福島・会津の郷土玩具や民俗の歴史
唐人凧 ベロくん出し
会津藩主だった蒲生氏郷は、自ら洗礼を受けた切支丹大名とも呼ばれます。
当時、先進的な長崎に伝来する南蛮文化を好む大名でした。
明和年間(1764~72)、会津藩は幕府から高麗人参の独占栽培が許されていました。
貿易商人である足立十郎は、人参栽培の指導と買付けに会津へ来る際、唐人凧をもたらしたのだと。
(軽快な凧であり、今風に言えばスポーツカイトかな)
さて、戊辰会津戦争が勃発した折、官軍に包囲され蟻一匹すら出られない戦況
鶴ヶ城も陥落寸前かと思われた時、空には会津の唐人凧が舞い上がりました。
この凧の姿を見て…死に直面し、疲労困憊した会津の兵士は士気が高まったそうです。
ならぬことはならぬ
義をもって、死兵となっても戦うという勇気をくれた凧のエピソードでした。
やはり天神の人形といえば、会津天神
歴史の古い会津張り子人形の由来。 遡れば豊臣秀吉の時代に発祥となります。
かつて豊臣秀吉の家臣であった蒲生氏郷は国替を命じられ会津の領主となりました。
下級武士たちが暮らせる糧とすべく、京都の人形師を招いた蒲生氏郷の殖産復興の苦慮こそが、会津張り子の発祥です。
それ以後、東北で400年間も受け継がれてきた張り子作りの歴史を堪能しましょう。
素材では、学問と書道の神として名高い菅原道真公を祀る人形『会津天神』の穏和な顔つきと上品さ、しかも愛らしい素朴さ。
授かった大切な子供の健やかな成長と幸せを祈り、古き良き時代の伝統を守りましょう。
サイの神
不思議な小正月の行事~ サイの神とは、神木と一緒に茅や稲藁を巻いて、お札などをともに焼きます。
この火で焼いた餅を食べたり、燃え残った炭を顔に塗れば無病息災といわれます。
三島町滝谷でのサイの神の特徴は、横木にオンベという飾りを渡しています。
それにしても見上げるほど大きい… 神聖な焔

暴れ地蔵
郡山市安積町笹川に伝わるお話し…
それは昔々、阿武隈川が豪雨で大洪水になったときのこと。
高瀬大明宮にあった大榎の根元に、奇妙な丸太棒が流れ着ました。
村人が薪割りの台にでもと~拾って置いていましたが、誰知らぬうちに神棚の上に載っておりました。
よく見ると…その丸太には目鼻らしき痕までついている。
笹川の庄屋さまに相談すると、地蔵様に間違いないと…寺の地蔵堂に納めました。
御宣托では、ありがたい地蔵様である。
それから、村人の流行り病が次々と治まり、人々は霊験あらたかさに感謝し、お地蔵様は信仰の対象になりました。
年に一度~地蔵様を村中に引き回し~皆の家内安全を祈りました。
その様子が、お地蔵様が童子と一緒に暴れることを喜んでいるように見えるので…
暴れ地蔵様と呼ばれるようになりました。
11月2日、熊野神社の秋祭りがある前夜は地蔵祭りが行われ、それが年一度の悪疫魔除け神事になりました。
鳥小屋?といえば…
福島県いわき市では、正月の伝統行事に使う『鳥小屋』というものがあります。
水田で製作するのですが、まさに年の瀬の風物詩です。
ひととき行事は途絶えていましたが、この10年ほど各地で復活しているそうです。
『鳥小屋』… とは、藁や竹で作り上げる小屋状のお社?みたいですが。
雪国の行事かまくら~の如く、この中で正月まで小屋番をしながら、餅を焼いたり甘酒を飲んで過ごします。
おおよそ『鳥小屋』とは、縦に5,4メートル、横は3,6メートル、高さは3メートルほどで屋根もあります。
まずは竹を立てて柱にし、藁は壁や屋根を作る材料。
そして中には畳を敷いて神棚を祀るもので、いまでは珍しい風習です。
正月八日の朝ともなれば、正月飾りなどと小屋を燃やし…お焚きあげします。
この火で焼いた餅を食べると、1年間風邪など引かないと伝えられています。
近代に至るまで、予防医学も投薬もない時代を生き抜いた人々の智慧。
病(やまい)は、祓うか清めるなどのカタルシスに救いを見いだすしか無かった過酷さでした。
こちらは、猫の玩具です。
かなり古いものですね。 耳は失われていましたが、ちゃんと首には鈴も付いてます。
木製の木偶(でく)がたくさんあるのですね。 (猪苗代町より)
小さき者の声…
民俗学者でもある柳田國男さんは、『こども風土記』という本の中で、
子供には、カミに近い独自の性格があるとおっしゃっています。
『七歳まではカミ(神)のうち』…といわれますように、子供とは『小さな大人』ではありません。
いまだ生命力の不安定さと魂の純真さから…『カミ』と『ヒト』を仲立ちする存在と考えられていました。
こうした考え方が、日本の民俗にはあると指摘されていました。
(それは、無垢な存在は生命の根源?に近いということでしょうか。)
成長の無事を祈るのとともに季節を追って…年中行事や祭りの様々な場面にも登場する子供の姿。
『カミ』を… 崇高な大自然の律動と考えますと、フラクタル…いまだ揺らぎある生命とも?。
揺らぎは不安定さなどではなく、分子の固有振動のような必然です。
子供という存在として、大人とも相対的であったり、純粋さは『カミ』に近い存在であったりもします。
利害なき…『遊び』こそ、子供たちの生活と学びそのもので、身のまわりのものを工夫して遊びに取り入れていました。
昨今の子供に対する教育は、そうした本質を相殺した家畜化、子供を…単なる穢れた肉塊にする行為に等しく思えます。
親が養育の苦労を省きたくて、逃避したとき…優れた精神性や資質も失われている気がします。
子供は、童子のままでいい…
単なる玩具という枠を超えて、かりそめの信仰心を感じさせる木偶の数々…
もっと紹介したい展示品ばかりなのですが。
私も来訪して…福島、東北の深遠な精神文化と温もりに触れた気がします。
素粒子のように悠久の時を駆け抜けてきましたが…
いかなることも百聞は一見にしかず、ほんとうに貴重な体験でした。
久遠の彼方へ通じるタイムトンネル…素晴らしい時空の向こう側へと参られよ。
混濁した文化、失われた歴史
祀る…マツリ、 祭りは大自然の神々への畏怖を表す最古の祭礼です。
我々日本人は…どこで生まれ、どこへ往くのだろうかと問いかける。
繰り返されてきた破壊と再生に委ねられた魂魄は浄められるのだろうか。
ロスト・センチュリー
21世紀の今も変わらず、世界中が信じ難い破壊と痛み…絶望に苛まれています。
誰しも人知れず抱える痛み…伝えられない声
戦争、圧政、災害、…いまだ鬱屈させられる幾多の試練を負わせられる東北の民に救いを。
あまりに無情な仕打ちにも、人間は立ち向かい真摯に生き抜いていくのです。
それは倭人、日本人全体の試練なのですから。
いかなる民族にも歴史という線引きを善き方へと融合するチカラがあります。
ホールには、勇壮な祭りの主役となる大きな山車が鎮座しています。
偉大なる情動に身を灼きながら 人(ひと)のチカラで超えていくために生きる。
孤独と混沌の闇、すべてが等しく『無』から始まった、原初の人間たちがいたように…
火を…灯していくしかないのです。
福島県立博物館に来て、たくさんの発見がありました。
どうか皆さんに善き未来がありますように。