浜松市にある…徳川家康の城、『浜松城』
しかし、私の見解では…歴史上の偉人ではあり、見習うことばかりですが。
好きな戦国武将といえば、『織田信長』や『伊達政宗』、『直江兼続』などです。
または『真田信繁(幸村)』ですね。
四面楚歌であろうが、援護も無く窮地に追い込まれようが、ただ己の信じる事ひとつに戦い抜いた生き様に感銘を抱くからです。
家康の天下にも辛酸はあったでしょうが、判官びいきと呼ばれようと私は苛烈な状況に命を燃やし尽くした…報われぬ人間を讃えたい。
ここは家康様の居城であったところ、彼の生き様を讃えることも当然。
現代の企業人、そして政治家など働く男達は、同じ伝統を受け継いだ日本人。
どうして彼等のように潔く名誉を重んじて仕事に挑めないのか?
そんな傾向が、軟弱者の自分にすら不思議でたまりません。
何万年も昔ではない、僅か数百年前の人間の決意と信念と乖離していく理由は
履き違えた自由の産物だとしたら…瑣末な生き方や増大する自殺の原因かも。
失われる生命の大切さは、厳しい環境でしか自覚できないものでしょうか?。
無骨な鎧や刀…槍が格好いいという訳ではありません。
飾られた武具を見ることで、歴史を知ることで僅かでも彼等の心情を知ることが出来れば…
己の心に驕りや欺瞞が生じぬように洗練されれば…と思います。
戦国時代の装束や生活具を拝見していますと様々な発見もあります。
浜松城の天守閣、決して大きな構えではありません。
内部のスペースも広すぎはしません、その場所に効率よく有意義な所蔵品を配置しています。
(当時の日本人は平均身長も決して大きくなかったことから十分に活用された筈です。)
敵の動向を掌握する戦略上の物見櫓と同様に高層が役立ったことでしょう。
徳川家康の銅像と同じサイズの胸像です。
上に飾られた図面は、甲冑を身に纏う順序を詳細に描いたものです。
戦国武将の身の回りの品…高価な漆塗り蒔絵、国内産の漆樹木から採集していた純度の高いウルシオール成分の漆。
職人たちも吟味した良い仕事をしていたでしょうね。
いまのような欲得から想像もできないストイックさで…寝食を忘れて腕を振るったことでしょう。
(ちなみに漆は、湿度が高くなければ乾燥しない性質。これから梅雨時期にかけて乾きは早いでしょう。 稀少な国産漆は高価で、大半は中国からの輸入に頼っていましたが。 現在の事情では輸入は難しいでしょうか?。)
甲冑の豪壮さ、よくある『ガンダム・デザイン』の鎧は高いプロテクションの武装。
その重厚感は凄いどころか?さぞや重く動き辛かったでしょうね。
当時の人間達が摂取していた僅かな栄養価や水分の補給などを考慮すれば
いかに持久力が高かったかが解ります(死に物狂いですから)。
小柄な日本人、そのタフなスタミナ…死と背中合わせの屈強な精神!
弱音を吐く現代人は、とても歯が立たないし敵いません。
『紺糸威黒鎧二枚胴具足』
そういえば『鎖国』という言葉、江戸時代の人々は意識して暮らしていた訳ではないそうです。
19世紀初頭、蝦夷地(北海道)でロシアと体外的な武力衝突が勃発した『露寇事件』。
文化3年(1806)、ロシア側の遣日全権大使レザノフ氏が樺太を報復に襲撃。
翌年の4月24日には択捉島がロシアの武装船に襲撃される『紗那事件』。
(29日には択捉の中心地へ砲撃!)
この事件が起きる前に、ロシア側使節に対して幕府が『鎖国』という言葉で国交を拒否した頃からに起因するようですが。
(このレザノフ氏を軽んじた幕府サイドの無礼千万な拒絶対応に激昂しての報復。)
こうして安政2年(1855)の『日露和親条約』が締結されたのです。
徳川家康が築き上げた磐石な江戸幕府の体制も…後半は多難な時代を迎えます。
こちらは対照的に鮮やかなデザイン・テイスト。
前立(まえだて)の龍が?どこかユーモラスで、可愛いと思いませんか。
『鎧』はマテリアルが、鉄~革~青銅などが用いられました。
その鉄も、板金を加工したり~鎖状にする。 鋼材は打ち伸ばした鉄板の組み
合わせ、青銅や鉄の小片を紐により繋げた造り。
鎧のアンダースーツ?のように、青銅や鉄の輪を幾つも繋いだ構造の『鎖帷子』(くさりかたびら)で刀などの貫通性や剪断を防ぎました。
欧州の騎士ならチェインメイルですね。
『金小札沢潟二枚胴具足』
黒色火薬の匂い?(しません)…保有する鉄砲は火縄銃、ご存知『種子島』
戦国時代のスーパーウェポンの登場です。
今も昔も日本人は、西洋や諸外国から模倣して独自開発するのが得意です。
命中率の向上、火薬と銃弾の装填、発射速度、破壊力…量産と配備
バリエーションも様々です。
銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)規制を受けるのでしょうか。
このままでも迫力ある姿です。
戦闘時の威嚇や戦意高揚のためにも…強面ですね。
ただ、重文級の鎧ですから複製品(レプリカ)が展示されているのでしょうか?。
歴史を知る…歯止めの無い悪意と暴力の連鎖を断ち切るための抑止力。
長い年月を経て手にした『専守防衛』の概念。
いま日本は戦争を許容する方向になりつつあります。
争いは全てをナンセンスに…日本民族の虚無な風潮の果ては…
戦いの中にも美意識や情けをもった戦国武将からも学ぶことはあります。
そろそろ~小学生達の~はしゃぐ声が聞こえてきました。
課外授業の社会勉強でしょうか ~ウエルカム
つづく