ごめんなんしょ (ごめんください)
城郭は、旧き封建時代の遺物と言われれば… それまでですが。
寺社のように日本独自の芸術性が昇華した建築物の最高傑作でもあります。
鶴ヶ城 …張り巡らされた濠と堅牢な石垣のハーモニーが美しい。
明治7年に、石垣だけを残して取り壊され、現代に再現された天守閣は鉄筋コンクリート併用の建築物。
濠や水を湛えた濠や石垣は… 当時の面影を残したまま。
まさに、深山幽谷のごとき自然観を醸し出しながら…籠城戦での堅固な守りも万全。
豊かな水資源は、貴重な生命のオアシス。
新緑の美しい会津地方にあって、まさに名城の気風を漂わす見事さです。
そうがし (そうなんですね)
城の正面玄関ともいえる、鉄門(くろがねもん)は、加藤明成の大改修により造られ、柱や扉が全て鉄で覆われています。
(天正11年(1583)には、賤ヶ岳の合戦で七本槍の勇名を馳せた戦国武将です。)
寛永16年(1639)、天守閣は五層となり、増築された西出丸と北出丸。
近年では…昭和40年(1965)に復元されました。
左右の石垣は化粧たがねを入れ、工法は切込ハギで築かれております。
その鉄門から眺めた、再建後の南走長屋から~干飯櫓の様子。
(若松城内の十一ある二重櫓の中では、干飯櫓は最大級の櫓でした。)
鶴ヶ城の歴史は、代々の武将達の変遷でもあります。
上杉景勝公が会津に入封された際、上杉謙信公の遺骨も鶴ヶ城内に移されました。
当時は、鉄門に近い一角を仮の廟所にあてたと伝えられています。
(その痕跡も発掘されています。)
馬洗石
奥州は名馬の産地でもありますが… 武家といえば兵馬の扱いは重要。
本丸南側寄りには、藩公が馬術を稽古するための馬場が設けてありました。
こうした石の槽は、馬が口洗いをするため用いられたそうです。
この城が再建されたのは、昭和40年9月のこと…もう半世紀近く経過しました。
石垣しか残っていない城址公園に、時空を超えて秀麗な楼閣が蘇る。
会津の皆さんには、心の絆としてシンボライズされた遺産なのでしょうね。
眩しい陽光と和やかな空気に包まれ… 深呼吸してみます。
春には、1000本の染井吉野、江戸彼岸桜、枝垂れ桜、山桜などが咲き乱れるのです。
日本桜の名所百選のひとつでもあります鶴ヶ城の城址公園。
(美しいライトアップに浮かび上がる景観は幻想的、まさに桃源郷のようだといいます…)
さあ、会津へ あいばんしょ (行きましょう)
美しいお城、自然の中で育まれた風土、誇りある民の里。
かつての明治新政府は、西欧列強に盲従し、各地の城は取り壊すか…改造せよという方針に心酔していましたが。
いまこうして世界中から賞賛され、伝統文化を評価されているのです。
狂奔する権威者は、矮小で狭窄した視野によって時代を見失うのが常。
愛するもの、尊しとするものを…見誤る見識の無さが日本人にはありました。
ならぬものは ならぬのです。
これからの会津というビジョン。
新たな世紀を迎え躍進する会津若松、優れた人材を世界へ送り出してください。
譲らぬ士魂こそが必要であり、自ら深慮し判断できる能動的な個人が魁けとなります。
高い精神性を培い、迷う国すらも律するイニシアティブを存分に発揮する時代の到来を告げます。
一方で日本人は、増殖する… 汚濁した軽薄な流行に耽溺し、彷徨う人生を徒労と浪費で失い続ける誇り無き若者の堕落。
勝ち取る自由の喪失、惰眠すらも失った過ちの災禍を幾度も繰り返す政府。
すべては… 人としてのプライド、真心を失ったからです。
終わらない阿鼻叫喚の地獄絵を… 己の血糊で描く亡者の国にしないため…
誰にも侵されない強い精神が育まれねばならないのです。
災禍を契機にして、愚かさへの盲従から開放されなくてはなりません。
傷つき… 痛みを知る者は誰よりも強い。
幕末、しなやかな会津の芯の強さは、自由に学ぶ姿勢(独自性)にありました。
これからは、会津のように学ぶことが世界を変えていきます。
どうか、いつまでも… この地に安らぎと平和がありますように。
あんがでぇがったなし (ありがとうございました。)