須曽蝦夷穴古墳
古墳の整備は、平成元年(1989)から平成8年度(1996)に行われました。
考古学、土木学的なアプローチで徹底調査。
古来のマテリアルである土と石を使い忠実に復元しました。
こちらは西側の『雌穴』石室です。 基本構造は『雄穴』と同じ横穴式石室が奥に…
こちらは奥がL型に右へ広がります。
葬られた人物は、来世も無く、永劫の時間の眠りと信じたでしょう。
学術調査のためとはいえ、望まぬ発掘により目覚めさせられるとは…。
アナタは… そこにいますか…。
玄室の床面には、棺台状に区画を分けているようですが。
内部には、銀象嵌装飾を施した刀装具の太刀が発見されたほか…
朝鮮半島で出土例が多いという… 鉄斧(ほぞ穴鉄斧)などの副葬品が出土しています。
やはり渡来した朝鮮半島との地域的な縁を感じます。
遡ると、404年に倭の軍勢は帯方郡(たいほうぐん)へと出兵しましたが高句麗軍に大敗北。
同時期に朝鮮半島では戦乱が吹き荒れ、倭国(日本)に渡来する人間が増加しています。
(現在の脱北者のように国境を越えて逃避した人々がいた…)
この頃は、前方後円墳の巨大化もピークに達した時代です。
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)のように世界最大規模の墳墓が造営されました。
(大阪府堺市のエリアには、百舌鳥古墳群と呼ばれる大小100基を超える古墳が集中。
戦後に乱開発で破壊され、29もの古墳が消滅しています。)
古墳に対する考証は…
大陸渡来系の技術で、急激に国家として組織化され、大規模な土木工事までが可能になりました。
水稲耕作による生産力を得て、食糧需給の安定と大規模な集権が促進。
倭国は激変どころではなかったでしょう。 巨大な古墳を続々と造営させた真相とは?。
(三角縁神獣鏡などの下賜品は各地の首長や有力者に与えた地位の承認の証しなのか?。)
前方後円墳の発祥は奈良の箸塚古墳だといいますが、近年~古墳の発祥時期は諸説あります。
数世紀も続いた巨大墳墓の造営は、神の如く支配者(大和政権)の威厳を保つためでしょうか。
埼玉の古墳群には、国内最大級の円墳があります。
徐々に規模は縮小されて…須曽蝦夷穴古墳のような小型墳墓は古墳時代の終焉でした。
朝廷の本拠地である奈良では終っても、遠く離れた地方にほど残る古墳造り…。
それ以前に、古代の有力者は埋葬されるとき…大きな墳墓を遺させたのです。
被葬者(権力者)が来世までも権威を誇示して統治に利用した古代の社会。
(人間は解っていても、観念的には切り替えにくい習慣…)
墳墓に保存される造形、美術品や構造の技術を後世に守り伝える時の船…
こうした時代背景に…
603年には聖徳太子が冠位十二階を、翌604年に憲法十七条を制定なされました。
700年頃になると高松塚古墳が造られたといいます。…風水思想が見られます。
(地層から藤原京の時代遺物が発掘されたので、694~709年頃と)
都をはるかに離れた能登に…どんな人物がいたのでしょう。
たとえばキトラ古墳への疑問も
有名な歴史の謎を秘めた『キトラ古墳』も内部の見事な装飾に目を奪われます。
そうした飛鳥の檜隈にある古墳の選地からも当時の風水思想が感じられます。
石室に共通した天体運動など星図の描き方で、春分や秋分の誤差が大きく…
四神獣などにも特定の疑問点があります。
私は、かなり特殊な被葬者が安置された古墳であり、貴族よりも高名な呪術者を埋葬したのではないかと推測します。
内部の装飾や天文図の意匠は、故人の要望を叶えたカタチ。
図形が正確さに欠けるのは、まさに被葬者自身が手掛けることが出来なかったからでしょう。
もし、偉大な呪術者ないしは学者が、墳墓の造営に取り組めたら精緻な技術で描いたはずの星図。
(そうだとしたら、とても残念ですね。)
しかし本人の死後…意味を理解できない人々が形骸のみの石室装飾をしたのなら?
恐らく、『キトラ古墳』のような結果に終るのではないでしょうか。
正確に推理するほど、陽炎のように逃げてしまう謎も…そんな理由かもしれません。
被葬者の遺志や学識が反映されていないカタチだけの古墳になったのでは?。
主に優れた人物は一代限りで、途絶えてしまう哀しさかもしれません。
被葬者が何者かで大きく変わる古代のメッセージ。
須曽蝦夷穴古墳 『雌穴』から外界の光に触れる…
はるかな大昔、遺体を安置してから、この姿勢で同じ光景を見た人がいたはずです。
発掘され、副葬品が移動しても…死せる魂が?いるのだとしたら。
ここからの眺めを見ているのでしょうか…。
(もしかしたら被葬者は、この丘陵地からの眺めや風が好きな人だったのかもしれません。)
歴史の闇と言うほど暗い時代のことではない。
100年前のことすら正確に答えられない私達の文明。
ただ…いつの時代も、愛し育み、生きるために戦った人間がいたということです。
悠久の歴史の中で、私達は…ひとときの邂逅を得たのでしょう。
どうか安らかに眠られますように…
心地よい風の渡る丘でした、 ここで空を…自然を見つめる瞳があった。
それが解っただけで十分な体験でした。
ありがとうございました。