱い忠義の心と、無垢な祈りと渾身の思いを刀に込めるだけで貫いてきた白虎隊士の二十名。

我が主君と城は、もはや陥落したのか。  


父母や弟妹の待つ日常は非道な敵が焼き尽くしたのだ。


悲嘆にくれた白虎隊の若者たちは、覚悟の自刃により己の命を絶ちました。


しかし、唯一生き残った飯沼貞吉は、印出新蔵の妻であるハツに偶然に助けられ手厚い治療を受けました。


(以後は、決して幸福とはいえぬ人生をおくっています。)


いつの世も、妄執する体制の楯となり犠牲者となるのは若者ばかり。


疲弊により戦意も定かでない肉体の限界に…四肢は骸(むくろ)のように重い。



白虎隊殉難士各霊塔もあります。







彼方の鶴ヶ城は、その後も予想外に奮戦して…籠城は一ヶ月に及びました。

しかし城下は壮絶な戦いの最中、炎と銃声の轟く阿鼻叫喚の地獄図絵となっておりました。



自らの意志で降伏するまで、会津の魂は揺らぐことはなかった。

会津戦役で行われた新政府軍の猛攻も人の心までは貶めることが出来なかったのです。


確かに…白虎隊などの話は美談かもしれません。


戦争で負った痛手から立ち直るには、とても長い時間が必要だったはず。


いまも会津と長州勢力との間には、因縁の確執が続いているといいます。


無軌道な暴力と狂気の沙汰が、会津の民を殺戮させ、その亡骸まで辱めた。


現代まで続く国家の問題、志なき兵が虐殺を行った社会こそ…諸問題の根源。

効率重視の百姓の兵は、命令に従い厭わず破壊を繰り返した。


ほんとうに貴女は蹂躙されても…黙って抵抗しませんか?。

武家社会を否定した明治政府は、そこに流れる尊い精神の系譜をも殺してしまったのです。




いまも少年達の遺影は、この会津の人々を励ましながら、見守ってくれていることでしょう。








醜い争いは、人間の心の弱さが引き起こすもの。


自堕落な生き方を正当化し、戦争まで他者に依存しながら自国を汚す性分を恥じない。


無恥と愚かさに裏打ちされた衝動のみの行為でしょう。



参拝順路を示す番号も傷だらけです?。







若者達が自刃した痕跡も、他の碑文や施設も幕末以前からなかったもの。

いまある風景は、後世の人の手で変えられたものです。


自刃の場所は、いまでは多くの市民が眠る普通の墓地の中になっています。


そこから歩いて戻った広場には、白虎隊の若者を偲ぶ慰霊塔や墓標があるのでした。


私も焼香させていただきました。







彼らの心を尊ぶ間は、人も正気を保てるのです。



退廃した江戸幕府の政治の歪みに…連鎖した幕末の騒乱であるように。


いまも人間の尊厳を辱め、堕落させる人間が日々報道されています。


時代は少しも変わらず、信仰まで乱れきり愚かさを露呈したかのような日本人。







会津藩殉難烈婦の碑


あまりに多くの民間人の犠牲者、痛ましい戦の死傷者を出した会津戦争。


そこで戦死した婦女子200余名の霊を弔うべく立てられた顕彰碑だそうです。


この飯盛山そのものが、会津の慰霊碑ともいえる聖域でしょう。







あまり現実が見えていない小政党は浮かれて嬉々としていますが?。


農民の兵士が珍しい銃を握らせられて高揚した狂気のようなもの…


ネット使用の選挙など、幕末の会津戦争と次元に差がありません。


次の選挙も大々的に、ネット解禁でコンピューター情報やメディアによる場当たり的な虚偽と誹謗中傷をさせ合う情報操作の泥仕合が懸念されます。


それ専用に若者にネット犯罪の専門教育を施した団体が暗躍すると想定されていますから、まずは健全な選挙は行われないと断言いたしましょう。



現在の日和見な日本人のメンタリティーでは難しいかも、必ず大混乱しますよ。


その間に、これまで仕掛けた政党が己に都合よく民衆を扇動することでしょう。


こう指摘された以上は、ムキになって流れを変えようとするはずですが。



ある種の不正に対する抑止力、予言?にしておきましょう。




つまり日本民族は、心を育てず愚者で支配を正当化し、戊辰戦役と内容に変わりも進歩もありません。


白虎隊の良い部分だけを見習う清新な生き方、シンプルで潔いでしょう。



これが諸問題の答えかもしれませんね。