いま日本人にある待望論!
赤穂浪士で有名な兵庫県。
芦屋にある富豪であった白州商店の御曹司。
イギリス・ケンブリッジ大学を卒業、イギリス流の紳士道を身につけたナイス・ガイ。
身長180cmのスタイリッシュなハンサムボーイで、生涯お気に入りのスポーツカーを乗り続けました。
生まれも、育ちも、容姿も申し分ない男性。
そんな陳腐なスペック?いらない
確かに知性こそ『熱』だ。
でも、この程度では…やはり『日本が生んだ最強の快男児』の定義とは呼べません。
白州次郎が、真骨頂を発揮したのは、戦後占領下であります。
1945年8月…第二次大戦の敗戦から、1951年9月のサンフランシスコ講和会議までへの6年間、日本は独立国でなく、他国の占領下にありました。
連合国軍総司令部(GHQ)が日本国を支配していました。
最高司令官であるマッカーサーが最高権力者を務めました。
昭和20年9月29日の新聞紙上一面に、天皇陛下とマッカーサー司令官の二人が並んだ記念写真が掲載されました。
天皇陛下は正装であり、マッカーサー元帥はノーネクタイの略装でした。
(マッカーサーはクールビズ?ですねぇ~じゃなくて。国民には神にも等しい天皇を占領軍の司令官と並べた写真など言語道断との反発が!)
この写真は日本国民に衝撃を与え政府は直ちに新聞を発禁としましたが、もちろんGHQは発禁を解除しました。
国民の誰もが敗戦を痛感し、そして真の支配者が誰であるのかも思い知らされたのです。
日本人は戦意喪失、GHQの顔色を伺い右往左往しました。
この事態に「白州次郎」は吉田茂外務大臣の要請を受けて終戦連絡事務局参与となりました。
GHQと正面からの交渉にあたりました。GHQに対して腰砕けで卑屈な官僚や政治家の中にあって白州次郎だけは筋を通し、いかなる交渉に一歩も退かなかったと伝えられています。
その辣腕に、さしものGHQは舌を巻き「従順ならざる唯一人の日本人である」と本国に連絡したという。
そして代表的なエピソードが二つあります。
昭和20年12月の冬…クリスマスの日、マッカーサー司令長官に白州次郎は天皇陛下から拝領したプレゼントを届けました。
マッカーサーの部屋はテーブルの上は贈り物で溢れていた。
天皇からのプレゼントを前にマッカーサーは、軽く~床のどこかに置いていきなさいという仕草をしました。
白州次郎は「いやしくも天皇陛下の贈り物である。床などにおけるものか!」と憤怒の相で怒りを爆発させました。
ことに驚いたマッカーサーは、急いで新しい机を運ばせました。
GHQ民政局長ホイットニー将軍は「白州さんの英語は大変立派な英語ですね」という世辞を並べたのだが…。そこには、勝者アメリカとしての軽侮と奢りが込められていると感じます。
これに対し、白州次郎は「あなたも…もう少し勉強すれば立派な英語になるでしょう」と答えたと伝えられています。
男にとって寛容さは優しさ、怒りはプライドである。
かつてない国難を前に、日本人が歴史上で最も魂を打ち砕かれ自信を喪失し…卑屈になっていた時代を…いまの日本人に重ねてみるわけにはいきませんが。
身勝手を自由と履き違え、ご都合主義や馴れ合いを優しさと謳う者には解らない。
強大な支配者に対し、唯一人で揺るがぬ日本人の気概を示した人物こそが白州次郎だった。
ロンドンの老舗ヘンリー・プールのスーツで身を固め、ブリティッシュ・スタイルの見本のような彼
東北電力の会長時代は、自分でランドローバーを運転しダム建設現場へ長靴で?颯爽と現れた。
それは白州次郎の一面でしかないが、
カントリージェントルマン?
永遠のオイリーボーイか。
彼こそ、まさに真の「グローバルスタンダード」と言えるのではないか。成すべきことをやり遂げる
現代の政治家には、破天荒でありながら洗練された才知はない。
夕陽に映える彼の愛機ベントレー
当時は珍しい…Tシャツにブルージーン。
いまも吹く…白州次郎の感じた風を…。
赤穂浪士で有名な兵庫県。
芦屋にある富豪であった白州商店の御曹司。
イギリス・ケンブリッジ大学を卒業、イギリス流の紳士道を身につけたナイス・ガイ。
身長180cmのスタイリッシュなハンサムボーイで、生涯お気に入りのスポーツカーを乗り続けました。
生まれも、育ちも、容姿も申し分ない男性。
そんな陳腐なスペック?いらない
確かに知性こそ『熱』だ。
でも、この程度では…やはり『日本が生んだ最強の快男児』の定義とは呼べません。
白州次郎が、真骨頂を発揮したのは、戦後占領下であります。
1945年8月…第二次大戦の敗戦から、1951年9月のサンフランシスコ講和会議までへの6年間、日本は独立国でなく、他国の占領下にありました。
連合国軍総司令部(GHQ)が日本国を支配していました。
最高司令官であるマッカーサーが最高権力者を務めました。
昭和20年9月29日の新聞紙上一面に、天皇陛下とマッカーサー司令官の二人が並んだ記念写真が掲載されました。
天皇陛下は正装であり、マッカーサー元帥はノーネクタイの略装でした。
(マッカーサーはクールビズ?ですねぇ~じゃなくて。国民には神にも等しい天皇を占領軍の司令官と並べた写真など言語道断との反発が!)
この写真は日本国民に衝撃を与え政府は直ちに新聞を発禁としましたが、もちろんGHQは発禁を解除しました。
国民の誰もが敗戦を痛感し、そして真の支配者が誰であるのかも思い知らされたのです。
日本人は戦意喪失、GHQの顔色を伺い右往左往しました。
この事態に「白州次郎」は吉田茂外務大臣の要請を受けて終戦連絡事務局参与となりました。
GHQと正面からの交渉にあたりました。GHQに対して腰砕けで卑屈な官僚や政治家の中にあって白州次郎だけは筋を通し、いかなる交渉に一歩も退かなかったと伝えられています。
その辣腕に、さしものGHQは舌を巻き「従順ならざる唯一人の日本人である」と本国に連絡したという。
そして代表的なエピソードが二つあります。
昭和20年12月の冬…クリスマスの日、マッカーサー司令長官に白州次郎は天皇陛下から拝領したプレゼントを届けました。
マッカーサーの部屋はテーブルの上は贈り物で溢れていた。
天皇からのプレゼントを前にマッカーサーは、軽く~床のどこかに置いていきなさいという仕草をしました。
白州次郎は「いやしくも天皇陛下の贈り物である。床などにおけるものか!」と憤怒の相で怒りを爆発させました。
ことに驚いたマッカーサーは、急いで新しい机を運ばせました。
GHQ民政局長ホイットニー将軍は「白州さんの英語は大変立派な英語ですね」という世辞を並べたのだが…。そこには、勝者アメリカとしての軽侮と奢りが込められていると感じます。
これに対し、白州次郎は「あなたも…もう少し勉強すれば立派な英語になるでしょう」と答えたと伝えられています。
男にとって寛容さは優しさ、怒りはプライドである。
かつてない国難を前に、日本人が歴史上で最も魂を打ち砕かれ自信を喪失し…卑屈になっていた時代を…いまの日本人に重ねてみるわけにはいきませんが。
身勝手を自由と履き違え、ご都合主義や馴れ合いを優しさと謳う者には解らない。
強大な支配者に対し、唯一人で揺るがぬ日本人の気概を示した人物こそが白州次郎だった。
ロンドンの老舗ヘンリー・プールのスーツで身を固め、ブリティッシュ・スタイルの見本のような彼
東北電力の会長時代は、自分でランドローバーを運転しダム建設現場へ長靴で?颯爽と現れた。
それは白州次郎の一面でしかないが、
カントリージェントルマン?
永遠のオイリーボーイか。
彼こそ、まさに真の「グローバルスタンダード」と言えるのではないか。成すべきことをやり遂げる
現代の政治家には、破天荒でありながら洗練された才知はない。
夕陽に映える彼の愛機ベントレー
当時は珍しい…Tシャツにブルージーン。
いまも吹く…白州次郎の感じた風を…。