欧州のハンガリー共和国で、陶磁器製品によるディナーウェア、ホームアクセサリーや人形などを手がける企業です。
デザインから製造~販売まで行う『ヘレンド』社を御紹介しましょう。
ヘレンド(Herend, Herendi pocelánygyár)
その創始者は、ヴィンツェンツ・シュティングル(Vinzenz Stingl)さん。
欧州のハンガリー首都であるブダペスト。 その郊外にあるヘレンド村が拠点でした。
昔から陶芸が盛んだった地域で、ルネッサンス期からはマヨリカ陶器の産地としても知られています。(イタリア産の錫釉陶器の流れを汲む…)
1826年… 彼、シュティングルさんは、ハンガリー王国時代の県都ショプロンからやってきました。
その当時の経営は、会社どころではなかったそうです。(苦難の時代)
1839年、経営者がフィッシェル・モーリツさんに代わり大いに手腕を発揮。
陶器は外国語ではチャイナ?と称されますが。
ヘレンド社では、高級な陶器のマイセン、そして古来の中国産陶磁器を修復する技術を研鑽。
こうして世に知られるようになるには、サルディニア(現在は自治州)王が所有する陶磁器の破損を見事に修復した逸話?などがあります。
その後、ヘレンドの技と名は、王侯貴族の間でも一躍有名になりました。
次第に修復だけから、自社デザインの陶器を製作するようになり…
精緻な技を誇る、欧州の匠たちは送り出し続けています。
欧州でも好まれるオリエンタルな様式、花鳥風月といった東洋の絵柄を施した陶器の美しさ。
(可愛らしい小鳥や花~昆虫など素晴らしいモチーフですね。)
そういえば、マヨリカ陶器というと、北西アフリカ地方のムーア人(イスラム教徒)様式となる錫釉陶器の類なのですが。
(Maiolica マヨリカは、スペイン領の島名で、陶器の貿易では中継地点なのでした。)
遂にイタリアでも錫釉陶器が大量に生産されはじめたのは13世紀も後半のこと。
15世紀頃には陶器の技術も過渡期を迎えるほどに成熟したといいます。
(イタリア陶器の呼び名とされたのは、16世紀頃のこと)
そうして~いつしかハンガリーへと。
こうした装飾技術の伝搬や他国への分化に関する歴史は面白いです。
ハンガリーの国土は、日本の1/4の面積(時差は8時間)。
大陸性気候で(真夏の平均気温は摂氏21,7℃)、その人口は1000万人。
美しく青い… ドナウ河流域には、首都のブタペストがあります。
ドナウ河の真珠や女王と詠われる美しい首都で、現在はF1グランプリも開催されます。