数秘講座の最終課題としてのレポート提出をもって基礎講座は卒業となります。

Miwaさんがレポートに選んだ方はデヴィ夫人。

破天荒に見えるデヴィ夫人の真の姿を知れば知るほど、彼女へのイメージはどんどん変わっていったようです。

マスターナンバー22を持つデヴィ夫人の人生を辿ります。

(2019年10月のものです)

 

 

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デヴィ・スカルノ

~波乱万丈の人生を明るく美しく賢く生き抜く元大統領夫人~

 

【名前】誕生名 根本七保子(ねもとなおこ) 本名:ラトナ・デヴィ・スカルノ

(サンスクリット語で「宝石の聖なる女神」という意味)

【生年月日】1940年2月6日(現在79歳)

日本生まれ、インドネシア国籍

インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人

NPO法人アースエイドソサエティ

株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役

タレント

 

 

Birth #22-13-4

〈生まれ持った資質、性格、個性、生きる姿勢や才能、潜在能力をあらわす番号〉

 

マスターナンバーの22をバースナンバーとして持つデヴィ夫人。22は具体的に何かを建設したり、建物を作ったり、大きな会社を作ったりするといわれています。

デヴィ夫人は、2005年にアース・エイド・ソサエティというNPO法人を設立しています。

世界中の人々が民族、国境、言語、宗教、歴史をこえて、強い兄弟愛で結ばれることを願って設立されました。

また、法人のHPにはこのようにも書かれています。

「政治の犠牲者である世界中の難民、また天災による被災者の方々、地球の自然環境破壊に歯止めを

恵まれない人々すべてに愛の手を差し伸べ、人間と動物の「共生、共存」を願っています」

スローガンは

沢山の愛が未来を変える

・戦いを止め、許しあい、地球に平和を

・あらゆる命に思いやりを

・青い海と緑の大地を永遠に

 

設立以降、北朝鮮に120トンの精米を夫人自身で中国の大連経由で平壌駅へ赴き寄贈されました。

カシミール大地震では毛布と防寒具を数千枚ずつ夫人自らトラックで現地まで行って渡したり

東日本大震災では3日かけて220か所を回りました。

 

また、日本赤十字社とNGO法人「難民を助ける会」への支援のための慈善晩餐会

「ザ・グランド・インペリアル・チャリティ・バンケット」を22年間開催し続けています。

この晩餐会により、日本赤十字社へ2075万、難民を助ける会へ3125万、

2016年度の熊本地震には阿蘇神社に寄付、余生馬牧場に飼葉を1.8トン、20万円

病院、避難所、老人ホーム、動物保護施設などを慰問し200万円余り相当の物資を寄付などなど

その他さまざまな団体組織へ多額の寄付を収めています。

 

文化面ではNPO米国財団法人 イブラ国際音楽財団の名誉会長となり

オペラ歌手・ピアニスト他アーティストの育成に尽力しています。

このように精力的に「高い理想」「博愛主義」掲げ、「外交能力」、「実行力」を用いて着実に社会貢献を行っているのは、まさにマターナンバーの22を持ち合わせ、なおかつ実行できていると読み取ることができます。

 

インドネシアの元大統領夫人となったという華々しい経歴は周知のとおりです。

しかしながら物心ついたころは太平洋戦争真っただ中。

「私の語彙は『B29』で始まり、生まれて初めて知った感情は恐怖であったと書籍に記しています。

疎開先でもB29が飛来して、防空壕がある竹やぶに白菜畑を渡り走り逃げこもうと走る母子に「来るな、来るな、戻れ!B29に気づかれたらどうするんじゃ!よそもんの分際で!自分専用の防空壕を掘れやい!」と殺気立った地元住民にあやうく母が暴力を受けそうになり、幼い七保子が思わず前にでて、母をかばうこともありました。

戦中、メチルアルコールの大量摂取によって視力を失った父、足の悪い母、幼い弟を持ち、幼くして一家を守ると決意しました。

 

中学卒業後は応募者450人、採用3人という倍率150倍の千代田生命に採用されます。昼間は会社員、夜は定時制高校に通うも、父の死後は家計を支えるためホステスに。のちにスカルノ大統領にみそめられ、愛人となりました。

母が危篤となり日本に帰れども、マスコミの誹謗中傷に会い、追い打ちをかけるように母の病死、二日後に弟が自ら命を絶つという悲劇が続きます。

 

天涯孤独となった七保子はインドネシアにもどり、日本国籍を捨て、名前もラトナ・デヴィ・スカルノと改名し、インドネシアに骨を埋める覚悟を決めます。

しかしクーデターという大きな歴史の変革に翻弄されフランスへ亡命、のちにNYへ移住というまさに波乱万丈の人生。

海外ナンバーを持つ22の特性、また22のa-matureである「波乱万丈」「衝撃的なダメージ」「苦労人」などが表れています。

 

#13(カルミックナンバー)

創造と破壊を繰り返し、常に学を喚起させられる少々厳しいナンバー

若くして両親、弟を亡くし、いやおうなしに変化をせまられたその人生は、その都度カルマの負債を清算してきたと読み取れます。

 

#4

自由奔放な印象のあるデヴィ夫人ですが、学生時代は勤勉で成績は常にトップクラス。得に歴史と英語を得意としていました。

当時は先生も学友も高校へ進学するものだと思っていたようです。ですが、進学ではなく就職を選びます。

ある日、七保子が早めに学校から戻ってくると、学友のお母さんが母親にお金の返済を迫っているのを見てしまったのです。

母は必死に謝り少しでも返済を待ってもらうようにお願いしていました。

どうやら学費が足りず、学友のお母さんからお金を借りていたようでした。

少しでも早く自分の手で収入を得て母を助けたい。この強い気持ちから、七保子は進学ではなく就職を決めたのです。

#4らしい、とても現実的な判断だと思われます。

また、就職をするも夜の世界へ。一見ホステスという簡単に大金を得る道を選んでいるように思われますが、それは母を助け、弟を大学に入れてあげたかったため。

当時中卒の給料は6千円、大卒でも1万円。

しかしホステスだと数時間でその額は稼げてしまいます。

これまた、合理的な#4の判断といえましょう。

 

このようにも述べています。

「お給料はOLの月給がたった一晩で入ってくるほどの超高収入。自立や家の家計を助ける意味もありましたけど、わたくしはそれとは別の計算があったのですよ。 

「これからの社会では絶対に英語が話せないといけない」

社会で生かせる英語は教科書で学んでもダメ。クラスで英語は一番だったとはいえ、実際多くの外国人と話さなければ上達しないと思っていたので、世界の社交場であるサパー・クラブで働きながら会話の練習をする毎日。そして一流の外国人と会話を交わしながら、世界への道を模索するチャンスを伺っておりました。」

 

毎朝、新聞は隅まで目を通し、そのクラブでは海外のエグゼクティブと政治や経済の話を英語で会話。

同時に女優の下積みをして、働きながらもなんとか日舞は舞台に出られるまで上達して、初舞台は三越劇場に出演。 華道は草月流、茶道は裏千家に、英語力を伸ばすために世界のペンフレンド・クラブに入り生きた英語を身につけました。

これらのエピソードからもまさに勤勉な、堅実、真面目で努力家の#4の面がうかがえます。

 

Destiny # 3

〈才能や個性をどう生かしていくのか、人生における使命や目的〉

 

Destiny #3を持つ人は、精神的喜びを与える、表現する分野、芸術芸能、接客に適しています。

デヴィ夫人はまさにこれら全てを網羅しているといえるでしょう。

デヴィ夫人がスカルノ大統領だけでなく、多くのセレブリティを魅了してきたのは、まさにホスピタリティにより精神的な喜びを与えてきたからにほかなりません。

#3の社交性、感性の豊さ、知性、表現力、すべてを用い大統領夫人となった際は、大統領を癒すことに専念していました。

 

幼いころから絵が得意で、中学卒業時には、友人から学生手帳に絵をかいて欲しいと頼まれていました。

学芸会の時にはいつも紙芝居の製作を任されて、そんな七保子に母はお金を工面して青山の絵画教室に通わせてくれました。

また、学芸会で主役に抜擢され、それまでに抱いたことのない自信がわいてくるのを感じ、「女優か画家になろう」と将来を夢見るようになった。

#3らしく表現することにも優れており、絵を描くことを楽しんでいます。また自らの絵画を売り、慈善団体に寄付をし、若手アーティストを支援するなど、表現、芸術分野で貢献しています。

そして、テレビでみる芸能活動は3番らしく無邪気にバンジージャンプやスカイダイビングなど、さまざまな無茶ぶりにNGを出すこともなく、「ライバルはイモト」と言い放ち、常にお茶の間を賑わすその様は、3番らしい個性の生かし方といえるでしょう。

 

Soul # 3

〈魂の欲求、価値観や優先したいことなどの内的な願望〉

 

デヴィ夫人の恋愛観から#3のソウルナンバーを読み解きたいとおもいます。

今年デヴィ夫人は「選ばれる女になりなさい」という著書を出版し、発売2週間で重版3回目、すでに7万冊以上売り上げているベストセラーとなっています。

この著書にはデヴィ夫人の#3らしい魂の欲求や価値感が随所に見受けられます。

中でも象徴的なのが

​「楽しんでこそ恋!」

「ほんの小さな失敗やうまくいかないことで悩んでいたり、それが原因で勇気や自信をなくしてしまっているのなら、もっと“気軽”にもっと“楽しく”恋をなさっていただきたいと思っています。ガチガチの硬い婚活をしている人に限って、一度のミスで婚活をやめてしまうのよ。もう少し気軽に楽しく婚活なさったらいいわ。彼からの電話が来ないからって家で落ち込んでいてはダメ。女性の人生はもっと自由で楽しいものよ。心から楽しんでいる女性に、きっと恋愛の神様は微笑んでくださるでしょうね。」と。

 

亡命先のフランスでも様々な魅力的な相手と#3らしく恋愛を楽しみます。

その相手はアランドロン、津川雅彦、スイスのスペイン人の銀行家、イギリスのエリザベス女王のいとこパトリック・ザ・アール・オブ・リッチフィールド伯爵。

そして伯爵と付き合っているときにも別の男性と恋に落ち、その男性が伯爵の庭にヘリコプターを呼んでくれて、そのままロンドンのヒースロー空港、その足でファーストクラスに乗りニューヨークまで逃避行など、また、「彼氏は20人いてもいい」とも。

「結婚をする前は自由なの。特別な男性がいないときは、おおいにいろんな男性を知ったほうがいいんじゃないかしら。 そうね、人数は2人でも、3人でも……10人でも20人でも、彼氏はたくさんいるに越したことはありません。だって、いろんな男性を知っておいたほうが、結婚後、無駄に遊ぶ必要もなくなりますしね。」

#3以外に誰ができる!という恋愛の楽しみ方を謳歌しています。

 

Personality #9。

〈他者の目に映る印象や雰囲気、第一印象〉

 

全ての番号を内包している9。NPOを設立、起業家としての顔、一家の大黒柱としての顔、大統領を内助の功で支える女性らしい顔、明るく無邪気で社交的な顔、勤勉で真面目な努力家の顔、変化を恐れない自由な顔、慈愛に満ち、世界平和を願う顔、フランス亡命後、「東洋の真珠」と社交会で愛されるな…様々な顔を持つデヴィ夫人。現在継続的に行っているチャリティイベントに参加する多くの面々を拝見しても、その人脈に驚かされます。持ち前の明るさと社交性で幅広い人々と交流できる#9が生きていると思われます。

 

Realization #7​

〈人生での可能性、実現性、到達〉

 

今世において、7を実現可能な番号としてもつデヴィ夫人、精神性を極めていくと思われます。

波乱万丈な経験をし、デヴィ夫人にしか知りえない何かを探求していくことでしょう。

7は自然とつながる番号でもあり、設立したアースエイドソサエティは自然保護も目的としていることから、もしかしたらより自然との関係が深まっていくことも考えられます。

「気」を大事にしていると述べているデヴィ夫人。

精神性へのより深いつながりも生まれるかもしれません。

 

Stage #2「相対」

変化に満ちた世界で、常にバランスを求められてきています。

マスコミや、大統領のその他の夫人たちなど敵対する相手も多く、国家までも相手にしなくてはならないなど、緊張の多い舞台で生きてきました。

また男性関係では尽くす愛を実践し、女性性を生かす舞台で活躍しています。

 

Challenge #7「飛躍」

自身の経験や会得した智慧を世の中に広めていくことに、挑戦していくと思われます。

様々な慈善活動を通して、精神性を深めていくことでしょう。

 

Nature # 9 「完結」

マルチな才能を持ち、誰とでも社交的に親しくなれるデヴィ夫人。

家族に対する愛、世界に対する博愛、社会に対する正義感などが素顔にあります。

 

Action #5「自由と変革」

世界を飛び回り、変化を恐れない勇気ある行動パターンを持っています。

好奇心旺盛に次々と新しいチャレンジをしていく夫人らしい番号です。

 

 

HISTORY & LIFE CYCLE

 

0-32 / Cycle  #2   Pinnacle #8

 

戦争、貧困、差別など社会の理不尽さと対峙し、受容、妥協とバランスをとりなかがら乗り越える時期でした。

10台後半以降の七保子はそんな理不尽さや逆境を逆手に家族を養うべく、8番を生きて収入、富を手に入れていきます。

 

1940年東京都麻布区霞町(現在の西麻布)に生まれます。大工の棟梁の父、母、弟(八曾男・やそお)が一人。

母は後妻で、年の離れた異母兄姉がいました。太平洋戦争中は母と弟の3人で福島県浪江に疎開します。

 

幼少期の七保子は、様々な理不尽さ、葛藤と向き合って過ごしました。

※給食のミルクがどうしても受付られず、先生との我慢比べ。

やがて日が傾き、机の上にお椀の影が長く伸びるころにも屈っしません。しまいには先生が「根本さん、捨てていらっしゃい」と音を上げました。

筋道を立てて考える年ごろではなかったが、社会の不条理に必死に反抗していた。

なぜ、ミルクが嫌いだからといってこんなにもひどい仕打ちに会わねばならないのか。社会にはなんとなく釈然としないものがありました。

 

※同級生に、いつも先生にちやほやされ、児童劇でも主役を割り当てたれる子がいました。

ある日、その子の家で遊んでいると、腰を低くして妙に卑屈なほほえみを浮かべる先生が家庭教師にやってきました。

自分には教育のある親もいない、経済的にも家庭教師を招くことはできない、しかしみんなと同じレベルで学力を判定される理不尽に我慢がなりませんでした。

 

※ある日、木枯らしの吹く寒い日に父がバラックの屋根を修理している姿を見かけました。友達の「あの人可哀そうね、こんな寒いのに」という言葉に、自分の父だということができませんでした。

家では威厳のある大黒柱の父も、一歩外では一介のトントン大工。真面目に生きている父が、なぜ木枯らしの中ふきさらされなければならなのか。

 

※金を無心しに来る異母兄の存在、近所の病的な陰口魔のS夫人の存在も七保子を苦しめていました。

 

※就職2年目の暮れ、父が亡くなります。まだ中学生で弱い性格の弟と母を支え、一家の支柱になるという幼いころからの予感が現実のものとなった。

父親の死亡届を出しにいった七保子を見て「こんな子どもに死亡届を出しにこさせるなんて・・」と役所の方が憐れんだそうです。

 

中学卒業後、進学はせず高倍率の競争を勝ち抜き千代田生命に努めますが、ここでも女性社員は出世しないことなどの理不尽さと向き合います。同時に夜学生もしていましたが、最終的にホステスの道を選びます。

七保子の千代田生命での初任給は6千円。高卒で8千円、大卒で1万円の時代。

しかしホステスだと、2時間テーブルに座っているだけで千代田生命の月給が稼げるのである。チップを合わせると、月数十万の収入があることもわかったからです。

17歳の誕生日を待って、千代田生命を退職。

同時にホステスに転身し、母と弟を連れて独立します。接客などに適しているYear#3の時でしたが、母と弟を効率よく養うための賢明な4番の判断も加わっての決断でしょう。

 

ホステス転身後は10代にして「恐ろしいほどの金額」の貯金もたまり、渋谷にバーを出店します。

しかし経営に失敗、定時制高校からもドロップアウト、恋人は不治の病にかかるなど、水商売につかれてきます。

しかし母弟の面倒をみなければならない負担もある中、1959年コパカパーナで客として訪れたK氏と知り合います。そこで彼から一夫多妻ですでに2人の夫人のいるスカルノの元へ愛人として赴くよう持ちかけられました。

1959年6月16日、ついに帝国ホテルでスカルノ大統領と出会います。

19歳、Year#23の時でした。

9月15日にはジャカルタへ。情熱的にスピーディに愛に向かった23-5を生きた年です。

 

 

 

1962年、インドネシアに渡って3年後、病気の母まさが2月に65歳で死去。

2日後、弟が自ら命を絶つ。不正手形を掴まされ全財産を失い、母の死に目に会えなかったこと、姉の重荷になっている自分を責めてのこと・・・

 

1か月後の62年3月、正式に第3夫人として結婚。ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノと名乗り、インドネシアで生きていくことを決め国籍も変えます。

「母と弟の死によって、もう日本国民でいる理由はないわ、神様の啓示だわ、自由の身になって大統領にだけつくしなさい って言われたと思って、インドネシア国籍にかえたのです」

22歳、Year #17-17の時でした。

新しいサイクルの始まりとともに、インドネシア国王夫人としての地位、力を手にいれたのです。同時に様々な権力や策略、嫉妬、執拗なマスコミなどとの戦いも始まったのでした。

 

1965年、のちに「9月30日事件」とよばれるクーデターが発生(#20)

市民によるスカルノ退陣を訴えるデモが頻繁に行われ、デヴィ夫人への風当たりも強まりスカルノ大統領は幽閉されてしまいます。

1966年11月大統領の子どもを身ごもったデヴィ夫人は日本に帰国(#21)。

1967年3月、長女を出産します(#22)

1969年バンコクへ赴きインドネシア大使に帰国を打診。

しかし「カリナちゃんを取り上げられ、大統領との面会はおろか一生インドネシアから出られない、命の保証がない」といわれ、傷心を抱き日本に向かいます。

また、スカルノ大統領の女性関係など絶望の中、俳優の津川雅彦と出会い、つかの間のロマンスに陥る(#24)ほかにも数々の著名人とも噂になり、出会いや別れ、愛に生きる6の年でした。

 

1970年6月スカルノ危篤の一報を受けたデヴィ夫人は入国を禁じられていたインドネシア航空に無理やり降り立ち、スカルノと再会。その翌日、元大統領は69歳で死去しました。この時に莫大な遺産を手にしたとも言われ、パリに亡命します(#25)常に新しいステージを開拓する22番、そして政治的亡命者に寛容なフランスを賢明に選択する4番らしいところに、22-4をバースナンバーにもつデヴィ夫人らしさが表れています。

 

33-50/ Cycle#6 Pinnacle #2(33-41)・#1(42-50)

 

類まれなる美貌と努力、地位、財力、長けたコミュニケーションなどによりパリ社交界の花となる。「東洋の真珠」と呼ばれ、スペイン人のフランシスコ・パエサ、フランス貴族のサブラン公爵など数多くの浮名を流します。

まさに「愛」の6番を生きる周期でした。

1980年(40歳#8)、インドネシアへ戻り、石油関連事業を興します。スハルト政権下、非常に苦しい戦いだったにもかかわらずヨーロッパの5つの大きな会社のエージェントとしてビジネスを成功させ、メンテン地区という高級住宅地に自分の力で家を建てます。8番のミッションを達成すべく、自分の城を築きしっかり稼ぐ1歩を踏み出しました。

 

 

51-/Cycle#14-5 Pinnacle # 7

 

(#28 spiritual fall 翌年ようやく1桁に!新たな人生のスタート!)

NYに移住します。自然とつながり精神性を高めるRealization #7を達成すべく、環境保護、慈善事業など新しいステージを生きることになります。Pinnacle # 7とRealization #7がヒットしています。

 

1991年(51歳、#28)NYに移住、UNEP(国連環境計画)の特別顧問として活躍します。

生態の保護、熱帯雨林の保護、先住民の生活保護と権利の保護、人間社会環境の保護と促進など。

自身で描いた野生の動物、鳥、魚などの水彩画37点を93年の慈善オークションに出品し10万ドルを寄付します。

1992年傷害罪で逮捕(52歳#2)

第4代フィリピン大統領の孫娘のミニーオスメニャの顔をシャンパングラスで殴打し、37針縫う大けがをさせて逮捕。34日収監されます。他者との境界を学ぶ年でしたが、ヒステリックな2のa-matureな一面が出てしまったようです。

1998年(58歳#8)世界中の難民救済を目的に慈善事業を始めます。

2000年(60歳#10)Spiritual Fall! 日本における新たな芸能人生のはじまり。

以降、優雅で煌びやかな衣装と華麗な経歴 そして浮世離れした不思議な存在感で他に類のない独特なキャラクターと認識され、TVなどで活躍します。

2004年(64歳#5)生活の拠点を日本に移す。

2005年(65歳#6)アース・エイド・ソサエティ設立

人類と世界平和、自然保護のためにより一層精力的に活動します。

2016年(76歳#8)経理担当による横領が発覚。8の年に発覚する金銭問題、力のコントロールを学ぶべきして起きた事件か?

2019年(79歳#11)

経理担当者に実刑判決。2億円消えたのに判決では2000万円分しか認められず、民事訴訟を検討するというが、#11のイニシエーションイヤーをいかに過ごすのか、気になるところです。

また、本年YouTuber としてもデビューし、著書「選ばれる女におなりなさい」がベストセラーに。

天と地のかけはしとなる11の年にどのようなメッセージを発信していくのか。Destiny#3をもつ表現者として邁進していくのは間違いないようです。

 

TypeⅡ

 

Creation,Growth,Maturity, Support,Emotion 9項目中5つが#3

#3x5、#2x2、#4x2

 

Creation 【感情をストレ―トに表現する創造性 人に何かを伝える)

歯に衣着せぬ物言いや、喜怒哀楽をストレートに表現している姿は周知のとおりです。

近年ベストセラーになっている著書は、ストレートな物言いが若い女性に受け、またYouTuberとしてデビューするなど時代に合わせ、デヴィ夫人らしい表現で人々に影響を及ぼしています。

 

Growth 【自己の感情と感受性を淘汰し、表現を行い、人を喚起する、楽しく人生を歩む、修行に弱い】

幼いころから教室に通い、今なお絵画を趣味とするなど、表現をすることはデヴィ夫人にとって安らぎでもあり楽しいでもあります。時に滝行などもテレビで披露はしているものの、常に楽し気に成長することがデヴィ夫人にとっては大切だと思われます。

  

Maturity 【感情にまつわる集合意識のキャッチ、歓び、怒り、葛藤、哀しみなど コミュニケーション能力の発揮】

デヴィ夫人の発言は毒舌ともとらえられるが的を射た発言も非常に多くみられる。大衆の喜怒哀楽や心理を代弁しているところに共感する人も多いのではないでしょうか。

 

Support 【セラピスト ヒーラー 、表現者、アーティスト 自己と相手の波動を合わせることで相手を癒す能力】

デヴィ夫人がスカルノ大統領から寵愛を受けた理由は美しさだけではありません。深い愛をもって献身的に尽くしていたから故のことでしょう。

大統領からのプロポーズは「私のインスピレーションとなり、力の源泉となって、私の人生の喜びとなってください」でした。この言葉通り、デヴィ夫人は大統領に波動を合わせ、寄り添い続けたと思われます。

 

Emotion 【繊細な感受性 波のある感情 過敏なところがあるが、明るく陽気、おしゃべり人の涙や笑いを誘う】癖の強いキャラであるにも関わらず、お茶の間の人気者であり続けるデヴィ夫人。明るく正直に感情をあらわにするところが、好感度の元になっているのでしょう。

 

おわりに

 

当初私がデヴィ夫人に抱いていた印象は、「美貌を武器に大統領夫人に成り上がった、毒舌、強欲な人」という非常にネガティブなものでした。しかし課題を進めるうちに、そのイメージはあっという間に覆されます。

戦争貧困という時代の荒波にもまれ、異国の大統領夫人となり、その後も政治や国際情勢に翻弄されながらも強く逞しく賢明に生き抜き、多くの恋愛も楽しみ、中年期以降は慈善事業に情熱を注ぐ。TVで拝見する華やかさとは裏腹に、とても勤勉で努力家、政界平和を望む愛にあふれた女性を知ることができました。

なぜ私がデヴィ夫人を選んだのか…不思議に思っていましたが、最終サイクルにデヴィ夫人のCycle# が14-5、私のPinnacle #も14-5 とヒットしています。海外を飛び回るデヴィ夫人のように、変化に富んだ日々を送るのかと楽しみでもあります。

そして、デヴィ夫人のBirth#22-4は、私のSoul#22-4とヒットしています。50代以降に慈善事業団体を立ち上げ、社会貢献を続けるデヴィ夫人。

感情的だったり、物欲や敵も多そうなa-matureな一面も目立ちますが、高い理想をもって#22-4を生きる先輩の活躍に今後も注目していきたいと思います。

 

 

first-year student by Miwa・K

Zero Point Academy 

 

2019/10/20