最近はマインドフルネスがはやり、瞑想が知られるようになってきました。
嬉しいことですね。
しかし情報を見ると、あれ?と思うことも。
ここでは誤解を解くためにも、下記の三点を述べます。
■瞑想と座禅はなぜ起こったのか?
・心の病とは、苦しむ内容にいつも注意が向いている状態
・苦から逃れるために瞑想を作った古人
・瞑想は苦しみから逃れる心を作るための基礎訓練
■何に注意して瞑想をすればいいのか?
・大切なのは、雑念を出さないことではない 雑念に気づいて戻ること
・瞑想と座禅の最終目的は?
■瞑想の方法
・半眼と瞑目どちらでもよい
・何に集中するか?
・雑念の意味
- 「瞑想と座禅はなぜ起こったのか?」
・心の病とは、苦しむ内容にいつも注意が向いている状態
カウンセラーはクライアントの悩みに寄り添いますが、
することは、クライアント自身が注意の当てる部分をセルフコントロ-ルできるように手伝うことです。
ざっくり言えば、心の問題とは、
その人が「つらい部分や、ネガティブな部分に意識を向ける癖があり、苦しんでいる」
という心理状態を指して言います。
それが続くと、脳にも影響が与えて、構造が変化します。
このあたりを知らないと「鬱は脳という臓器の問題である」と捕らえてしまいますが、
それは間違い。
鬱は遺伝がほとんど無く、後天的な心理の状態で、
医学的に確認すると脳にも影響を与えている、
というのが真相です。
ですから、症状だけを改善する薬や医学的な治療(電気や磁力)では、
いったん改善されたように見えて、またぶり返します。
なぜなら、「心の有り様」、
つまり「意識の焦点が当たる部分のコントロール」を医師が指導していないからです。
瞑想は、この「苦しむ内容に注意が向いてしまう心の癖」をコントロールする訓練法なのです。
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- 太古の昔、苦から逃れるために瞑想を作った
太古の昔から(記録では四千年前)、苦しみから逃れるために、瞑想をしていました。
瞑想はどのようにしてできたのでしょうか?
昔の人は、苦しむ人を観察していて、
苦しみの正体を、下記のように分析しました。
- 過去のネガティブな体験を思い出すことから起きる「悲しみ・怒り・嫉妬等のネガティブな感情」を抱いていること(とらわれ)
- 未来のまだ来ない不安に、意識の焦点を当てて苦しんでいる(とらわれ)
- 自分の心の動き、感情の動きに気づかず、俯瞰できていない(メタ視点の欠如)
- そのために心は、今ここにあらず
そこで、周囲の人は、苦しんでいる人に、
「いつまでも悲しんでいても、死んだ人は帰ってこないよ」
「昔のことを思い出してずっと怒っていも、苦しむだけだよ」
「嫌なことを思い続けて苦しむのではなく、今ここにあることに集中しよう Be Here Now(
など、その人の苦の原因を伝え、注意を促します。
しかし注意された本人は、もう心の癖になっているので、
そう簡単に「なるほど、分かりました」といって変われるものではありません。
問題を解決する能力のある古人は、その状況を見て、
「どうしたら注意のコントロールができるのだろうか?」
「とらわれから、離れられるのだろうか?」
と考えたのでしょう。
瞑想は苦しみから逃れる心を作るための基礎訓練
そこで、試行錯誤して生まれた「注意のコントロール方法」。
それは…
- 何かに集中する
- 雑念が生まれたら、それに気づく
- そのとき、どんな雑念が観察する
- また集中に戻す
…という訓練。
この「訓練」というのは、スポーツで言えば、筋トレなどの基礎体力のようなもの。
「無意識の想念に気づいて戻す」という基礎体力を養ったら、
それを「苦から逃れる」という本来の目的に使います。
普段でも、無意識の心の動き(主にネガティブ)に気づいて、
建設的な思いに切り替え、
その結果、苦から逃れる、
…と言うのが最終的な瞑想の目的です。、
こうして古代に、苦を取り除く目的をもち、その心の訓練として、瞑想が生まれました。
また仏教では、東方へ伝わるに連れて、座禅ができたのです。
瞑想と座禅は、歴史や技法の差はあれ、
基本は同じ目的で作られた、意識のコントロール方法です。
PS
現代において瞑想は、宗教と一体のように思われています。
が、そもそも古の「宗教」という概念ができる前の時代に瞑想ができています。
続く
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