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今宵は美しい満月ですね。

その引力は…潮汐力のように硬い地殻にまでストレスを与えます。


かつて…古代の日本はユーラシア大陸から引き離されて以来、幾多の異変の名残りは全島に見られる活断層の形成に刻まれています。

いまは「龍」の如く~特異な昇華をした?美しい列島の配置。
それは世界有数の自然環境を与えてくれました。

しかし…その実態は地殻変動の力で強引に折り曲げた様に、新潟から太平洋側まで~弓状に列島を二分するフォッサマグナを始めとした地溝帯などからなる大小の断層の見本市?のような国。
傷が無い場所がないくらい…亀裂だらけの古い絵皿のようです。

そう…とても美しい絵皿。

一般に陶器はチャイナ”と表現しますが、漆はジャパン”というくらいですが。
陶器も漆器も私は日本が優れていると思います。


知りうる歴史のなかで、関東平野に甚大な影響を及ぼした地震を列挙しますと…
ごく近い時代だけでも、西暦1600年以来マグニチュードが8相当に達した地震の震源は、相模湾にある海底のプレート境界に属した構造(相模トラフ)と考えられています。

1703年の12月31日に起きた元禄大地震。
1923年9月1日には大正関東地震(関東大震災)。

こうした関東の地震は2~300年の間隔で発生するという説があります。
元来~大和朝廷の本拠地で比較的に地震災害が少なかった畿内と違い、関東平野は地震の巣。

1855年年の11月11日の安政江戸地震では、アジアにおいても既に人口数が増大した江戸の町が被災地になりますので、人口数や文明に対する被害総額は比較になりません。

1894年6月20日の明治東京地震…などマグニチュード7クラスの直下地震なら幾度も発生してまして、首都圏は?いつ被災をしても不思議はない地域なのです。

江戸を開拓した立案者は徳川家康のブレーンでもある天海上人が知恵を駆使した都市ともいいます。
河川工事や神社仏閣の配置図など斬新な「風水シティー江戸?」。

霊的に防御されるなどと怪しげな法力?を感じそうですが。
天海上人のチカラも萎えてきたかな(謎)。

永き戦国時代は群雄割拠の中で災害よりも死傷者を出した時代でした。

徳川政権を磐石に続けるために選ばれた関東は気候的には良い土地でしょうが…。

それとも安定だけでは不十分な何かを含めた、地殻変動が起きるサイクル?が特別な意味をもつのでしょうか。
「破壊と再生を繰り返す街」

それとも単なる公家社会や旧朝廷勢力に対峙する図式化を好んだのかも。


アースクォーク(クォークは分子の落ち着かない動きや、騒がしいという意味もありますが)は地球が生きている証し。バイタルサインと一緒のこと。

この大地が落ち着いた場所だなんて錯覚するのは人間の寿命が短いため、経験値の言い伝えも~薄れやすく…人々の甚大な被害も、痛みなど忘れた頃に発生しているため。
記録にさえ残らぬ災害なんて~いくらでもみつかる。


(東北の震災も傾向は同じ、先人達から禁忌とされた土地に入植し街まで作り、戒めの石碑を過去のことと・・軽視した結果の悲しい顛末)


科学的な根拠もない時代、民間が伝承して観測した悲劇を語り継いだ…二度と起きてはならない災厄に記憶も不都合な現実も、後世の安穏としたい~心理に掻き消されて記録も曖昧なまま被災していくサイクルだったのですね。
過去の社会は、餓えと貧困に苛まれる過酷な世界ですから。



文明が発達し、記録が正確な時代は語ります。
東京…そのエリア南関東とて決して過去の災害ではなく、開発による不完全な都市化を積み重ね~危険を助長する物資や施設を蓄えた爆弾ともいえます。

時に…江戸時代の1707年(宝永4年末)12月 に富士山が紅蓮の火柱で空を染める大噴火をしたという事件。
この噴火 も、日本最大級の地震を契機に発生 したとの記録があります。
記される平安時代に発生した 「延暦の噴火」~「貞観の噴火」に並ぶ「富士山三大噴火」と呼称されるカタストロフ。

富士火山帯は日本列島の中核を成す龍脈?でありますれば…古代の富士山麓は、森林どころか草木すらない…現在とは似ても似つかぬ荒涼たる景観と荒ぶる神の逆鱗の様を見せつけていました。

「静かなる者ほど…荒ぶる力強さを秘めている。」
まるで人間のようですね。

このまま穏やかな美しい山でいてほしい…?



さて、地震には時として凄惨な被害を出す津波の怒涛!。

日本最南端の島、沖縄県の波照間島にも…その痕跡が残ります。

「津波石」と名付けられた巨石は10メートルほどあるものなど、大小が佇んでいるのですが…。

これは…1771年に沖縄地方を襲った八重山地震津波(明和の大津波)の際に途方もない水圧で押し流されてきた海底の岩石群。

4月24日発生(つまり明和8年3月10日→琉球暦なので?) 

マグニチュード7~8級という海溝型地震と想定されています。

死者は12000人ともいう未曾有の災害で、周辺の島々も海岸線で暮らす漁民から内陸部まで破壊的なダメージを受けました。

知られざる津波の記録です…。

…波照間島(はてるまじま)というのは、我らの島”「ベスマ」の意味。うちなーぐち(沖縄の言葉)で・・・
果てのうるま(琉球)とも言われます。

この島にはハブも棲息してないそうで、津波で狂った生態系?なのでしょうか(人間には安全ですが)。

「泡波」という銘柄の酒も生産していて~貴重な泡盛ですね。

郵便番号は907-1751ですよ。お便りしてみましょう?。
島のどこに届くやら。

沖縄~琉球国の時代、石垣島にある日白保の漁村に伝わる伝説。
~ある日のこと、若者達が海で漁をしていたら?美しい人魚を捕獲してしまったそうで。

しかし…哀願する人魚を海に解放することにした優しい漁民に、御礼として人魚は…津波が襲来する時は必ず先に村人に教えてくれる約束をして海にもどったという伝説です。

そして津波が迫ることを知らされた海人(うみんちゅ)は半信半疑ながら村に残る者と~山に非難する者に別れて行動。
村は津波に呑み込まれ、非難者のみ助ったという昔話。

どうやら過去の事象を伝承する典型的な民話。  もう復興してます。

私が沖縄を旅したのは~まだ20代の頃でした。

沖縄諸島の珊瑚礁には…深く…哀しくも美しい想いが語り継がれているのです。