『縄文真脇遺跡』は、偶然に発見された~重要視されていない遺跡でした。
ここの住居、集落は…海洋型?とでも表現すればいいのでしょうか。
縄文海進という水位が高い温暖な時代に繁栄した遺跡です。
私的な見解では、こうした傾向の遺跡は日本中の海岸部に点在していたと思われます。
海抜が低く、暮らしに便利な水辺はタンパク源の宝庫であり、食糧(獲物)調達が容易な場所。
いわゆる…海人族(海に特化した漁をする人)の拠点ばかりではなく様々な人間が関わる海。
日本列島の海岸線は水没していて、現在とは~かなり違う様子でした。
豊かな遠浅の海辺は採集に適した環境であり、内陸が繁茂した植物に覆われた険しさで移動に適さないため、周辺部との交流や交易にも~外敵から身を守るにも海岸から近接した平野部も好まれていたと思います。
ご覧の通り、現在までの我が国は…大半の海岸部が開発や居住地域で埋め尽くされています。
土地の調査が出来ない、または古代の遺物が排除されてきた為に残留している場所は貴重です。
国宝級の土器や土偶が、個人所有されていることは珍しくないでしょう。
勿論、内陸部もそうですが…この国を重く覆った歴史のベールが隠してしまった縄文人の想いが知りたくありませんか?。
古代の日本人(縄文人)は列島の原住種族です。
大和朝廷の国家を統べる事業により、彼等の心を支えた古き神々の畏怖と共に排斥されてきました。
現代と同様の民族間紛争や差別が横行していたようです。
支配とは古代の神々を駆逐し、または新たな神話に取り込むことです。
クニ(国家)という意識や共同体の価値観が自由な縄文人は、野蛮な民族として虐げられました。
しかし彼等の豊かな精神性こそが、大自然と融合するように1万年以上も栄えた理由なのです。
異色ともいえる『環状木柱列』や『板敷き土壙墓』など、樹木をマテリアルとする文化。
近年の縄文遺跡発掘で巨木による高楼が存在したとも、新たな理論が飛び交う研究。
真脇遺跡で発掘された遺構から出土した巨木の痕跡は衝撃的です。
北陸の能登半島では、大規模な集落跡など存在しないという定説を覆しました。
縄文遺跡など、文化の特徴に『高さ』という概念が見出されて数十年。
人口密度も低い古代日本列島の痕跡は、貴女の街にも埋没しているかもしれません。
豊富な広葉樹の森林と木材を利用したトーテムポール?のような木柱は異端の文化でしょうか。
北海道にまで居住地を押しやられたアイヌ民族の顔立ち…遺伝子。
相似する独創的な美術観、彼等と共通する文化の痕跡が見出されます。
朝廷の支配体制に創作された日本史により揉み消された原日本人?の魂魄。
木材も湿った土壌で保存されていましたが、自然に分解され朽ちてしまうもの。
石造りの遺跡と違い、いつかは土に…自然に還るサイクル。
縄文人の宇宙(そら)は、私達の深層意識の奥で、幽かな灯火を揺らしています。
真脇遺跡への散歩道に繁茂する植物。
植物相?は温帯気候のいまに至り~様変わりしたでしょうが、こうした植物は共通します。
縄文人の特異な芸術観を見れば、精神性の豊かさと違いは世界有数のものでしょう。
確かに環境としては、遥か東に位置する列島は…まるでパンドラの箱のよう。
いまだ触れられぬ…天然の不可侵領域として成立していました。
大陸から王権争いに敗れた古代の王族が朝鮮半島を経由し、体勢を立て直す新天地として目指した。
日本列島は、温暖な亜熱帯気候から平均気温が低下しつつある縄文末期から弥生時代。
AD2~3世紀頃の日本は巨大な変革の波に吞み込まれようとしていました。
日本列島の原住種族を蹂躙して、支配域を拡大した大陸からの組織兵力。
大陸の発展した文化に較べれば、まさに原始のアミニズムを感じさせる縄文人は差別の対象。
しかし…その豊かな精神文化の『種子』は強く残っていったのです。
皆さんの街。それも海岸部などは古くから朝廷に懐柔されている地域。
幾重にも新たな文明の遺構が堆積しながら縄文時代特有の遺物は消されています。
ですから特別な例を除き、地元民でも古代のことを知らないのが普通でしょう。
よくあるのは、伝説で『土蜘蛛』とか『鬼』と称されたりする蛮族扱いの話しです。
(または、民話で恐い人々が棲んでいたなど?)
民話や伝説の類いは、後世…都合よく歪められ、変質しながら?伝承されるもの。
支配され盲目に隷属するしかない民の末裔は、思慮も誇りも関わりなし。
いまでは卑属な混血も進み、抵抗なく末路を生きています。
蓬莱の島、 ニライカナイ…、 日出づるところ
不思議なのは、そうした血族の末裔であるような日本人が…現在も朝鮮半島や中国に対して反感を抱いたり差別をしている意識です。
つまりは支配権力者の大和朝廷は、東アジアの集権国家が台頭する大陸での権力闘争に追われた一派が落ちのびてきた姿。
再生を誓って、力を蓄えながら…歴史上は幾度も朝鮮半島など大陸支配のリベンジを繰り返している行動目的の根幹でありましょう。
『秦氏』?と呼称される古代からの権威者。
ルーツを同じとする民族の末裔が受け継ぎ狙う心理には、そうした過去の経緯が見え隠れしています。
古代の大陸から、対立した勢力への血の報復を繰り返す歴史が…日本からの朝鮮出兵や戦争の歴史なのではないでしょうか。
その大和朝廷も、平安時代などは国内での繁栄で満足しながら~引き籠もりしていましたが?。
天下人の豊臣秀吉も後年…朝鮮への侵略という暴挙で疲弊しましたが、それは帝に好意をもたれていた秀吉なりに、天皇家の要望を果たさんとした大任なのかも知れません。
(表向きの歴史には真実は記されないこと…)
太平洋戦争の時代に至っても容赦ない大陸への侵攻。
いまでは天皇家のルーツや神武の東征の意味は、普通の論理ですけれど…
支配と殺戮に地塗られ受け継がれた古代からのタブーや謎には答えが隠されています。
温暖な時代のイルカ(海豚)漁で、未曾有の繁栄を得ていた真脇の地。
古代の貴重な食糧源です。
現在は残虐行為として世界から叩かれますけれど、人類が動植物との破壊的な共存なしには生きられなかった歴史。
いまも同じ日本で、愚かな部落差別や…東北や北海道の蝦夷と呼び蔑視していた民族も同じ源流の日本人。
彼等は朝廷への抵抗者など、決して従わなかった誇りある者達の末裔かも。
誰かを弱者に仕立て、差別してスケープゴートにする劣等感の連鎖は悪癖です。
子供たちの虐め問題は、ことなかれ主義の裏表。
隷属させられて犬のように争わされていた…日本人最古の低俗な意識の姿です。
どんなことがあろうと誇りを失わないように。
無難な餌をもらうための家畜?に特化して生きようとするから、能力の低下を招いているのです。
ホメオスタシスも免疫力の低下も生きる意志が些末になったから。
生涯かけて、薬漬けの滅びやすい生物になろうとしているようだ。
上も下もありません。同類相憐れむ惨めな姿。
現代社会にも腐敗の原因があります。
他所を羨むばかりの~負けてきた民族の島国根性は、劣等感の裏返し。
世界最大の仏像や戦艦を創り出す意識は?
一方では、どうせ負けるのだから~どうでもいいや?という投げやりな意識も
支配され続けた民族の系譜。
セコい足の引っ張りあいも…嫉妬心も怠けも、根底にあるのは誇りのない隷属する民族に根付いた意識の片鱗。
東北の太平洋側でさえ、度重なる地震と津波被害を伝承できず、低地に住んで被災している事実。
真脇の遺構も破壊されて失われたか、古代の津波災害に遭った可能性を窺わせます。
さらに調べてみたいと思います。
歴史を知ることは、自分を知ることに繋がります。
確かな客観性と思考を展開すれば、文明が崩壊しても再建できる人間になれる。
縄文時代、日本人の数万年に渡る源流は、のびのびと自由に生きようとする。
狩猟民族の運動神経が発達した、持久力や体力をもつ人々だと思います。
まるで荒ぶる原始の火山のように噴き上がるパッション。
新潟の火焔土器などに見られる高度な意匠も表現力も素晴らしい。
(狩猟民族の縄文人は、脳内のドーパミン分泌も高いでしょう?)
まあ、温泉にでも入って汗を流しながら…古代の日本について思索してみませんか。
その…真脇温泉も今年限りで第3セクター方式は終了します。
経営難は…ここにも津波のように押し寄せました。
それでも今後は施設の規模を縮小して運営されるそうです。
お立ち寄りくださいね。
街道で、思わず発見した道路のポケットパーク。
日本民族の永い旅路も終わらせてはなりません。
いまは…無思慮な浪費と欲望に翻弄されて疲れはてた日本人。
一休みして、深呼吸してみませんか?。自分のリズムを取り戻してみましょう。
この壁面のオブジェは出色の出来ですよ。
街にもあったらいいな。
これからも私は縄文の文化が大好きでしょう。
不思議な魅力を秘めた土偶のデフォルメ~されたレプリカ。
日本美術の源流に触れた心の成せる技。
小型の複製が発売されたら必ず大ヒット間違いなし。
立派な現代の意匠に昇華した土偶です。
いまも美しい日本海が煌めくのは、観ている心のプリズムが澄んでいる証し。
何も発想しない、何も意欲がない、手足は老いて動かない…。
生かされて惰性で転げ落ちる人生は日持ちがしない。
誰しも未知の老化が怖いから、適当な老人になれば済むと信じて…脳の意識が身体の萎縮と老化を促進する。
たとえ寿命が短くても、精一杯に生きて暴れて愛した縄文人の暮らしから学んだ気がするのです。
真脇も良い土地なら…大和朝廷により利用するべく支配されたに違いありません。
九州~沖縄から北海道まで、南北に分断され~追いやられた古代の民族。
失われた豊かな精神性には、未来へ向かう日本人のすべきことが内包されています。
閉じ込められた自分を解放する真摯な取り組み。
綺麗な湾内の海を眺めながら、真脇に生きた縄文人の追体験をした一日でした。