現在は、休館中の「船の科学館」


ゆりかもめ~に乗れば、船の科学館駅で下車。

久しぶりに私はクルマで来館しました。

修学旅行や団体バスもいないので、駐車場は広々!。

1時間300円。以降30分毎に100円加算。





純白な客船を思わせる建造物は、変わらぬ威容を誇りますね!。


本館は、将来のリニューアル目指して改装中ということです。

(普段の展示物は見られません。)

そのかわり、併設したお土産物ショップで一部の展示品などを無料見学させていただけます。

(後半でご紹介します。)






私が最後に来たのは2009年でした。

現在、本館にある展望台には昇れませんが、海に近いので眺めは最高ですよ。


お台場には楽しめる施設がたくさんありますが、船や海の関係が好きですね。









PL107 宗谷

海上保安庁の管轄になります。

総排水量 2,736㌧

全長 83,7㍍

最大速度 12,3ノット

乗組員数 94名

観測隊員 36名(昭和基地へ)



※ 現役の南極観測船5003 「しらせ」 は、海上自衛隊に所属しています。







日本初の南極観測船「宗谷」



昭和13年(1938年)のこと…

旧ソ連向けの”耐氷型貨物船”となるべく進水しました。

ところが…神の悪戯か?

事情が変わり、完成後は日本で働く船舶となり。

「地領丸」(ちりょうまる)と呼称されることになりました。


意外なプロフ?の持ち主なんですよ。








それから時は流れて…昭和15年(1940年)

旧日本海軍の特務船「宗谷」と改名されて大戦に投入されたのでした。

並みいる軍艦が消えいく中で、奇跡的に生存し…。

戦後は引き揚げ船として、灯台補給船の任務を果たしながら海上交通に貢献してきました。







そして「宗谷」は、昭和31年(1956年)

”砕氷船”として生まれ変わる大改造を施されました。


初代の南極観測船として赴き、日本と南極間を6回も往復しました。

極地の観測の要、「昭和基地」建設工事や本格的な越冬など数々の偉業を成し遂げてくれたのです。

まさに、南極観測の代名詞とも呼べる船。


以後は、北海道の海で砕氷能力を発揮した巡視船としても知られます。


そして、昭和53年(1978年)永い航海任務を終えるように退役しました。



運命の船は、現代も変わらぬ姿で出迎えてくれます。







まさに奇蹟の船ですね!。


第二次大戦で建造された船舶や軍艦は、ことごとく海の藻屑と果てました。


しかし、同時代の船舶技術をつぎ込まれている貴重な「宗谷」には、当時の艦船などの面影が残っております。


この船に乗れば、…映像資料でしか見たことのない太平洋戦争で散った艦船の勇姿を追体験することが出来ます。


船体の古いペンキ…機関部の油脂の匂いと幾多の危機を乗り越えた金属の手触り…

この雰囲気だけは、ただ古い船に乗っただけでは決して体感不能なもの。


「宗谷」が体験してきた記憶、唯一の困難な事象を鋼に刻み込ませたDNA。


映画「タイタニック」で、老いたローズさんが回想するシーンのように…鮮やかに蘇るはずです。







デスティニー・フロム・ザ・シー


この船は、南極に到達したことがある。

胸に去来する想い…


誰もが…忘れてしまった、初期の技術開発に取り組んだ人間達の息吹を感じます。



こうして係留展示されている波止場の背景に”ゆりかもめ”路線。


不思議と違和感なく、バランスよく周囲に溶け込んでいます。






この風格を知らずに戦後史は語れません。

成し遂げた「男」の船だけが持つ存在感!

揺るがぬ迫力があります。








さあ、「宗谷」へようこそ。

貴女の乗船希望を叶えましょう。


想いは見果てぬ…氷海の彼方、南極へ…



つづく