心配性なんです。私。

自分のことを、じゃなく、自分の近くにいる人、家族だったり友人だったりにたいしての心配性です。


そんな自分が好きじゃないです。
というかですね、心配してほしいわけじゃないんだろうけど
勝手に心配をして、自分がまいってくるパターンがおおいんですね(笑)


なんていうのかな、
「心配する」っていう行為自体にさえ、
エゴなんじゃないかと思ったりするわけです。

心配をする=安心したい=自分の心の安定がほしい

という図式なのかなと思ってしまうわけですね。

自分がのほほんとして暮らしていたいから、
心配をして、安心したくて、オロオロする。

なんかいやんな感じですよね、それって。


もう一昔前の話となったわけですが、
私が病気をした、その半年後くらいに姉も病気をしたんですけど、
自分のときよりきつかったですね。

自分のことだと、自分が元気になれば(心の問題です)いいとおもうんだけれど
自分じゃなければ、なんともできない。

失恋にしてもそう。

失恋といっても、ふったりふられたりじゃないですか。
イヤミに受け取られると困っちゃいますが、
ふられるほうが、楽でした。

だって、ふられたら、相手を憎んだり、なにくそと思って、
自分が立ち直ればいいだけの話であって、
でも、ふる場合は自分だって喪失感だけれど、
相手の痛みもそれなりに感じるわけですよ。
刺した本人のほうが返り血でどろどろってこともあるわけですもんね。
(ま、それは致命傷ではないんでしょうけど・・・)


なんの話かわからなくなってきましたが、
今でも思い出すのが、
お互いに病気をしたあと、
姉と2人で、

本当の意味で、早く能天気に暮らせるようになりたいよね。

って話したこと。

幸い、その後、私の家族の中では
とりたてて病気とかの心配がなく過ごせているわけで、
そういう意味では2人が望んだ能天気な状態が続いているわけで
あまりに数年間、自分を含む周りの人間が、
蝕まれていた時期があって、今はそのときから見たら幸せだなぁと思うわけです。


少しでも、こんな時がながく続けばいいと、願いますです。


私のプロフィールの中の、
「ひとつだけ願いが叶うとしたら」のこたえが

「私の周りの人達が幸せでいられますように」という、偽善者的なことが書かれているのは
そういう意味です。

たぶん、エゴです(笑)