真脇の遺物や遺構の出土品からの分析で解ったことは…


縄文時代の前期初頭から終末の晩期まで、およそ途切れることない北陸最大級の遺跡であること。




4000年にも渡る長さ…縄文人が暮らしていました。


それだけの長期に集落が形成できたのも、気候と収穫物の安定があるから。





真脇遺跡と真脇湾を見渡す高台に作られた一面芝生の広場。


遺跡から出土した土器の文様や木柱列をイメージさせる屋外ステージ




『縄文劇場』があるのです。(土笛のコンサートなんて素敵音譜




(地方自治体の方々の管理のお陰か、整地も景観も規模とのバランスがよいですね。)









真脇遺跡から出土している数多くの動物質~植物質の遺存体。


最大の物は海豚(いるか)の骨格。




縄文劇場から~駐車場側へは、イルカ・トンネルを潜って通過してもOK!



豊かな海洋資源…哺乳類イルカの漁が集落繁栄の特徴という珍しさ。


真脇の縄文人が遺した息吹き…生命観や原始信仰などのリビドーを思い描きましょう。



古代の特殊な祭祀、海の恵みに感謝する、マツリ…の儀式が行われたのでしょうか?。







まさに縄文の迷宮は…イルカ海豚の体内をモチーフとしています。


天井の脊椎と壁の肋骨…?   なんだか…罪の意識が(汗)。









貝殻や石…タイルで飾られた神秘的なトンネルの連絡路。



イルカ…といえば、エコーロケーション(音響探索)。


賢いイルカが人間達に捕獲されていたとは信じがたいのですが。


やはり大人しく…敵対意識がないので容易く狩られたのだと思います。



…天敵は人類側なのです。



およそ6000万年前の地球、鯨やイルカの祖先は…メソニクス類という肉食の陸生動物です。


(古代には大型犬くらいの大きさの獣でしっぽフリフリ水辺で生活するように進化した哺乳類でしたが…何故か再び広大な海へと回帰していった動物波。)


マナティやジュゴンなど海牛類は、草食の陸生動物が祖先。













悠久の時を経て石になった古の樹木…珪化木(けいかぼく)のベンチに腰かければ、真脇の丘の風を感じながら遺跡公園全体を眺めることが出来ます。




彼方に真脇湾…そして遺跡を見渡せる高台を整地して設けられた芝生の広場。


真脇遺跡から出土した土器の文様や木柱列をイメージさせる屋外ステージ



『縄文劇場』があるのです。



その周りでは…カワイイ土偶がお迎えしてくれます。












遺跡公園の各所に置かれた土偶のオブジェ達をハロウィン ご覧ください。



デフォルメされて~すごく可愛いんです。(みんな微妙に違う表情ですから^^)


何か訴えかけるような…いいですね。(これ発売してくだされば、庭にも飾りたいです。)


貴女は?何体~見つけられるかな(^^)




※(縄文晩期(紀元前800年頃) 宗左近記念縄文美術館…の所蔵品に似ています。)













まさに縄文のガーデン。お手入れが行き届いた庭は理想の公園。


言葉すら定かではない当時…古代人は縄文などとは呼ばないでしょう。


しかし教科書本世代の私達には、じょうもんって~いい響きですね!。

















両腕を広げた姿と不思議な顔…(もしや通せんぼかい?)。 おやしらず 


おや~こんなとこに~葉っぱが、植物を守っているのかな。


縄文時代~豊かな自然との共生関係が集約されているようでしょう。


(栽培農業に移り変わる弥生時代とは…決定的に違う気がします。)



The wilderness.



an intractably barbarous or uncultivated state of nature.












なんだか~思わず、目が合っちゃいました目 (てへっ)シュールだなぁ。合格


どこか?岡本太郎さん的な表情ですね。(岡本先生は、縄文への造詣が深いO型)



. そういえば…この子達には?ある秘密が…(ふふっ)。両津マユゲ…違あせる



 おしゃべりや~歌を唄って踊れて?48体いるカラオケ



 夜は 演劇 謎の怪光線を放射するキラキラキラキラキラキラキラキラ燈籠。








答えはです。



実は、これ全部が内部に電灯ひらめき電球を備えていまして…キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ


星夜やイベント時は~優しく灯りが燈るのですね。キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ



(この秋…ここでアイソン彗星流れ星の観測会をしたら素敵でしょうね。)



来てみた人にしか解らない、この遺跡公園は凄く快適で感じがいいのです。




(この土偶デザインは~オリジナルだな?) ここは内緒にしたほうが良い隠れ里かも。ずっと暮らしていたくなります。








約1万5000年前から2800年前という永かった縄文時代。


その縄文前期から中期は、かなり温暖な気候であったそうです。


1万年の間に大規模な気候変動が起こり…後期2800年前からは緩やかな寒冷傾向に。




日本列島の先住民は自然と共に生きた『縄文人』なのです。



あの山にも…この街も、深い地層には彼らの暮らした痕跡が残ります。



それは、遥か古代の見知らぬ住人の系譜が刻まれた手紙のようなもの。



私達は、もっと優しく自らの国を大切にしなければなりません。