2013年の3月に訪れる『パンスターズ彗星』と、11月の『アイソン彗星』
かなり~はっきりと目視されると予想され、天体ショーが期待されています。
有史以前から楕円軌道を描く謎の来訪者である『彗星』周期。
流星、火球、月食~日食、オーロラ…など夜空の現象。
低緯度地帯で見える天体現象の中では、最も不可思議な姿をしていますね。
近年、大きな(明るい)彗星の接近はありませんが、夜空に摩訶不思議な箒星は美しい。
都市の光害がない時代の夜空には…妖しい尾を引く箒星は人間の心を魅了しました。
(戦時中、灯火管制されて暗かった都会の夜空も星は綺麗だったといいます。)
一連の挿し絵などは、1853年のロンドンの夜空を飾った『ドナチ彗星』事件。
…その星は、魔女の箒に喩えられ…畏れられました。
歴史上、彗星は夜空に忽然と現れる凶兆…潜在的な人間の心理に影を落としました。
疫病、戦争、王権の失脚など、人間の生命活動に付随した動揺の成せる業。
魔術師や呪術師、僧侶や神父は科学者以前から天体現象の記録を続けています。
天空は神々の世界。キリスト教絵画の中にも天体の現象は背景に描かれていますね。
彗星の忌まわしい伝説に終止符を打ったのは、『チコ・ブラーエさん』(デンマークの天文学者)
(月面にあるチコ・クレーターも彼の名前からでしたか?。)
チコ・ブラーエさんは1577年、彗星を詳細に観測し、決して魔法や怪物などではない天体であることに言及しました。
(この彗星は日本でも観測されたらしく、それは織田信長の時代です。)
日本では、その形状から白気、旗雲などとも表現されています。
さらに彗星などの天体観測が行われるようになった江戸後期。
公の『浅草天文台』が活動していた(1782年…天明2年)には、象限儀や地平経儀などが活用されました。
(ここは、『浅草鳥越の図』という葛飾北斎の富獄百景にも描かれているそうですよ。)
彗星を記した貴重な文献には、『安政戊午仲秋聞書』という書があります。
『勘申彗星出現之事』という陰陽師、土御門(つちみかど)家の安倍晴雄さんの観測記録。
これもドナチ彗星のことで、北西の空に大きく見えていたそうです。
太陽系の外縁部、オールトの雲は彗星の生まれ故郷。
漂う星間物質には、太陽系のオリジンが秘められているといいますね。
長大な楕円軌道で周回する彗星と違い、今年~出現するという上記の彗星は
地球軌道に近づいた後は…もう二度と還らないそうです。
(松任谷由美さんの曲♪『ボイジャー』が似合う彗星かも)
科学知識や望遠鏡などが普及している19世紀、毎夜~ロンドン市民の関心はピークに達していたでしょう。
(風刺画があると雰囲気が伝わりますね。)
彗星…と聞くと、赤い…とか、通常の3倍の速度で接近してきそうな…?
戦闘機の名前にも『彗星』は残っていますね。
大日本帝国海軍が戦線に投入した艦上爆撃機『彗星』。
機体略号がD4Y、太平洋戦争の後半に日本海軍の主力機となりました。
末期には悲しい特攻機という役目も果たしました。
愛知航空機で製作された『アツタ』エンジン搭載機。(これは、ドイツのダイムラー・ベンツからの技術供与によるライセンス生産)
しかし、大戦末期の資源不足により水冷エンジンは僅かな生産に留まり、従来の空冷エンジンが搭載されました。
(レイテ沖海戦では彗星の一撃が、米国の軽空母プリンストンを葬ったと…)
有効な運用も見送られ、期待された設計性能を果たせなかった悲運の航空機なのです。
また、ドイツ空軍が戦争の末期に飛翔させたロケット戦闘機 『彗星』。
メッサーシュミット Me163 コメート(独) …コメット(彗星)
その推進器は当時も画期的なロケットモーター噴射式エンジン。
リピッシュ博士とメッサーシュミット博士が激論で衝突し合った問題の機体。
(あのフォン・ブラウン博士が開発したエチルアルコールと液体酸素を強制推進剤にしたロケット・エンジンあればこそ)
従来の戦闘機を凌駕する怒涛の高速上昇性能は、インターセプターとしては理想の概念ですが、航続距離の短さなどロケット技術は未知の領域で頓挫…。
まさに彗星の如く煌めきながら、一度も会敵することもなく幕を閉じたロケット機でした。
夕暮れ空に…蒼白の炎を引きながら飛ぶ姿は去り行く…彗星。
(日本でも昭和20年に実戦投入されたロケット機『桜花』があります。
一式陸攻の下部に吊るされ、敵艦に特攻させられる非情の神雷…人間が誘導装置の代わりをする狂気の1200㎏徹甲爆弾を抱くミサイル兵器でした。)
『彗星』…という儚い名の戦闘機達が辿った悲しい運命。
イギリスといえば、天才数学者アイザック・ニュートンさんが2代目のグリニッジ天文台長を勤めていた頃。
彼の友人だった天文学者エドモンド・ハレーさんは、ニュートンさん譲りの高度な計算手法で、続々と彗星の観測と軌道計算を成していました。
1531年、1607年、1682年に観測されていた幾つかの彗星が…実は同じ周期と軌道の彗星が戻ってきた事を計算しました。
(1607年の彗星はヨハネス・ケプラーさんがプラハで観測)
76年後…再び地球に帰還する?彗星を予言した後…ハレーさんはこの世を去りました。
その後の1758年、クリスマスで賑わう街の空に彗星は出現。
彼の説は天文学で証明されて、『ハレー彗星』と呼称されることとなりました。
その尾は最長では~1億キロにもなるといいます。
太陽風に…たなびく、美女の美しく神秘的な…長い髪のようですね。
彗星の通過により撒き散らかされる星間物質が…流星群として観測されます。
偉大な天文学者エドモンド・ハレーさんの功績。
アインシュタイン博士の重力レンズ効果も、観測確認には年数をかけました。
まだまだ証明に時間のかかる新理論は待機しているのですよ。
このハレー彗星が近づく1910年…地球と太陽の一直線上に彗星が通過し…
世界の終わりがやってくるという風説流説(デマゴギー)が広まりました。
彗星の尾に地球が包まれ、有毒ガス(笑)で窒息すると信じられていました。
その為、自転車のゴム・チューブを買い占め(酸素補給のつもり)などパニックが発生。
当時の人々には信じがたい恐怖だったのでしょう(根本的には今も同じでしょうから…)
頑迷な人間達には、彗星も~お化けも差がないのです。
欧州では、怖い魔女が世界を破滅させると思っていたそうで…
これらは、大昔から無知な人間が魔女狩りで無実の女性を蹂躙や惨殺していた民衆と信仰の過失の歴史が原因でしょう。
(犯行グループが仕返し怖さに、陰湿な犯罪と暴力に終始するイジメ問題と相似形かも?)
気球から彗星観測する紳士諸君?…文明の発達は、観測の高度も向上させました。
いまや欧州のジオットなど観測衛星が宇宙からフォローしています。
未来の地球人は宇宙空間で彗星とランデブーしながら観測しているかもしれませんよ。
さらに彗星の深部に直接に探査機を肉迫させる試みも…
(短周期のハレー彗星は、公転周期が約75,3年となります。)
それは永遠の旅人…
彗星を不思議そうに見上げていた恐竜もいたでしょうか…?。
疫病による仲間達の大量死…途方に暮れるクロマニヨン人…
大海原で…彗星に凶兆を感じる傷ついた海賊もいたことでしょう…。
ハレーさんの軌道計算のお陰で、過去の歴史を遡り…その出現を探れます。
接近距離まで割り出せるのですから凄いでしょう。
紀元前240年 5月25日に観測された彗星は、秦の始皇帝時代の『史記』に詳細な記録が残されています。
おそらく最古の公認記録でしょうね。
また、紀元837年には地球から515万Kmの距離まで最接近したらしく…
『続日本後紀』にも記され、かなりの大きさで夜空を飾りました。
欧州ではフランク王国で在位していたゲルマン人の王『ルートヴィヒ1世』が
天界からの警告であると畏れ、敬虔な信仰心を示そうと…貧しい民へ恩給を与えさせ、ミサも行ったといいます。
1222年には、大地震も重なり…いよいよ天変地異と大騒ぎして祈祷しました。
『吾妻鏡』にも記録されています。
1456年ともなりますと、 『朝鮮王朝実録』の…世祖実録にも記され。
1835年 11月16日に接近したハレー彗星は、科学的な対象とされ大規模な観測会が催されました。
写真機もない時代でしたから肉眼と記憶、スケッチ絵画でしか残せません。
しかし、俄然!観測の水準が向上。記述の表現は科学的な言語や数値で記録されています。
日本でも『新修彗星法』という文献に記されていますが、貴女はご覧になりましたか?。
世界中、実に多くの書物や記録に残る彗星の記録に驚きます…。
近年では、1986年に米国のスペースシャトルから直接に観測するミッションが計画され…
それは、あのチャレンジャー号の爆発事故に遭遇したため計画は中止に。
地球を包む大気のベール、そしてヴァンアレン帯などで守られています。
ハレー彗星は、決して不幸や破滅の兆しではありません。
次にハレー彗星が回帰するのは、西暦2061年の真夏の夜の夢…
貴女は必ずご覧になれますよ。