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1956年「宗谷」に乗り、永田隊長の率いる53名の南極観測隊は東オングル島に上陸して基地を設営しました。
年号に因んで命名された「昭和基地」
天体、気象、地球科学、生物学などを研究する最前線の施設です。
大小60棟の木造プレハブ建築が密集する昭和基地。
(この大半は、ミサワホームさんが製作した材料で組み立てられています。)
2011~12年の第53次観測隊により、自然エネルギー観測棟も完成予定です。
ちなみに郵便番号は、”100-70” 国立極地研究所として扱われます。
日本人には、国際宇宙ステーションの「きぼう」に次ぐ過酷な環境ですね。
昔は、月の石みたいに珍しかった南極の氷。
日本が建設した南極の施設は「昭和基地」だけではありません。
「宗谷」が退役した昭和53年に、
みずほ観測点から~「みずほ基地」と名称が変わった無人の基地施設。(昭和基地から270㎞地点。)
標高2230㍍の高地に設営。
主に観測よりも ドームふじ基地への中継地点として役立てられています。
「あすか基地」も同じく無人基地。
(昭和基地から670㎞離れた観測中継基地。)
ブライド湾とセールロンダーネ山地の間に設営されました。
「ドームふじ基地」
南極における昭和基地から1000㎞も離れた最も遠い基地施設。
そんな過酷な凍結大陸”南極”
南極条約により、外部から動植物を持ち込めなくなっています。
現在は、かつて人間の協力者として活躍した犬達も一匹もいません。
ちょっと寂しいですね。
”樺太犬”のタロ君と~ジロ君達?(映画 「南極物語」で感動しました。)お元気?。
船内の”隊員食堂~調理場”の様子です。
長い航海を健康に乗り切るために、食事には気を使うことでしょう。
なかなか~どうして、快適そうで清潔な食堂風景?。
通過儀礼 ”赤道祭” の御馳走もここで用意するのかな?。
時には会議室にもなるそうです。 マルチパーパスな生活空間。
「第3科員室」 士官以外の船員は科員と称されました。
二段ベッドが2基ある4人部屋(狭っ)。
ただ…どの船室にもある家具?調度品が、見事に昭和テイストお茶の間風。
まさに「宗谷」は、懐かしい昭和のタイムカプセルです。
現代とは比べ物にならない防寒服。
スコットやアムンゼンの探検時代?と大差ないのでは…凍えそうです(((( ;°Д°))))。
可愛い子…発見しちゃいました!。
さらに…南極観測隊の誰もが歩いた通路を歩き…船内を探検?しましょう。
船舶としては決して大きな訳ではなく装備も旧式。 遥か南極を目指す旅は想像以上の厳しさ・・
皆さんの勇気と献身に感動します。
つづく・・・