十二月五日、「救う会奈良」が毎年末に開催する
「拉致被害者救出集会」
に出席し、
「拉致被害者救出の原点」
について話した。
日本国政府が、平成九年二月に、
公式に横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されたことを認めてから、
二十五年が経過しているが、
日本国政府の北朝鮮に対する具体的なアクションはない。
私は、日本海で日本人奪還の為の
陸海空自衛隊の合同軍事演習を提案していたのだが・・・。
やはり、今、
「原点」を話さねばならないと切に思う。
その「原点」とは、題して、
「日本国政府の裏切りと母の魂の叫び」だ。
○日本国政府の裏切り
まず、総理大臣個々人の裏切りをあげつらうのではない。
国家と国民の安泰を確保する任務を担う日本国政府は、
「日本国憲法」を「日本の憲法」であるとする以上、
その任務を全うできず、
必然的に
国家と国民を裏切るということを知るべきだ。
即ち、
無効な文書(日本国憲法)を
有効な文書(日本の憲法)として
国家を運営すること自体が裏切りであろう。
何故なら、「日本国憲法」は、
昭和二十年九月二日から同二十七年四月二十七日まで
我が国から主権を剥奪して占領統治をしていたGHQが
日本を永久に被占領状態に止めおくために書いた文書であり、
日本国政府が、
その文書を引き継いで我が国を統治すること自体が
国民の為ではなく、GHQの為であり、
裏切りでなくて何であろう!
☆福田赳夫内閣の場合
まず、昭和五十二年九月の久米裕拉致から
十一月十五日の横田めぐみ拉致。
石川県警は九月、
能登半島から久米裕を拉致した北朝鮮人を逮捕し、
その供述を得るとともに
押収した乱数表の解読に成功した。
警察庁は、乱数表解読の功によって石川県警を表彰した。
よって、日本国政府は、
乱数表解読時にはもちろん明確に、
拉致犯人の供述を得た九月末にも
北朝鮮が国家として日本人を拉致しつつあることを知り得た。
同時に、この時、日本国政府は、
これは北朝鮮による
重大な我が国家主権の侵犯(戦争)であると断定し、
国民を北朝鮮から守る為に、
全都道府県警察、全陸海空自衛隊に対し、
厳戒態勢を指令し命令しなければならなかった。
しかし、福田内閣は、
見て見ぬ振りをして何もせず、
四十五日後に新潟から横田めぐみが拉致され、
以後、地村夫妻、蓮池夫妻らが続々と拉致されていった。
福田内閣が何もしなかった理由は、
「日本国憲法」では、
この「戦争」に対処できないからだ。
これが国民への裏切りでなくて何であろうか。
☆小泉純一郎総理大臣の場合
平成十四年九月十七日に小泉総理は、
政府専用機で平壌に飛び日朝首脳会談をする。
その目的は、拉致被害者の救出である、
と被害者家族は小泉内閣から説明された。
それ故、拉致被害者家族は
訪朝前日の十六日に、
総理との面談を求めて首相官邸を訪れた。
その家族に対して、福田康夫官房長官は、
「総理は、明日、澄んだ気持ちで平壌に参りたいので、
本日の会見はご遠慮下さい」
「明日、皆さまのご家族の消息が分かれば、
平壌からリアルタイムで皆さまに伝える」
と話した。
私は、その時、
総理が家族に会えば、
「澄んだ気持ちにならないのか」と妙な思いがした。
そして、当日の九月二十七日、
平壌にて、小泉一行は、
午前十時に北朝鮮側から
拉致被害者は五名生存、八名死亡と聞かされた。
その後、
日朝両首脳は「平壌宣言」に署名した。
そして、
トラック二台分の松茸を
お土産にもらって政府専用機に乗せて夜帰国した。
その間、東京では、
午後五時頃、官房長官と外務副大臣は、
外務省飯倉公館の一室に、一家族ごと招き入れ、
北朝鮮に死亡したといわれた家族には、
「残念ですが、あなた方の娘さん(息子さん)は、
既に死亡されています」
と死亡宣告した。
しかし、その後、すぐに、
救う会の朝鮮専門家の荒木和博と西岡力らは
北朝鮮の言った「死亡」は、
「嘘」であることを見抜いた。
前日、官房長官は、被害者家族に、
リアルタイムで被害者の消息を伝えると約束した。
従って、家族は午前十時に
北朝鮮の言ったことを官房長官から聞かされねばならない。
それが、何故、
七時間も遅れた伝達になったのか。
さらに、何故、
小泉一行と政府は、
北朝鮮の言った「死亡」を点検もせずに盲信して
家族に「死亡宣告」したのか。
そして、何故、
小泉訪朝団は、
北朝鮮から松茸をお土産にもらって帰ってきたのか!
その理由は、
小泉訪朝の目的は、拉致被害者の救出ではなく、
日朝国交樹立!
だったからだ。
このこと、
「平壌宣言」の存在が総てあきらかにしている!
仮に、家族との約束通り、
午前十時に家族に死亡宣告しておれば、
「平壌宣言」は調印できなくなると小泉は恐れた。
また、小泉一行が、北朝鮮の言う「死亡」を盲信し、
東京で待機している家族に
「死亡宣告」した理由も明らかであろう。
家族に死亡を信じさせれば、
「拉致問題は無くなる」からだ。
死亡を盲信した小泉一行は、
「拉致問題は無くなった」と思った。
あとは、日朝国交樹立だけだ。
従って、小泉は、
拉致の「ら」の字もない「平壌宣言」に署名し、
トラック二台分の松茸をお土産にもらって帰国したのだ。
実に、小泉総理は、
帰国した翌日も、「死亡」を信じていた。
そして、家族の前で「死亡した拉致被害者」と言った。
すかさず私は、
「北朝鮮が死亡したと言っているだけだ」と反論した。
とはいえ、
北朝鮮の金正日にしてみれば、
コロリと騙された小泉を見て、
トラック二台の松茸で、
北朝鮮の国家予算の数年分のカネを
日本からせしめたとほくそ笑んだであろう。
諸兄姉、「日朝平壌宣言」をもう一度読まれたし。
文書の半分以上が、
小泉首相による
日本の植民地支配の痛切な反省と心からのお詫び、
そして、
日本の請求権の放棄と日本が北朝鮮にカネを支払う約束だ。
○横田早紀江さんの魂の叫び、平成十四年九月十七日夕刻
家族会は、
「死亡宣告」を伝達されてから、すぐに記者会見に臨んだ。
私は、家族の正面に立って見守った。
会見が始まり、
まず、横田めぐみさんの父である滋さんが、
着席のまま話そうとした。
しかし、咳がでて話せなくなり嗚咽に変わった。
すると、
後ろに立っていた母の早紀江さんがマイクに口を近づけて
目に涙をためながら話し始めた。
・・・絶対に、この何もない、
いつ死んだかどうかっていうことさへ、分からないような、
そんなことを信じることはできません。
そして、私たちが一生懸命に、
支援の会の方々と力を合わせて闘ってきた、
このことが、こうして大きな政治の中の
大変な問題であることを暴露しました。
このことは、本当に日本にとって大事なことでした。
北朝鮮にとっても大事なことです。
そのようなことのために、
ほんとうにめぐみは犠牲になり、
また使命を果たしたのではないかと私は信じています。
いずれ人は、みな、死んでいきます。
ほんとうに濃厚な足跡をのこしていったのではないかと・・・
私はそう思うことで、
これから頑張ってまいりますので・・・。
ほんとうにめぐみのことを愛してくださって、
めぐみちゃんのことをいつも呼び続けてくださった皆さまに、
心から感謝いたします。
まだ生きていることを信じ続けて
闘ってまいります。
ありがとうございます。
この早紀江さんの話は、
清明で高貴な魂の叫びのようだった。
この叫びと思いは、
全北朝鮮の力を以てしても、屈服させることはできない。
また、この魂の前では、
小泉の狙った日朝国交樹立の功名など下劣な夢想に過ぎない。
私は、このような母がいる日本を誇りに思った。
この母の言葉が、
拉致被害者救出運動の原点である。
数年後、私は、
横田早紀江さんに尋ねた。
あの時の、あのお話しは、
前もって準備されていたのですか?
早紀江さんは応えた。
いいえ、ただ、主人が
前で泣き崩れてしまったので、
とっさに口から出始めたのです・・・、と。
Q.「クノール® カップスープ」のあるシーンをパッケージと一緒に見せて!
Q.あなたのおすすめ「クノール® カップスープ」を教えて!