五月三日の朝、どうしたかを記しておきたい。
私は、国民の祝日には、早朝、自宅の門に「日の丸」を掲げる。
しかし、五月三日には、「日の丸」は掲げない。
我が国を軍事占領していた占領軍が書いた文書を、
未だに「我が憲法」として祝うのは
日本人の恥、屈辱であるからだ。
そもそも、
「日本国憲法と題する文書」は、
日本の憲法として、無効ではないか。
我が国が、
昭和二十年九月二日に降伏文書に調印してから、
同二十七年四月二十八日の
サンフランシスコ講和条約発効までの約七年間、
我が国はアメリカを中心とする連合国に占領統治されており、
我が国の主権は剥奪されていたことは
世界における公知の事実である。
そのうえで、
「日本国憲法と題する文書」は、
我が国が国家主権を剥奪されているまさにこの期間内の、
同二十一年二月の九日間に
GHQ民政局の二十五人の職員によって英文で起案され、
同年十一月三日に公布され、
同二十二年五月三日に施行された。
日本統治者のGHQは、何故、五月三日に施行したのか。
この日が、
勝者が正義の体現者として敗者を裁く
馬鹿が得意絶頂となった世界史的イベント
東京裁判開廷から一周年の記念すべき日であったからだ。
そして、この五月三日を、
我が国の国内法で祝日として固定するための
「国民の祝日に関する法律」も昭和二十三年七月十日の占領下に施行された。
その第二条に曰く、
「憲法記念日、五月三日、日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」
そもそも、たかだか二百年前に
牛を追いかけながらインディアンの土地を略奪して建国した奴らが、
皇紀二千六百八年の歴史をもつ我が国の
「国の成長を期する」とは何事ぞ?!
増長するにもほどがある、馬鹿者めが!
我が国は、イギリスと同じく「不文の憲法」を保持する国である。
我が国こそは、「神の代」と「人の代」が連続して一体の
世界唯一の近代国家である。
このこと、
フランスの社会人類学者
クロード・レブィ=ストロース(一九〇八~二〇〇九年)は、
次のように指摘した。
われわれ西洋人にとっては、
神話と歴史の間に、ぽっかりと深淵が開いている。
日本の最大の魅力の一つは、これとは反対に、
そこでは誰もが
歴史とも神話とも密接な絆を結んでいられるという点にあるのだ。
従って、我が国と同じ「不文の憲法」の国である
西洋のイギリスにおいても、
その「不文の憲法」の中核である「マグナ・カルタ」は、
一二一五年の専制的国王ジョンに対する貴族の権利宣言であり、
それ以上の歴史を遡ることはできないのであるが、
我が国の「不文の憲法」の中核は、
イギリスのマグナ・カルタよりも
二千年以上遡った神代に発せられて今に生きる
「天照大御神の天壌無窮の神勅」である。
また、神話を失った西洋では不可能なことではあるが、
我が国の神話の世界から伝わる宮中祭祀である大嘗祭や四方拝も、
我が国の「不文の憲法」においては、
憲法的重要性をもつ典礼や慣行として位置づけられる。
最後に、この我が国の「不文の憲法」が、
我が国が存亡の危機にある時、
如何に国民の国家再興の思いを実際に奮起させてきたのか、
その貴重な事例を、
斬首される十数日前の安政六年(一八五九年)十月十一日、
吉田松陰が獄中で友人に書き送った書簡を以て示しておく。
天照の神勅に、日嗣之興隆天壌無窮と有之候ところ、
神勅相違なければ日本未だ亡びず、
日本未だ亡びざれば
正気重ねて発生の時は必ずあるなり。
只今の時勢に頓着するは
神勅を疑ふの罪軽からざるなり。
この手紙で、吉田松陰の示した
「天照大御神の天壌無窮の神勅」は次の通り。
豊葦原の千五百(ちいほ)秋の瑞穂國は、
是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たる可き地(くに)なり。
宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)
就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。
宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと
当に天壌と窮(きわま)りなかるべし