栃木県の日光いろは坂へ遠征した際に参拝してきました東照宮。


せっかくブログも書いているのだから、数年前のことを載せてみます。


パワースポットの最右翼!



日光東照宮とは、元和3年(1617)に徳川家の初代将軍徳川家康公お祀りした神社ですね。


日光東照宮に籠められた思想からは、徳川の神威と昂揚を以って多くの参詣を受け入れること…。



建築意匠では統一される表現において、漆塗り、彩色、錺金具には壮麗な外装に技術の粋を凝らしています。

建築表現の特性により、精彩を常に維持するため、数十年間隔の短い周期により、継続した修復を施す建築なのです。

ですから、江戸時代を通じ、元和の創建(1617)以降に、徳川幕府によって国家事業として造替の修理工事が継続されてきました。


特に寛永13年(1636)施行の大造替では、創建された当時の全てが一新されたほどの大工事。


現在…知られる姿が完成されました。


大造替から半世紀後の元禄元年(1688)に始まる修復は、本社の解体までも伴う大工事となり…。



度重なる維持の修理は、明治維新で体制が変革され、幕府の手から運営が離れた後、荒廃する困難を経て…『昭和の大修理事業』(昭和25~61)などから今日の文化財修理事業に引き継がれています。



カバーされたまま、アンベールは…まだ先のこと。








現在の社殿群は、その多くがご鎮座から20年後の寛永(かんえい)13年(1636)に建て替えられたものです。




国宝の陽明門など55棟。 その費用は江戸時代、金56万8千両、銀百貫匁、米千石の巨費を投じて建立されたそうです。



『日光山東照大権現様御造営御目録』に記されます。



造営事業の総責任者に抜擢されたのは秋元但馬守泰朝(あきもとたじまのかみやすとも)。



工事総責任者は大棟梁として甲良豊後宗広(こうらぶんごむねひろ)を登用して、僅か1年5ヶ月という工期で完成しました。





広大な境内は、自然の地形を生かして参道や階段を設けています。


(ランドスケープ・アーキテクチャー?でしたっけ)



調和を大切にされた社殿の荘厳な歴史と空間を醸し出しています。


本殿など建物には、漆塗りの極彩色を施して…壁面や柱には崇高な美術彫刻が飾られます。




江戸時代には、エキセントリックな建築でしたでしょうね。   いまも…


巨大なスケールの徳川家…宗教テーマパークでしょうか?。





日光山輪王寺本堂  三佛堂








静かな… 冷たく大気が張り詰めていますね…













ウエルカム  トゥー ニッコウ。



様々な国の言葉でご挨拶。(世界中から来訪者が…)








東照宮の最初の門である、表門です。



色彩が際立つ…仁王象。(仁王門と呼ばれることも)  











どこもかしこも~参拝客は長蛇の列です(笑)。







つづきます…






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