数秘講座の最終課題としてのレポート提出をもって基礎講座は卒業となります。

矢沢永吉さんをリーディングしたNorikoさん。

障害に遭っても負けない彼の不屈の精神と自分を信じてチャレンジし続ける姿に少なからず学ぶことがあったのではないかと思います。

(2019年10月のものです)

 

矢沢永吉

〜ロック界を牽引し続ける永遠のチャレンジャー〜

 

生年月日 1949年9月14日(70歳)

 ロックボーカリスト

 

 

誕生数(生まれ持った資質、潜在能力) <19-10-1>

 

絶対的存在感を放ちエネルギッシュに活動し続ける矢沢さん。

常に前を向きはっきりした目的を持ちながら前進する姿には勢いがあります。

オリジナリティを大切にしコンサートステージや楽曲などは一作ごとに新たな挑戦を試み、別の世界を拓いていく開拓精神にも#1の特徴が出ています。

 

あらゆる分野の創始者になるという数字のとおり、ミュージシャンの海外レコーディングや著作権ビジネスの先駆者としての使命を生きています。

 

矢沢さんはカルミックナンバー#19と#10を持っています。#19はカルマの負債を清算するため家族や自分の殻から抜け出そうともがくナンバーです。

幼い頃に両親がいなくなり祖母に引き取られ極貧の少年時代を過ごします。食事も満足に取れない中、どうやったら自分で稼いでお腹いっぱいごはんを食べられるか?しか考えられない生活を送っていました。

また貧しいがゆえにいじめも受け「金持ちになる」との思いが芽生えた、と話しています。

そして#10。スピリチュアルナンバーです。霊性を発揮する能力に恵まれその直感力や洞察力が目的成就への有効な手段となります。

 

#1の短所として不安症がありますがご本人は自覚されていて、著書の中で「いつも不安だらけで安心したいがために行動する。素早く行動して裏付けを取って安心したい」と語っています。

 

運命数(表面意識、人生における使命・目的) <14-5>

 

#5はマルチで何でもでき、変化を重ねて本当の自由を手にするナンバーです。

そして芸能にも向いています。

長所である頭の回転の速さ・柔軟性・機敏さを生かし、ミュージシャンという枠にとどまらずCMやドラマに出演したり会社を設立するなど多才ぶりを発揮しています。CMやドラマでは世間一般に浸透している”矢沢永吉”を覆すような役どころをあえて演じて既存のイメージを破壊し、世の中に刺激を与えています。

また海外と縁がありアメリカでも活動されています。

 

若い頃は虚勢を張りはったりをかけ強引に物事を進めるという短所も目立ちましたが、年を重ねてバランスが取れてきてからはカルミックナンバー#14を持つ#5の”いぶし銀の魅力”が出てきていると思います。

 

ソウル数(魂の欲求) <8>

 

ソウル数は一番表面化しにくく本人も自覚していない場合も多いとされています。しかし矢沢さんはよくわかっていたようです。

”たくさん稼いで金持ちになる” ”スターになる・TOPに立つ”。

この明確な欲求に向かって走り続けてきました。

 

著書では#8を表す言葉をたくさん語っています。

・オレには意地がある、根性がある

・自分で働いて稼いで生活していく。それが一番快適で堂々としていられる

・オレはロマンチストだ

・いつもあったのはただひたすらに勝ちたい、上に行きたいという気持ち

そしてこうも言っています。「勝ち続けるしかない。勝ち続けてきた上で人生は金じゃないんだとはっきり言える」。

これはこれまでの努力と経験によって本当の豊かさに気づいたからこその言葉だと思います。

 

情熱・パワフル・自信・実行力・野心という要素も矢沢さんにはピッタリです。

ただ、誕生数#1との逆相もあるため支配欲・コントロール欲も出ています。

ご自身が会社を設立したきっかけはソロデビューでした。キャロルの時に契約を結んでいた事務所がメンバーに無断で過去の音源などを使い金儲けを企んでいたそうです。

”キャロルの矢沢”のイメージを引きずりたくない、写真や音源を勝手に使われたくないと思っていた矢沢さんに「自分の権利・財産は自分で会社を設立して管理しなさい」と教えてくれた人がいました。

「それを素直に実行した。管理するのは商売だけじゃない、矢沢のプライドも入ってる」とのことで、現在音楽の出版権・肖像権・グッズの販売までを管理されています。

また前妻とその子供たちに対しても「オレの都合のいいようにコントロールしてた」そうです。

 

人格数(他者から映る表面的人格) <6>

 

ステージ上のかっこいいロックスターの顔とは別に普段は穏やかで責任感が強く周りからの信頼も厚い人です。

不遇な家庭環境で育ったこともあり家族を大切にする思いは人一倍強いようです。

また愛情深い方でもありその愛は家族だけでなくスタッフやファンにも注がれています。

 

実現可能数(何を実現しようとしているか) <6>

 

#6は愛・美・調和・奉仕・自己回帰のナンバーです。

30代の頃スターの地位が確立しているのに幸せではなかった矢沢さんは、40代になり家庭・家族からの学びを経て50歳の時”成功のレールは右にあって幸せのレールは左にある”ことに気づきました。

この2つのレールを調和させることにより内面の成長も促され、より輝きが増したように見えます。

過去にはコンサートで得た収益を被災地に寄付したこともあり、今後こういった活動が増えていく可能性もあるのではないかと思います。

 

ステージ(活躍する舞台) <5>

 

運命数と同じ#5です。

興味があるものを追求し、そのあふれる才能を思う存分表現できる芸能の世界は、まさに矢沢さんが活躍する舞台となっています。

 

チャレンジ(人生を通して挑戦していくこと) <7>

 

#7は内省・独創性・分析力・直感力を表しています。矢沢さんは常に”矢沢永吉”を探求していると言っています。彼の音楽性を極め出来上がったものを世の中に発表する、それが人々の心を豊かにする。

また#7は精神性の領域へ向かうナンバーでもあります。これまでの経験から得たものを心の学びに生かしていってほしいと思います。

 

イヤーサイクル(今年の個人数) <6-8>

 

#8は達成、義務と責任のナンバーであり#6と共に健康面に注意が必要な時期です。

今年はソウル数の#8も重なっているので、心身のバランスを取りながらやるべきことをやっていく年になります。

 

【History】

 

0~35歳

サイクル(どのようなことを学ぶ時期か) 9

ピナクル(その時の状況) 5

チャレンジ(この時期の課題) 4

 

変化・自由・刺激・不安定という状況で複雑な二極性を学ぶ時期でした。

課題として忍耐強く着実に目的を実現させるプロセスを学び、自分の能力を社会で活かしていくことでした。

 

1949年 0歳 #19

広島県広島市に生まれる

 

1952年 3歳 #22

母が蒸発

 

1957年 8歳 #18

父死去

 

1963年 14歳 #24

ビートルズを聴きロックに目覚める

 

中学生になると自分の境遇もある程度受け入れられるようになり(2)→(4)人生のベース(基礎)となる音楽と出会います。勉強をまったくしない不良少年がギター教室だけは真面目に通いきちんと練習する傍ら作曲も始め、スターになることを夢見るようになります。

 

1968年 19歳 #20

高校卒業と同時に上京。横浜で働きながらバンド活動を始める

 

一掃して新しいステージに行く#20の年でした。

 

1972年 23歳 #24

キャロル結成

 

その楽曲やファッションなど圧倒的な存在感を放ち、のちに日本のロックシーンに大きな影響を与えた伝説のバンドと称されます。

人との距離感や協調性を学んできてのバンド結成、メジャーデビュー。

そしてこれから生きていく芸能の世界での基盤を作り上げ、現実的な安定がもたらされました。

 

1975年 26歳 #27

キャロル解散そしてソロデビュー

 

キャロルという不動の地位を手に入れさらに変化を望み新しいことを試したい矢沢さんと、ラクラク稼げる今のぬるま湯状態から抜け出したくないメンバーとの間に確執が生まれ解散となりました。

2のメンバーへの依存を断ち切りひとりで極めていくという7の年にステージアップしました。

世に出て3年目の血気盛んな矢沢さんからは、誕生数#1のオリジナルで勝負したい、そしてソウル数#8のもっと稼ぐ・勝ちたいという思いが溢れ出ていたように思います。

 

1978年 29歳 #2-3

・CMソング「時間よ止まれ」が大ヒット

・長者番付歌手部門でロックミュージシャンとして初の第1位を獲得

・自叙伝「成り上がり」を出版。100万部を超えるベストセラーになる

 

歌以外に本というツールも使い”矢沢永吉”を目一杯表現し、精神的喜びを人々に与えるなど開花と発展の年でした。

 

1980年 31歳 #2-5

アメリカでの活動を視野に入れCBSソニーからワーナー・パイオニアに移籍

 

運命数#5と重なっていることもありその特性が強調され、国内での成功に飽き足らず新たな刺激を求め海外で活躍したい・挑戦したいという思いがより強く出た年だったろうと思います。

 

1981年 32歳 #2-6

渡米しアメリカのレコード会社と契約を結ぶ

 

人間関係が拡大し色々なことが観えてくる一方で揺れ動きが多く、内面の強さを養う年でした。

また表向きは家族を日本に残した単身渡米ということでしたが、現地で恋人と一緒に生活していた恋愛期でもありました。のちにこの女性と再婚することになります。

 

36~44歳

サイクル 14-5

ピナクル 10-1

チャレンジ 9

 

開拓精神・独創性・現状打破、また#10の0は霊性ナンバーなので精神性を使っていくという状況です。

そして多才・革新・器を拡大する・冒険心というテーマに加え、#14の衝動的な欲求を克服することや家族からの学びに取り組む時期でした。

矢沢さんは運命数にも#14-5を持っているため変化がかなり大きく、さらに#1とソウルナンバー#8の逆相もあるため自己不信の傾向も強かったと思われます。

 

1985年 36歳 #2-10

ライブエイドに出演

 

「一億人の飢餓を救う」というスローガンの下、アフリカ難民救済を目的として行われたチャリティーコンサートに出演しました。#10の霊性ナンバーの時でした。

 

1988年 39歳 #3-4

東芝EMIに移籍。日本国内を重視した活動になる

 

アメリカで十分な成果を出すことができなかったことやワーナー・パイオニアへの不信感から移籍となりました。

#4の安定・信頼がより強く出た年なのかもしれません。

軌道修正であり再スタートであり新たなチャレンジでもあると思いました。

 

1990年 41歳 #3-6

現在の妻と再婚

 

ふたりの間にはすでに子供もいたことから家族的な愛が強調された#6の時でした。

 

1991年 42歳 #3-7

初の自前制作のコンサートツアーを行う

 

友人から「お金をかけていないステージだ」と言われ、音楽の世界では非常識なこととされるコンサートの制作を自分で手がけました。

ファンに良いステージを見せたい、最高の気分にさせたい、クオリティを上げたいといった思いを追求した結果の#7の年でした。

 

1992年 43歳 #3-8

缶コーヒー「BOSS」のCMに出演

 

「イメージが違う、と周囲から反対されながらも、それが逆に新鮮に見えて引き受けた。自分が一番楽しんだ」と矢沢さんはおっしゃっています。

表現することにより自分も他者も楽しくさせ、さらに精神的にも現実面でも想像以上の豊かさを受け取った年だったろうと思われます。

 

45~53歳

サイクル 14-5

ピナクル 6

チャレンジ 5

 

学びのテーマは続いたまま置かれている状況は愛情・調和・家庭でした。

課題もサイクルと同じ#5でありコアナンバーにもあるため、この時期も変化が大きかったように見えます。

 

1994年 45歳 #3-10

テレビドラマ「アリよさらば」で主演と音楽監督を担当

 

1997年 48歳 #4-4

ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行われたロックフェスティバル「Song and visions」にアジア代表として出演

 

世界的に有名なロックスターが多数参加する中、知名度ゼロだった矢沢さんへの対応はひどいものでした。

しかし最高のパフォーマンスをし称賛され、その実力も人気も世界的に拡大し堅実なものとした#4の特性が大きく出た年でした。

 

1998年 49歳 #4-5

オーストラリアで被害総額35億円以上の横領被害に遭う

犯人は側近の部下2人だった

 

10年に渡って行われてきた横領がこの年発覚しました。著書の中で矢沢さんはこの時のことを「負けるわけにはいかない。勝ち続けるしかない。事件は起きたけれども大きいステージをこなしたりTVにも出た」と語っています。

#5の衝突・環境の変化がありながらも”被害”という事実に囚われることなく柔軟性と機敏さを持って行動しました。

 

1999年 50歳 #4-6

・映画「お受験」で初主演を務める

・初のアメリカツアーを敢行

 

映画やアメリカでのステージなどこれまでとは違った人たちとの関係が増えたことで、自分の内面と向き合うことも多かった年だったのかもしれません。

 

2001年 52歳 #4-8

自叙伝第2弾「アー・ユー・ハッピー?」を出版

 

これまでの経験や心情を改めて”本”という形で現実化し、さらなる富や名声を手に入れた年だったろうと思われます。

 

54歳~

サイクル 5

ピナクル 14-5

チャレンジ 4

 

現在70歳の矢沢さんはこのサイクルです。30代半ばから学びのテーマは同じです。また生涯を通して#5があるため”チャレンジし続ける人”ということができます。

今後さらなる冒険や変化を重ね本当の自由を手にしていかれるのだろうと思います。

 

2007年 58歳 #5-5

前人未到の日本武道館100回公演を達成

 

これまでずっと大胆に挑戦し続けてきた矢沢さん。コアナンバーにもある#5の影響力がとても強い年に偉業を成し遂げました。

 

2008年 59歳 #5-6

EMIミュージックジャパンとの契約を終了し、自らのインディーズレーベル「GARURU RECORDS(ガルルレコード)」を立ち上げる

 

変化と自由の5周期、自分の生み出すものに対して責任を持ち極端な完璧主義の#6の年です。

またソウル数#8の支配・管理欲求も深くかかわっているのだろうと思われます。

 

2016年 67歳 #5-14

SPACE SHOWER MUSIC AWARDSで「BEST RESPECT ARTIST」(音楽シーンに貢献し多大な影響を与えているアーティストに授与される賞)を受賞

 

チャレンジナンバー#14の器を拡大する時期でした。

 

 

 

 

【Type】

 

TypeⅢ バランス〈4〉 先天的にたくさんの資質を与えられています

 

TypeⅡ 特徴としては以下のものが挙げられます

 

・Creation(創造する力・何かを生み出す力)〈1〉

 ・開拓精神

 ・オリジナリティにあふれた創造性

 

・Growth(魂の成長・何かを成長させる力)〈6〉

 ・あるがままの受け入れ

 ・達観の域に達するほどの客観性を得る

 

・Support(サポートする力)〈0〉

 ・人のサポート皆無または自己満足の行動が自覚なしに人のためになっている

 

・Make Mood(雰囲気をつくる力)〈5〉

 ・刺激をもたらすバイブレーション

 ・リズミカルに変化させる

 

・Body(身体の持つ創造的バイブレーション)〈1〉

 ・バイタリティ循環

 ・運動必須

 

・Emotion(情緒・感情の現れ)〈5〉

 ・感情豊か

 ・激しくのたうちまわるエネルギー

 

総合的にみるとこれらの特徴は矢沢さんの活動そのもののように感じます。オリジナリティを大切にし、強い向かい風の中をパワフルに突き進み音楽業界を開拓してきた姿は、才能を余すことろなく出し切った生き方に思えます。

 

【まとめ】

矢沢さんのリーディングを終えてみて、こんなにも自分の個性を生かし才能を使いこなしている人がいたことに正直驚きました。

障害ナンバー、特に家族問題を通して学んでいく#5・#14・#19を持ちながらも、これがあったからこそ人生の基盤(#8、自分で稼いで生活していく)が出来上がったのではないかと思います。

自分の人生もコンサートのステージもいいものにしていきたいという信念のもと、多くの反発にも屈することなく自分を信じチャレンジしてきたその生き様に真の強さを感じます。

 

矢沢さんと私は持っているナンバーがほとんど同じです。パワーがあること、変化を続けていくこと、自分を信頼し行動していくこと、そして楽しむことを忘れないこと。これらをリーディングを通して教えていただいたように思います。

 

 

first-year student by Noriko・M

Zero Point Academy 

 

2019/10/20