こうして世界は…青銅の時代へ




人類が手に入れた金属の中でも、最古の精錬技術となり活用されました。




紀元前4世紀に、日本にも大陸からもたらされ…まだ輸入に頼っていました。


(ギリシャにはソクラテスがいた時代となりますね。)




国内で精錬が出来るようになっても(紀元前1世紀頃)稀少な金属でした。




1~2世紀には青銅を生産するに至った倭人、祭器として銅鐸が登場します。



銅剣、銅鉾などに使用された青銅は、銅に錫や鉛~亜鉛などを含有する合金。



出土した当時の遺物と比較しても、アジア圏で生産された青銅器に負けぬクオリティだったと思われます。





下は古墳時代の兵士が着装する甲冑の図ですが、これはですね。



武人の埴輪は、こうした武具を着た姿を描いています。




複数の金属(鉄)を紐で縫い合わせてあり、大陸系伝来の武具の象徴です。



神武天皇の東征といった…武力侵攻で戦う兵士たちの武装です。












銅や鉄は、同時期に大陸から伝来するというルートで日本に入った技術でした。




5世紀にもなると、国内で独自に製鉄が可能になり、強度の高さから武具などは鉄で造り。



銅は、銅鏡銅鐸装身具など広く祭祀の道具などに使用されました。




(エレメント11… 銅といえば、周期表では第11族元素に属したもの。




銅の他には、金や銀、レントゲニウムなどがグループになります。)




金属器の丈夫な鉄は、古来からの縄文の民を駆逐し、支配と入植は促進されます。




こうして新たなる大和朝廷、日本国家の~あけぼのとなりました。












銅鏃(どうぞく)




青銅製の(やじり)です。 日本では弥生時代から古墳時代前半にかけ使用されました。




安定して殺傷力の高い、鋭い鏃が量産できる。  戦争は文明を加速していく…












銅鏡  三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)です。




(ただしくは、三角縁唐草文帯三神二獣鏡と呼びます。)




会津若松市 会津大塚山古墳の南棺から出土しました。



三角縁神獣鏡としては、最北の出土例となる珍しい銅鏡なのです。





直径21,4センチの青銅製の銅鏡です。(保存状態も良いですね)




名の由来は、縁の断面が三角形で、そこに獣や文様を表現した鋳物ですから。



これは日本国内で4世紀に製作された仿製鏡 (ぼうせいきょう)です。





同じ鋳型から生まれた銅鏡(同笵鏡)が、岡山県の鶴山丸山古墳から出土しています。




安置された遺体は、胸の上に銅鏡を抱いていたそうです。


(神聖なソウル・アイテム?)











3世紀の前半に中国から渡ってきた画文帯神獣鏡という中国の銅鏡があります。




これは主に大和朝廷の中心地である畿内でしか発見されません。




国産の三角縁神獣鏡は、画文帯神獣鏡を手本に作られたといいます。



それ故、両者のディテールが酷似しているのでしょう。




そしてこれが会津若松の銅鏡とツインズ?の関係にある同笵鏡(どうはんきょう)の複製。




遠い岡山県と福島県、古代からの繋がりがあるのですね。











不思議なチカラを感じさせる謎の多い三角縁神獣鏡




古墳時代の前期より多数の遺跡から出土しており、奈良県からの出土品も多いです。



古い銅鏡には、中心部に丸ではなく~長方形をした鈕孔のタイプがあるのですが?



それは魏の王朝と交流していた年代、邪馬台国の代表者である卑弥呼と後継者となったのために下賜された専用の鋳造品。



それこそが…三角縁神獣鏡のルーツではないかという新説まで出ています。




(文明もない極東の倭も、魏にとっては神聖な土地に思われたのかも?)




魏志倭人伝の記述で、景初3年(239)に、の皇帝から卑弥呼に銅鏡百枚を下賜したと…




その頃から神聖な鏡として扱われているなら、大和朝廷は倭の平定のために似せた銅鏡を作らせて各地の権威者へ下賜することで支配を促したのでしょうか。





ただ…古墳時代以前の墳墓からは出土していないので反論も!。





しかし私の私論では、本来は神殿向けで墳墓の石室に入れぬことが正当なこと

どちらにせよ、卑弥呼の影に怯えるように朝廷は模倣を繰り返したような痕跡が見え隠れする。


卑弥呼と…手にした銅鏡、とても神秘的な組み合わせですね…。 真相は…?










そして 鉄の時代…が到来すると。





日本国内の製鉄が始まったのは5世紀頃からだと思われます。




7世紀初頭と言われる… 謎のブーメラン形鉄器




いまだ日本国内では~3例のみしか発見されていません。




大きさから胸当てとも考えられていますが、正体不明の金属器です。




まさか、これを敵に目がけて思いっきり投げていたのでは…ありませんよね。


上に写るのは、小札(こざね)など、プロテクションする武具の一部です。











これは装身具。  首飾りの管珠、ガラス小玉、算盤玉や櫛の一部です。





日常品の遺物ですね。











たいせつな食生活の影の主役といえば…





民衆の生活では、古墳時代でも大差ないでしょうが、弥生時代から基本は同じ。



暮らしの場面、台所といえば煮炊きする~かまど(竃)の再現です。




これは立派な技術です。   熱効率だって焚火とは比べ物になりません。



すごく美味そうなゴハンが炊けそうじゃないですか。









竪穴式住居に最終的に備わったのは地床炉で、こんな仕組みの竃(かまど)でした。



当初のお米は蒸して食べたようですよ。



後の時代も、貧しい民衆や地方の暮らしでは~住居や食生活で竃は重宝され、進歩しながら~現代でも使われています。




弥生時代後期の住居や古墳時代前期にも炉の上には器台が付いた台付甕を使います。



5世紀にもなると古墳時代の中期。 かまどの遺構に、登り窯の形式までみられます。




つまりは、穀物を中心とした食生活の利便性をもとめて進歩したはずです。





おこめ粒~ひとつ残さずにキチンと食べましょうね。おにぎり













もし… 文明が崩壊しても、この図を憶えておいて再建しましょう。


土器だって作れば立派に役立ちます。


金属の精錬ができなくても、自然の樹木や土からの恩恵があります。




古代人のサバイバビリティーurvivability)は素晴らしい。