都のことばかり見ていてもだめですよ!
これは華麗な真紅の甲冑ですね。
合戦では、味方側のエースが纏って乗馬したのでしょうか。
永らく侍が…いくさ場で使用した伝統的な鎧も金属など素材を駆使した防具。
伝統工芸としての装飾価値も高い各所の設えは美しくさえある。
東北、福島の民衆文化。 田島祇園祭西町屋台です。
これは、移動する山車です。 祭りになると見事なお芝居を演じる舞台。
福島県…田島町での祇園祭とは、疫病や悪霊などを送る夏祭りです。
祭りになると山車で町をねり歩き、伝統の子ども歌舞伎や浄瑠璃を演じます。
そして芸場といわれる家の前で上演される子ども歌舞伎が名物です。
出し物は、木下藤吉郞秀吉の出世ストーリー『繪本太閤記』をどうぞ。
伝馬船 浪江町請戸
江戸時代までの漁船のようですが、小さな帆を広げて海に出て行く…
福島県の沿岸は、半漁半農で暮らす村が散在し、伝馬船のような小舟の漁業は一貫丸と呼ばれていました。
浪江町請戸の漁師は、スズキやヒラメを一本釣りしたり、ワカメ採取も盛んでした。
船の舳先には、ふなだまさま(船霊様)と呼ぶ神を祀って、大漁と安全を祈願しました。
老いた漁師の獲物は… まさか巨大なカジキマグロか?
アーネスト・ヘミングウェイの世界ですね。
これは、会津三匹獅子舞(会津彼岸獅子)ですね。
東北の冬が終わりを告げると、春は彼岸の入りとともの行事。
笛と太鼓の音色に合わせた三体の獅子により古式ゆかしく舞い踊ります。
春の訪れを喜び、豊作と家内安全を祈る会津の伝統行事です。
なぜかっ修験道の開祖といわれる役小角(えんのおづぬ)の象がありました。
両脇は、彼が呪術で使役した『前鬼』と『後鬼』という一種の式神です。
また、善童鬼(ぜんどうき)、そして妙童鬼(みょうどうき)とも称した夫婦の鬼神。
その法力は強大で、護法童子を使役していたともいいます。
634…というとスカイツリーの高さを示す数字を思い出しますか?
私は、この御方、役行者(えんのぎょうじゃ)を連想します。
大和国(奈良県)葛城上郡茅原に、舒明天皇6年(634)に生まれた超修験者。
(吉祥草寺の建立された場所が生誕の地です。)
なんと17歳にして孔雀明王の呪法をマスターした天才。
その後も山岳修行を経ながら、吉野にある金峯山では金剛蔵王大権現まで体得した伝説も。
20代では、高いヒーリング能力で人々の病を治癒させた逸話もあります。
さて…吉野の金峯山から葛木まで石橋を掛ける工事の際。
役行者は、使役する鬼神と葛木山の神である
一言主神まで橋造りに働かせました。
『それに恨みをもった一言主神は、里人に憑依すると…役行者は天皇に謀反する心があると託宣。』
一言主神の讒言により、役小角の身は拘束され文武3年(699)に伊豆へ流罪にされました。
役行者は、流刑先である伊豆大島から、毎夜…海上を歩き富士山を登って修行していたとも。
富士山麓にある青龍寺(御殿場市)は、彼が建立したそうです…。
ところが、彼を流刑にしてから…国内各地に天変地異や異常気象が頻発。
その後、一言主神による讒言(ざんげん)のデマゴギーも発覚!。
文武天皇も大いに心痛し…、大宝元年(701)に解放され、ようやく故郷に戻れました。
荒唐無稽な伝説か、真の超人なのか不思議さ日本一でしょう。
役行者並びに 二鬼像とあります。
戊辰戦争までは、通常兵器である大砲は…こんな感じです。
輸入品である、アームストロング砲をご存じですか?。
まだまだ射程も破壊力も低い火力。 それでも新政府軍の主力兵器でした!。
背後の幕には、土佐 斎武隊陣…(あと読めません?)と記されていますが。
明治時代以降の貨幣制度と経済の趨勢が学べます。
大日本帝国国立銀行 大蔵省紙幣局製造
こうしたデザインの五円紙幣が流通したのですね。(複製)
絵柄は、どうやら鍛冶屋職人のようです。
20世紀、避けては通れない太平洋戦争の遺品。 敬礼!
攻撃 五○一飛行隊 大野上飛曹
何故、あのような戦争で若者は死ななくてはならなかったのでしょう。
カルチャーショック!!
戦時中に使用された木炭バスです。 車掌さんも同乗。
いすゞ A型 (小型車) 路線は、省営自動車福浪線(福島一浪江)
1937年 ガソリン消費量1割を規制しました。
1939年 燃料の割当て制を実施します。
1941年 バスとタクシーは、すべて代燃車に。
こうして太平洋戦争~1951年頃まで、バスもトラックも木炭やガス薪を燃料にしました。
世界でも珍しい公共の代燃車に改修され、ゆっくりと煙をあげながら走りました。
(石油など化石燃料は大切に使いましょうね。)
レトロな雰囲気で素敵なバスです。 猫バスより凄い自然車よ蘇れ。
福島県立博物館、驚きのディープな生活文化も満載です。
会津は東北の先進地なのでした。