せっかくですから噂のキャッスル、金沢城を訪ねてみましょう。
金沢城公園は街の中心、古都金沢のシンボルとして愛されてきました。
加賀百万石、前田家の居城として知られている美しい城です。
この一体は、文化遺産としての金沢城、そして兼六園などが隣接します。
有名な三文豪…泉鏡花、室生犀星、徳田秋聲(しゅうせい)が暮らした町。
様々な芸術も育んだ北陸の都…。
まずは観光コースの『紺屋坂』を登っていきましょう。
ここは兼六園下交差点から~兼六園、そして石川橋へと続きます。
(この坂への道を入れると、五差路になりますね。 坂は一方通行です。)
日中は観光客で賑わうので…午後の遅い時間を選びました。
坂の道路脇には、土産物店が立ち並んでおり…
綺麗な傘、金沢では弁当忘れても傘忘れるな~という諺がありますから。
金沢は加賀藩による緻密で計画的な整備を繰り返してきた景観を残します。
歴史ある城や寺院建築が密集しており、金沢駅東口の3番バスターミナルから
発車のバスは、金沢城公園入り口の最寄りの兼六園下に停車するのです。
(15分ほど揺られていると…『金沢城公園』に到着。)
このお店には…加賀友禅風のお財布を飾っていますね。
これは~お金を使うのではなく、

おひとついかがでしょうか?。
『紺屋坂』の碑…と、下に見えるバスは、市内を走るクラッシックなデザインで心和らげます。
それぞれ周遊バスに文豪の名前などが付けられております。(低床です。)
この道路は、城と兼六園の間を横切る~お堀通り。
元々は堀が横たわっていた地形を利用しています。
周囲は坂が多いですよ(名も無い坂道も…)。 頂上付近で…撮影。
城を中核とする文化都市、商工の町として栄えた金沢は、北陸の地で発展を極めました。
関が原戦後に、譜代大名ではなく…外様大名の加賀藩は、徳川への忠誠を示すべく工芸~文化などに注力しました。
美しい金沢漆器、九谷焼、加賀象嵌…数々の工芸の職工と名品を生み出し。
能…など諸芸能も江戸時代に極まれました。
このバスは…秋声(德田 秋聲の名)号ですね。

主な名所の移動は楽、それぞれ徒歩でも十分に探訪できますから。
そういう意味で金沢観光は、投下資本利益率(ROI)に優れた街でしょう。
さらに様々なスポットや新鮮な食・グルメを満喫するには最適かも。
日本三名園のひとつ『兼六園』は、1676年から加賀藩主『前田綱紀』様が着手しました。
五代藩主である綱紀様からスタートした作庭は、完成後は3万坪の規模。
幕末…13代藩主の斉泰様の時代、優美な回遊式庭園が昇華しました。
庭園には秀逸な景観…曲水がめぐり、浮島の風情や日本最古という噴水池。
瓢(ひさご)池の海石塔、時雨亭、徽軫(ことじ)灯籠など…四季を彩る宴を想う名園あり。
心穏やかに古都を堪能していただきたい。
さて、それでは金沢城公園へと歩きましょう…
木立の向こうに…お城の門(石川門)。
左側に改修工事のシート・カバーも見えますね。(一部は修復中なのです。)
お堀通りの上に架かる橋梁は…石川橋(平成7年 3月架)
石川県道10号金沢湯涌福光線(兼六坂上交差点~兼六園下交差点)を跨ぎます。
明治時代の末に堀が埋め立てられ、元来の盛り土による土橋は陸橋となりました。
その後は近代的な姿に生まれ変わり、県内では最古のコンクリート橋でした。
(現行の幅広いアーチ形状が美しい橋は、平成に架け替えられた物です。)
渡れば正面に『石川門』の白い櫓が見事です…秀麗ですね。
橋からの眺めも~なかなかのものです。

もう雪は融けて…春風の吹く加賀路
貴女も旅に来られては…いかがですか。
桜の…ピンク色のコントラストと白き城を眺めてみませんか。
北陸の気候は雷の発生しやすい気候。
金沢城は慶長七年(1602)に落雷で天守閣が消失しました。
そして江戸時代、火災は30数回もあり…本丸や三階櫓の焼失など難儀に遭いました。
この石川門は、天明8年(1788)に再建されました。
細部の修復で、より美しい城へと転生するように
前田利家様と…まつ様も、この城と国を守られたのですね。
さあ、この門より古の加賀藩士として登城いたしましょう。
と…殿、一大事でございます!!(何事じゃ!騒がしいっ)
怪しき輩(もしや私か?)が城内に乱入いたしました(騒)賊でございまする。
前途多難?な…探訪はじまり~はじまり(城の秘密を探りますか)
つづきまするぞ 殿っ
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