現在、既に戦時だ!
この度の令和三年十月に行われた衆議院総選挙が、
我が国を取り巻く如何なる軍事的危機の中で行われたのかを、
まず確認したい。
この総選挙は、
我が国に対する冷戦期を遙かに超える
戦後最も厳しい軍事状況の中で行われていたのだ。
まず、我が国の領空へ接近する
中共とロシアの戦闘機などの軍用機に対する
我が航空自衛隊機のスクランブル発進の頻度は、
冷戦期を遙かに超えている。
また海上では、総選挙の真っ最中に、
中露の海軍艦艇十隻が、艦隊を組んで
津軽海峡から対馬海峡を抜けて日本列島をぐるりと周回した。
その艦隊の中に、中共は、
高性能の巡航ミサイルを搭載した最新鋭巡洋艦を投入していた。
もちろん、中共の核弾道ミサイルを中心とする軍事力は、
冷戦期よりも格段に増強されている。
即ち、現在の我が国を取り巻く空と海は、
中共とロシアから
史上最も厳しい軍事的圧力にさらされている。
然るに、この状況下の我が国内の総選挙は、
「目を閉じれば世界は無くなる」
と思い込んでいるが如く、
各党とも、
この中露の軍事的脅威に対する
国家防衛の方策を語ることはなかったのだ。
もっとも、「日本国憲法」では
国防が想定されず、
国の交戦権も否定されているので、
これが我が国の
亡国の「常識」というものであろうか。
しかも、この国家防衛意識の欠落に加えて、
我が国政治史上、初めてのことが行われていた。
それは、
「コミンテルン日本支部」として発足した日本共産党と
立憲民主党との政権を握るための選挙協力である。
これは、
コミンテルンの母国であるロシア(ソビエト)と、
日本共産党と友党関係にあった
中国共産党独裁国家である中共にとって、
まことに歓迎すべき日本国内の状況である。
日本共産党は、
綱領で日米同盟を廃棄し、
自衛隊を「日本国憲法九条」に従って解体し、
皇室をなくそうとしており、
暴力革命路線を放棄していない革命政党である。
つまり、日本共産党は、チャンスが来れば、
一挙に暴力で政権を奪取し
共産党独裁体制を樹立することを目指している。
しかも、我が国のマスコミ界は、
左翼系が主流で、
共産・立憲の選挙協力が功を奏して、
与党自民党は議席を減らすとしきりに報道し、
日本共産党の本質的な危険性を
国民に知らせようとしなかった。
その結果、これは単なる「選挙協力」であって、
立憲民主党が日本共産党の綱領を受け入れたのではない
という安堵感(思考停止)が漂った。
しかし、はっきり言っておく。
立憲民主党首脳の面々は、
皇室をなくし自衛隊を解体することを望む反日の輩である。
しかも、
「国民というより市民と言いたい」
と言った馬鹿がいたように
「日本」という国自体を無くしたいという
まことに、共産党よりたちが悪い輩だ。
だから!
日本共産党と選挙協力したのである。
そして、この選挙協力がなった過程に、
中共の日本国内工作活動が絡んでいることは間違いない。
以上の通り、
我が国を取り巻く「内外の情勢」は、まことに厳しい。
このなかで、我が日本の運命を左右する総選挙が行われた。
そして、全国津々浦々の日本国民は、
日本共産党と立憲民主党の選挙協力の危険性とうさん臭さを
肌で感じて、それを否定する救国の結果を出した。
しかも、その結果には、
靖國神社に参拝できない総理大臣を出し続ける与党自民党に対する倦んだ思いが現れていた。
これが維新の会の躍進に繋がったのだ。
しかし、北のロシアと南西の中共は、
この総選挙結果に頓着せず、
「日本国憲法体制」の脆弱性を衝くが如く、
これから軍事的な対日攻勢を強めること必至である。
よって、この運命的な我が国の西と北の大陸にある敵国、
ロシアと中共について記しておきたい。
まず、
イギリス首相であったW・チャーチルの次の言葉を想起したい。
それは、
「過去を、より遠くまで振り返ることができれば、
未来をより遠くまで見渡せるだろう。」
という言葉だ。
ユーラシアの西の海上にあるイギリスのみならず、
東の海上に位置する我が国こそ、
現在を知り未来を見渡すために、
過去を遠くまで振り返らねばならない。
その振り返るべきものは、
我が国が、幕末に直面したロシアと、
古代から知っていると勝手に思い込んでいる支那である。
このロシアと支那(清)が
明治二十九年(一八九六年)に締結した「露清密約」とは何か。
これを知れば、
現在の、ロシアと中共の対日連携の本質が解る。
まず、ロシアであるが、その地形の特色は、
ウラルの西には平坦なステップが広がり四百六十㍍以上の高さの山はないということだ。
従って、このような草原の国の国境線(勢力圏)は常に不安定だという宿命がつきまとう。
七百年前にこのステップを疾走して東からタタール(蒙古)が攻め寄せ、
ロシアは二百四十年間にわたってタタールに占領された。
しかしイワン四世(雷帝、一五三三~八四年)の時代に、
このタタールの頸城から脱却したロシアは、
以後、我が国の徳川時代全期間を通じて東方への拡大を続けた。
草原のロシアは、東の国境線が常に不安定で、
国の安全保障上の理由から中央集権的国家であるとこが要請されるとともに、
東方の安全を確保し不安を解消する為に、
常に軍事力で東に広がってきたのだ。
これが
「独裁者なきロシアなどあろうか」と言われる所以であり、
「ロシア人はルーシー(ロシアの古称)の皮を被ったタタール」だと言われる所以だ。
そして、遂に一八六〇年、
清との北京条約によって、ロシアは沿海州を獲得して
西のバルト海から東の太平洋に至るユーラシアの大帝国となった。
そして、この東の海に面したロシアは、
さらに海上の我が国の島々を欲した。
つまり、ロシアは幕末と昭和二十年八~九月、
北の樺太と千島と南の対馬に軍を侵攻させた。
ロシア海軍軍令部編纂の「露日海戦史」には、
「極東でロシアが絶対優位権を確立せんと欲するならば、
須く日本を撃破し、その艦隊保持権を喪失せしめねばならない。・・・
対日戦争では日本人を撃破するのみにては不十分で、
更に之を殲滅しなければならない。」
と記されている(平間洋一著「日露戦争が変えた世界史」)。
よって、我が国がポツダム宣言を受諾した
昭和二十年八月十四日の後に、
ロシア(ソビエト)は樺太南部と千島に侵攻して
それを奪ったのだ。
しかし、対馬には侵攻してこなかった。
その理由は、
明治政府が営々として対馬に巨大な要塞群を築いていたからだ。
もし対馬にこの要塞群がなければ、
戦後ロシアは、散歩でもするように、
対馬を軍事占領していただろう。
現在も、ロシアは、
国境線の向こうに領域を拡大する運動を止めてはいない。
プーチン大統領は、二〇一四年二月二十日、
一挙に西のウクライナに軍事侵攻して
クリミア半島を飲み込んだではないか。
よって現在、東欧では
バルト三国にロシア軍が侵攻する可能性が
実味をもって語られている。
これが、
「ロシア」なのだ。
プーチン大統領が作ったロシア国歌の歌詞には
「南の大海原から北極圏まで至る、我らの森林原野
・・・神が護りし祖国よ」
とある。
しかし、ロシアに「南の大海原」はない。
つまり、プーチンは、
帝政ロシアの願望通り、
今も「南の大海原」を狙っているのだ。
しかも、そのプーチンの言う「南の大海原」とは、
「我が国の対馬とその南に広がる東シナ海」である。
従って、この十月、
ロシアは中共と艦隊を編成して
津軽海峡から対馬海峡を周回した。
ここで、想起されたい。
ウラジーミルと呼びシンゾーと呼ばれた
安倍・プーチン時代の日露の歓談だ。
今から振り返れば、実に馬鹿馬鹿しい。お人好しにも程がある。
しかし、そのなかで、プーチンが
ロシアの帝政時代以来の願望を見せたことがある。
それはプーチンが、
「沿海州と樺太の間」と「樺太と北海道の間」に
海底トンネルを造ることを提案したことだ。
ロシアは、青函海底トンネルの建設に異様なほど関心を示してきた。
その上で、プーチンは
樺太を通じてロシアと北海道を海底トンネルで結ぼうと提案したのだ。
これは、プーチンの
モスクワと東京を直接陸路で結ぼうという提案である。
即ち、ソビエトのKGB(国家保安委員会)出身のプーチンは、
かつてチェコのプラハにも(一九六八年)
ドイツのベルリンにも(一九四五年)
陸路戦車を投入したように、
東京にも直接戦車を持って行ける陸路を求めたのだ。
さらに、帝政ロシアが我が国の幕末に、
北の樺太と南の対馬を
同時に飲み込もうと狙ったことに符合するように、
平成十三年二月に韓国を訪問したプーチンは、
日露戦争で最初に日本海軍に撃沈された
ロシア軍艦ワリャーク乗り組みの戦没将兵慰霊碑のある
仁川を訪れ、
韓国とロシアは、
日本帝国主義の共通の犠牲者であると述べた。
その上で、プーチンは
金大中韓国大統領に極東(朝鮮半島)の共同開発をもちかけ、
南北朝鮮の国境を結ぶ
新儀鉄道の修復とシベリア鉄道との連結を提案した。
まさに、これはモスクワから朝鮮半島南端の釜山まで
直接鉄道で結ぼうとする帝政ロシア以来の構想だ。
そして、この頃から
韓国側から釜山と対馬を結ぶ海底トンネルの話が出始めた。
これ、プーチンという男が、
十九世紀の末に帝政ロシアが、
北は樺太と千島ルートで、
南は朝鮮から対馬ルートで
南北から同時に日本を攻略しようとした同じ構想の基に動いていることを示している。
以上、ロシアについて多く書いてきた上で、
支那については簡潔に触れたい。
福沢諭吉翁の「脱亜論」は有名であるが、
ここでは、「脱亜論」に加えて
明治前半期の卓越した情報将校である
福島安正中尉(後、大将)の
明治十二年の清国偵察記「隣邦兵備略」を記しておく。
福島中尉は、支那服をまとって支那人になりすまし、
五ヶ月間、上海、天津、北京、内蒙古等を偵察した。
その結論、次の通り。
「清国の一大弱点は公然たる賄賂の流行であり、
これが百悪の根源をなしている。
しかし、清国人はそれを少しも反省していない。
上は皇帝、大臣より、下は一兵卒まで
官品の横領、横流しを平然と行い、
贈収賄をやらない者は一人もいない。
これは清国のみならず
古来より一貫して変わらない
歴代支那の不治の病である。
このような国は
日本がともに手を取ってゆける相手ではありえない。」
また、孫文の支那革命の志に賛同した内田良平は、
彼に協力して見事裏切られ、
我が国が対中国策を誤らない為に
支那の本質をえぐった
「支那観」を書いた(大正二年)。
その支配階級に対する記述は次の通り。
「黄金万能が支那国民性の痼疾を成し、
堂々たる政治家を自称する者にして、
言清行濁、その心事、里巷の牙婆と毫も撰ぶことなきは、
今猶ほ古の如きなり」
(相変わらず金銭万能が支那の国民性の持病となっている。
堂々たる政治家を自認するものにして、
美辞麗句とは裏腹に、振る舞いは汚れ、
彼らの心事が巷の守銭奴と何ら変わらないのは
昔のままである。)
よって、習近平の所作を観て、
内田良平のこの言葉を思い起こそう。
「おお、おお、習近平君、
堂々たる政治家の所作をしているが、
それとは裏腹に、
君の心事は、
里巷の牙婆、巷の守銭奴と同じではないか」
さて、
このロシアと中共(支那)の対日連携は、
日清戦争の下関講和条約締結(明治二十八年四月十七日)直後の
三国干渉(同四月二十三日)から始まる。
これは、清国が我が国に下関条約で譲渡した遼東半島を、
ロシアとフランスとドイツが、我が国に「極東永久平和に障害を与えるもの」として
武力の威嚇の下に放棄するよう迫ったものだ。
軍事的、財政的に余力無き我が国は、遼東半島を放棄した。
これを、清国からみれば、
ロシアを使って遼東半島を日本から奪還したことになる(以夷制夷)。
従って、ロシアは翌年、
清国から「満州という報酬」を受け取ることになった。
翌明治二十九年(一八九六年)五月、
ロシアは、ニコライ二世の戴冠式に際し、
清国の李鴻章にモスクワを訪問させて歓待し、
「日本は必ず遼東半島の奪還を策す」として対日攻守同盟を結び、
李鴻章(巷の牙婆・守銭奴)に超多額の賄賂を握らせて
事実上満州を清国から買収した。
これが露清密約だ。
これによりロシアは、対日戦争の場合に
ロシア軍を迅速に満州や朝鮮に投入するため東支鉄道の建設を開始し、
明治三十四年(一九〇一年)、シベリア鉄道とウラジオストックが
最短距離で結ばれることになった。
これが日露戦争(明治三十七・八年)勃発の決定的要因である。
そして、我が国は、日露戦争において
大量の兵士の血と巨額な国費を費やしてロシアを満州から駆逐して、
満州をロシアに売却した清国に還してやったのだ。
我が国は、この露清密約の存在を、
一九二二年のワシントン会議まで知らなかった。
また現在、李鴻章(巷の牙婆・守銭奴)の子孫は、アメリカで名前を変えて
大富豪として住んでいるという(若狭和朋著「日本人が知ってはならない歴史」)。
以上の通り、ロシアと支那は、
十九世紀末に東方の海洋勢力日本に対抗して攻守同盟を結んだ。
そして、百年後の現在、
ロシアは、ボストーク(東)と名付けた陸軍の大規模な軍事演習を
毎年シベリアや我が国の北方領土を含む東方の各地で行っている。
そこに近年、中共軍も参加した。
また、前記の通り我が国周辺海域では、
毎年中共海軍とロシア海軍が合同軍事演習を行っている。
前の対日攻守同盟は、ロシアが満州に進出する為であった。
現在の二十一世紀前半の対日攻守同盟は、
中共が台湾を飲み込むためである。
これは同時に、
中共が、日本のシーレーンという生命線を握り、
日本の死命を制することだ。
よって、
台湾を守ることは我が国自身を守ることであり、
台湾を守らねば日本は滅亡し
本州は中共の「極東自治区」と化している。
さらに、その時、
ロシアは、確実に北海道を領有しているであろう!
これ、
二十世紀の独ソによるポーランド分割と同様の
二十一世紀の中露による日本分割である!
彼らは、その為に、今、対日連携をしている!
つまり、
現在進行中の中露連携も、百年前と同様!
我が国の存亡に関わる重大事である。
我ら日本国民は、
現在、既に「戦時」と心得ねばならない。
以上、「月刊日本」掲載原稿に加筆したもの
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