まさに、放熱の記憶だ…
緋色の尾翼に…スコーピオン(蠍)のマーク、星座のような出で立ちが美しい。
地上より遥か高空、神々の住まう成層圏…彼方の星座に近づいた経験ある機体です。
その翼は…再び『空』を目指したいはず。
世紀末に誕生した浜松エアーパーク
この機体と遭遇した以上、次なるステージは本館よりも禁断の格納庫…。
断言しましょう。 そこにはジュブナイル(少年期)…夢の翼があるのです。
美しい日本の空を護ってきた英雄達の姿をご覧ください。
(ペットは御遠慮~願います。)
そこは…まさに日本の自衛隊航空史。
空色に塗られたルーフが心憎い…美しくメイクして展示された往年の機体達。
風を感じさせる~プロペラ機のレシプロ・エンジン。
心を込めて整備し、滑走路へ送り出す隊員達の頬に当たる風~変わらない雄姿。
正面の黄色い機体は、懐かしの『T-6練習機』ですね。
映画などでは零戦の代役?を務めたり、意外な活躍もしているそうです。
主に航空自衛隊、海上自衛隊で使用されました。
『DH115バンパイア』 (T.Mk55練習機)
英国デ・ハビランド社製、第二次大戦中の1943年初フライトしたバンパイア。
その戦闘機を練習機に転用しました。
バンパイアT.Mk55と呼ばれ、日本を含む21ヵ国で運用されました。
航空自衛隊は国産ジェット練習機T-1開発に関したデータ取りに使うべく、岐阜基地の航空実験隊で使用されましたが、飛行実験も少なく終了。
多くの戦闘機はタンデムの操縦席と複座のレイアウトですが、この機体は並列複座の方式。
教官が学生の真横に並んで教育指導できる利点がありましたが、航空自衛隊には並列席の機体は開発しない意向のため参考までに。
小さめのエア・インテークや異色の双胴?など画期的な取り組みの戦闘機には研究の跡が
妖しげな…ネームのユニークな機体が飛行していた岐阜(中部)の空。
貴重な当時の目撃者は幸いです。
『ノースアメリカン T-28B』 いまにも飛べそうな…
外の景色を見ながら~おでかけしたい子供のよう。
『V-107 救難ヘリコプター』が出動する時、誰かが助けを叫んでいる!。
米軍での呼び名はCH-46、救難隊のヘリとして活躍していました。
旧型といえど最大速力は250Km/hにも達する大柄なヘリコプター。
(欧州のセダン自主規制速度?並み)
近年は有事に備え洋上迷彩塗装されましたが、鮮やかな黄色いボディが目印の救難隊。
その任務は!
自衛隊機がアクシデントで墜落~ベイルアウト(緊急脱出)した隊員の救助。
また、民間人の救助要請に対しても出動します。
救難隊は、人命を守り続ける切り札であり最後の翼。
開放された後部器材ゲートから~機内の様子を撮影。(川崎重工製)
緊張の瞬間、いかなる悪天候でも災害現場へ急行します。
(過酷な訓練が行われています。)
RESCUE 歴代の航空自衛隊ヘリコプター。
手前から『S-62J』、中央に『V-107』、奥が『H-19』の揃い踏み。
『S-62J救難ヘリコプター』
海上自衛隊や海上保安庁にも配属された機体は三菱重工のライセンス生産。
汎用ヘリですが、大型フロートによる海面への着水が出来るそうです。
最高速度は200Km/hに満たないのですが、優れたマルチプレーヤー。
泳げる?頑張り屋さんです。
戦争には参加しない自衛隊の救難任務。 それは正面装備ではなくて
RSAR(アールサー)後方支援ですね。
③へと続きます。