排気煙で、一時は否定されたディーゼル・エンジンも…いまや環境技術として社会の主流になり。
発明したドイツ人「ルドルフ・ディーゼル氏」の先見も見事ですね。
(BOSHの宣伝みたいですが…)
そして、もうひとり?忘れてならないのはロータリーの理論を生み出した「フェリクス・ヴァンケル氏」( 1902年8月13日~ 1988年10月9日)。
彼によりロータリーエンジンが発明されました。
世界で最初のロータリーエンジン搭載車輌のご先祖様とくれば、NSUのヴァンケルスパイダーだといえます。
博士のロジックは証明されました。
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1970年代、ロータリーは未来の理想的なエンジンとして…多くの自動車メーカーが取り組みました。
スズキの野心作ロータリーエンジンを搭載したオートバイ「RE-5」は、ユーモラスな茶筒型メーターで知られます。
排気量497CCで62PSのスペックを誇りました。
オランダのヴァンビーンOCR1000なんて兵もおりました。
どのメーカーも未来への切符のように試作のロータリーに取り組みました。
トロコイド曲線を描くロータリーエンジンの理論。
特有の回転をしながら…ハウジングの中を回転するローター。
実現に対し、あまりの困難さに断念したメーカーも多かったのです。
かつて…ロータリー47士と呼ばれた開発者達の情熱が(赤穂浪士のように、命懸けで)世に送り出した夢のクルマでした。
1967年、広島にある東洋工業が製造した世界初となる実用型の量産ロータリーエンジンを心臓部に搭載した画期的なクーペモデル。
MAZDAコスモスポーツの存在とは、世界初となる実用ロータリーエンジン搭載車?に与えられた称号ですね。
ロータリーエンジンが抱えていた特有のトラブルを研究して克服することで量産されたのですから見事な開発努力でした。
だからマツダは世界で初めてロータリーエンジンの実用化に成功したメーカーといえます。
コスモスポーツは世界初の2ローターを搭載したロータリー車輌でもあります。
いまでこそ、新興国の亜流?クルマも世界に出回ってますが。
クルマとして、道路を正常に走行できるクオリティーを備えるというのは難しいことなのでした。
トロコイドと言えば、昔はコストはかかりましたがオイル循環させるポンプ?の仕組みはトロコイドポンプ(懐かし)。
いまは、シンプルで安価なギアポンプが何でも普及してますしね。
昭和43年(1968年)真夏のニュルブルクリンクに、マツダ110Sの名で耐久レースにも挑戦したMAZDA。
当時はクルマも進歩の途上にあり、生産車がスピードと耐久性を競うという意味は大きかったのです。
生き残りを賭けた耐久マラソンレース。
世界の強豪率いるチームのなかで孤軍奮闘4位入賞!。
(当時の世界大会は武者修行?的)
コスモスポーツに搭載された10A型ロータリーエンジンは信頼性を勝ち取り、それ以降の生産車輌ファミリアロータリークーペ、サバンナRX3などにも搭載。
軽量とハイパワーを武器に斬り込み!!
国内のツーリングカーレースで、オーバーフェンダー姿の丸目四灯顔をしたRX3が活躍しました。
開発のシンボル、コスモスポーツの部品はアルミ合金に炭素鋼を溶射して製作するという高価な刀のような技物だったのに対して、それ以降は特殊鋳鉄を高周波焼入れ加工する手法でコストダウンが計られていきました。
組み立て精度が上がり、品質を保ちながらの量産化と低コストでの生産性が解決策の中心に据えられ。
部品の加工法もコスモスポーツ時代は砂型鋳造を施したのに対して、金型鋳造を選び効率化に成功しながら大量生産を達成。
昭和47年(1972年)生産モデルまでには、前期型( L10A)が343台、その後期型( L10B)の1176台生産を最後に惜しまれながら絶版。
これが生産型MAZDAロータリーエンジン搭載車シリーズすべての礎?オリジンとなりました。
やはり…オイルは、アローオイルでしょうか?。
(純正オイルは、出光興産と共同開発)
一度は名車の名も消えて…
昭和50年(1975年)コスモAPが登場するまでは、「コスモ」の名前は途絶えていました。
(赤いコスモの…鮮烈でした。レシプロ・エンジンモデルと2本立て)
「ルーチェ」も独特のドアノブでしたね。
前期型には、あの10A型ロータリーエンジン(491cc×2)を搭載します。
つまりレシプロエンジンなら1リッターの排気量しか持たない
13Bロータリーでも、実質は1300cc程の排気量にしかならない?。
それが?ロータリーなら、2000cc以上のクルマに匹敵するパワーが出せたのです。
まだ…高速走行も一般的ではない高速黎明期の日本。
松田恒次社長の思い切った決断力で誕生したロータリーエンジン。
全高は1165mmしかなく…異様に低かった。
当時の担当デザイナー小林平治さんが意図した伸びやかなリア・オーバーハング、ボディーセンターを走るプレスラインとの相乗効果も美しさ、コスモスポーツらしい未来的なイメージを結実させています。
小さなボンネット・フードと低さから連想する未知数のロータリーエンジンのサイズなどイメージ通り。
後方の眺めでは、バンパーから上下に分けたテールランプのデザインも特徴的な造形ですね。
ロータリーエンジンの走り味は、レシプロエンジンとは違うセンセーショナルな感覚を体現させました。
当時、レシプロ国産車は高回転になるとノイジーでバイブレーションも顕著でした。
コスモスポーツの加速フィールは「走るというより滑空する感じ」と形容され。
モーターライクなエンジンフィールだと高く評価されてました。
マイナーチェンジすると、当時は高級品でありました「クーラー」がオプションで装着可能になりました。
クーラーの価格は単体で40万円相当(高級品です)、涼風は後方から吹き出してきます?。
コスモスポーツ向けに専用設計されたクーラーだから効き自体は良好でしたが、発熱量の多かった初期のロータリーは熱く!まさかのオーバーヒート気味にもなったらしき記録があります。
(時代を感じさせますね~現代はオーバーヒートの心配もありませんから)
取説には「クーラー装着車の作動時に於ける注意書きがあります。
簡単に説明しますと、高いギアで低回転のゆっくり走りは?時として発熱して辛い。
その時は、サード以下にシフトダウンして運転していただきたい…との旨。
(あくまでも親切な注意書き)
熱くても?ゆるり~と走らず元気よく!
世間の~風当たりが強いくらいがちょうど良いのがスポーツカーの醍醐味?。
そのための空力かな(笑)
NISSANには、開発ドライバーに現代の匠といわれる御仁「加藤博義」さんがおられます。
マツダにとって開発ドライバーは、まさにロータリー車オーナーのひとりひとり。
雨宮さんや名だたるレーサーばかりではない。
ロータリーの可能性を信じて乗ってくれた人々の想いが昇華したのです。
ストリートこそがロータリーを鍛え上げたフィールドと言えます。
おそらく…いまでもロータリーは進化の途上にあります。
ドライバーの手とハートで育てている最中の実験車輌でしょうから。
最近も、オーバーヒートしちゃうくらいの若者でいいんじゃないかな?。
オープンカーで真冬もフルオープン疾走する感じもいいな!!。
乗ることが”粋”だった。
スポーツカーは所有するだけで…アスリートの風格?を表すのです。
「SA22C」タイプのサバンナは、
名車コスモスポーツ直系であるロータリースポーツなのではないでしょうか。
この系譜では、限りなく軽量で斬新なコスモのスタイルを引き継いでます。
ロータリーを独自に究めた東洋工業。
現在はスカイアクティブ技術と謳い
燃費や環境技術を掲げたMAZDAの躍進と努力が実りつつあります。
半世紀近い昔、燃費や排気ガス浄化に取組み問題をクリアした先進メーカー。
これからロータリーエンジンも思わぬ大躍進が?あるかもしれません。
常に人々と社会の求める物造りと夢を追う姿勢という”DNA”あればこそ。
誰もできなかった…未完の大器ロータリーエンジンを究め完成させたからこそ信頼性が高いマツダなのです。
MAZDAの挑戦は静かに着実に進み続けます。
明日は貴女がMAZDAを駆るのかも…