ランエボがラリーを席巻する以前に、もっとも豪快で先鋭的なアイディアを投入された驚異のライトスタッフ?。
悲運のアスリートと呼ぶべきか?
それとも歴史の中に消えた幻の試作機…スタリオン4WDラリー。
三菱自動車がアウトバーンなど、欧州の高速クルーズを念頭に開発された高級スポーツモデルである後輪駆動のスタリオンをベースに、アウディクワトロなどの強豪を倒すべく鋭意開発された秘密兵器ともいえる全輪駆動技術の実験的な要素の粋を集めたクルマ。
世界最高峰のラリーステージに挑み、文字通りのスーパーウェポンになるはずであったのですが。
1984年8月に、プロトタイプがフランスのラリー出場でクラス優勝を飾る活躍をみせました。実走テストを繰返し、新たな機械式LSDのセンターデフ改良などにより着実な仕上がりをみせていた。
しかし、圧倒的に速いランチアデルタS4を駆りグループBラリーで死亡に至った天才ドライバー…トイボネン選手の不慮の事故をうけて…あまりのパワーが危険視されはじめた同カテゴリーを車両規定見直しようという動きは止まらなかった!。
86年には三菱のアクシデントは頻発。
計画は失速を余儀なくされ当初のプランは消滅の憂き目へと向かいました。
WRCで、遂にグループBは廃止…。
スタリオンは己の存在意義と戦うフィールドを失ったのです。
それでも、このまま終わりたくない!
最後の企てである、公式競技の「香港~北京ラリー」はスタリオンの最終ステージとなりました…。
スタリオンは健闘し総合2位…優勝したアウディには鋭い牙は届かず…。
三菱の名機4G63をベースに排気量2140㏄に拡大、三菱重工製の大径タービンユニットにてスープアップした高性能エンジンは、ノーマル2リッターを100馬力も上回る380馬力を発生していたといいます!。
圧倒する実力がありながら…戦国の仇花が疾駆するWRC、抜刀し!全力で制覇すべく戦うチャンスは失われたのです。
技術陣が心血を注いだスタリオンの勇姿はラリー界の歴史からロストしていったのです…。
この頃までは、ラリーアートカップという三菱主催の国内レースが盛んで(賞金も割と大きかったらしい)スタリオンやミラージュといった元気な三菱車の雄姿が各地のサーキットを駆け抜けました!。
いまや…人知れぬ名車スタリオン4WDラリー。
培った技術は他の4WD車開発に転用されていきました。
その苛烈なまでのDNAは世界を制覇したランサーエボリューションに受け継がれています。
イギリスで保管されているラリーアート・ヨーロッパが製作した機体。
そして岡崎で試作された2台を含む~3台のマシンが完全整備で残されています。
スタリオンの紹介記事で…よく知られている黄色にグレー系のストライプが入ったモデル、香港~北京ラリー仕様車は…
邦画「SS」にも出演。
次が…この白地に赤と黒のラリーアートカラーに仕上げられた機体が存在しているそうです。
三菱スタリオン4WDは、当時のグループB参入を目指し20台ほど製作されて…不明の機体を除けば保管場所で静かに眠ったまま。
もしも…あの夏のまま開発が続いていたなら。
あらゆるコースで世界のGTカーとラリーカー達の好敵手になったことでしょう。
国内で市販されたナローボディーと違い大迫力のブリスターフェンダー 。
よく見るとリアスポイラーに内蔵されたデフオイル・クーラーなど工夫の塊り。
ボンネット中央には開口部の大きなエアインテークを備え、フロントはリトラクタブルライトを廃止して短縮した大径の丸目ライトが圧倒的な凄みを醸し出す機能的なエクステリア。
ノーマルボディーも美しいクルマです。
メタリックが好きだな…
失われた三菱の…もうひとつの選択。
スタリオンが生き残っていたら、世界のパワーエリートによる勢力図は違っていたかもしれません 。
新たなランエボも…存続が危ぶまれる環境にあります。
そんな三菱の名機達に…レボリューションは来るのでしょうか?。
コックピットに記憶された疾走の遺伝子を貴方が発動させてください!!。




